編著と編集

「編著」と「編集」というのは、言葉が似ていてちょっとわかりにくい。
よく間違われるのだが、超では夢明さんは「編著者」であって「編集者」ではない(笑)。
手元の辞書を引いてみると、

【編集】
……一定の方針のもとに、いろいろな材料を集めて新聞・雑誌・書物などを作ること。また、その仕事。映画フィルム・録音テープなどを一つの作品にまとめることにもいう。
【編著】
……編集と著作。また、編集しかつ著述した書物。

とある。著述もして編集もすると「編著」になるわけだ。
が、狭義では「著者が複数いて、複数の掌編を束ねた構成の書籍で、代表者(または団体)が名前を連ねる場合」に、「編著○○○」のように使っているケースが多い。
もちろん、そうした編著者が編集もしているケースもないわけではない。
 
編集という仕事は実作業内容から言うと「原稿を本にするための、技能職以外のあらゆるディレクション、ブッキング」といった感がある。ここでいう「技能職」とは、デザイン(レイアウト)、写真、イラスト、組版、印刷など、それぞれ専門家が担う分担、ということにしておこう。
そういった技能職の間を駆け回り、予定を合わせ、不足がないように調整をし、なおかつ素材としての著述原稿を整理し、複数本ある場合は掲載順位や構成を考え、順番待ちでイライラしている印刷所に頭を下げ……という、たいへん忙しい仕事が「編集」というわけだ。
実際に著者がそうした編集作業までをすることは現在の出版界では稀だと思う。
版元の有能かつマメな「版元編集」さんが、原稿を受けとった後の一切をやってくれる。
著者というのは、方針や企画に基づいて(その方針や企画は著者自身が出すこともあれば、版元から降ってくることもあるが)素材原稿を出すところまでが主な仕事になる。
 
僕の場合はその「希有な例」のほうで、著述から原稿整理、校正、構成、組版までをやってしまうわけだが、これは単に原稿が遅いから自分のケツを自分で拭いているだけの話で、えらくもなんともない。きちんと分担分業すればエエだけの話なのである。
加えて、編集者として仕事をしていた期間が長いため「編集的な仕事」を知っていて、かつそれをこなせるというだけのことで、やっぱりえらくもなんともないのである。むしろ器用貧乏に入る……orz
 
話がずれた。
超などでは、著者が複数いて複数の掌編を束ねた本となっているので、「代表編著者」がいる。これを夢明さんが担っている。つまり、内容についての責任はこの代表者が担ってますよー、というもので、単に本の顔というだけでなくたいへんな重責なのである。
代表編著者以外の著者(超ではそういう立場の著者は僕しかいないのだが)は、代表じゃない編著者になるのかというとそうではなくて、普通に「共著者」になる。
最近の超では、奥付には「編著○○○/編集共著○○○」と入れているが、これは編著者とは別に共著者が編集もやってますよー、というような意味合い。
超(弩も)では、カバー、印刷所との交渉、版元社内での営業との交渉などを版元編集女史が担い、原稿整理、掲載順位構成、校正、組版など実務編集の大部分を共著者(弩では著者本人)がやってしまうという、非常に特殊な体制を取っている。
 
こうしてみると、「編著(=著述し、編集もする人)」という本来の意味に照らし合わせると「編集共著」の人のほうが編著者に近い仕事をしているのだが(笑)、業界の慣例により、「著者が複数いて、複数本の掌編を束ねて作った本では、本全体の内容について責任を持つ人(たくさん書いている人か、年上の人か、業績的にエライ人がなるのが普通)が編著者」という重責を担うというわけである。
やっぱりあの「編著」という冠は、重要重大かつ非常に大切な責任があるのであって、若輩が被ってイイものではないんである。
 
じゃあ、弩なんかはどうなるのかという話になるわけだが、竹の慣例では「一人で書いたら著。複数で書いてる場合は、代表者名による編著」になるらしい。版元やシリーズによっては、一人で書いてる場合は「著」を付けない場合もあったりするので、そのへんはローカルルールに基づくもの、ということだろう。
 
長い枕の上に大余談だが、「超」怖い話Eの初版では著者名が「著」になっている。これは実はカバーの校正ミスであったらしい(^^;)。重版からは「編著」に直っているということだそうなのであしからず。