新刊発売後にいつもすること

新作が出た直後くらいからしばらくは、新作に対するレビューなどをチェックしまくる。褒められていると当然嬉しくなったり安心してしまったりする。新作が出た直後は、比較的好意的なレビューが目に付きやすい。これは、待ちに待って入手された方の割合が多いこともあろうし、好評価の方ほど筆が逸るということかもしれない。
クセモノなのは、発売から数ヶ月以上経ってから上がってくるレビュー。
褒めそやす気分のいいものばかりではなく、痛い所を突いてくるものから目を背けてはいけないわけで、そうした手痛いレビューの中にこそ、自分の弱点や解決しなければならない問題点が隠されている。

それらの中には「うわあ、その通りだあああ」と頭を抱えて凹むものも多数あれば、「そうじゃないんだあああ」と、自分からの意志の不通が悔やまれるものもある。これは、要するに僕の筆力の不足によるものだ。blogのような形態を取るレビューが増えてきている以上、トラックバックして反論することも不可能ではないだろうけれども、それは難しい。例えば、そこで「意志の不通」を解決できても、同じような感想を持ったかもしれない他の読者に対する不通を解消できるわけではないからだ。
万人に受け入れられるモノを書くことは難しい。ファンの多いミリオンセラー作家ですら、100%の支持を獲得するのはそうそうできることではない。僕のような、木っ端モノカキでが何をか況やである。
しかし、出来についてイマイチと感じる人がいるものであったにせよ、そうしたものを世に出してしまった以上は、褒めも責めも引き受けなければいかんのではとも思う。
 
前提を共有しない人のために紙数を尽くして書くことを、「丁寧」と受けとる人もいれば「過剰」と受けとる人もいる。これは、受けとる側の知性の充実度、認識力の差、予め持っている知識量、感受性の違いなどなど、様々な要因によって左右される。読者は100%均質ではあり得ない。であるが故に、「もっとも多数派を占める読者に合わせる」「もっとも自分に近い読者に合わせる(というか、自分に合う読者に訴える?)などなど様々な解決方法があるのだろうと思う。
お前はどうよ、と言われるとまだこれについて結論を出せるほど、修練を積めてないなあ、というのが本音。
読者の存在は常に意識しているけれども、読者の側が常に僕より高い位置にいることのほうが多くて(^^;)。
勉強勉強また勉強である。