ペーでパー

最近、フリーペーパーが流行ってるようで、この夏からこっちうちにも2本ほど依頼があった。うち一本は旧知の信頼のおけるモノカキさんにお手伝いして頂いているというか、もおほとんどバッチグーなくらいお願いしちゃってるので安心している。
もう一本は、アキバ系フリーペーパーということで、1/2ほどのコラムを書かせて頂いた。なんか連載になるらしい。
フリーペーパーというのは、要するに束の厚いチラシ&パンフレットなわけで、広告にグリコのオマケよろしく記事が付いたもの。広告だけでは手に取ってもらいにくいが、記事がおもしろければ広告も行き渡りやすいわけで、記事は責任重大である。
 
広告が過大で記事部分が過小という形態の出版物は今までもなかったわけではない。
例えば、バイク情報誌、求人情報誌、不動産情報誌、携帯電話用サイト情報誌などがそう。いずれも広告の占める割合が非常に大きく、誤解を恐れずに極論してしまうと「広告益で制作費がほとんど出てしまうので、あとは売れた分だけ純益になる」という媒体もあるらしい。もちろん、広告を出す側だって「部数が出ている」ことが媒体選択の基準になるわけだから、そこそこの発行部数は求められるし、ただの広告の束では刷ったって誰も買わないから内容の拡充はやっぱり重要だ。
 
フリーペーパーの場合は、記事部分が1〜2折以下(1折は16頁)で、他のほとんどは広告になる。頁数を増やして広告単価を下げる、カラー印刷を増やして広告単価を上げるなどなどいろいろな工夫はされていると思うけれども、これは「配布部数が予め告知されているチラシ」のようなものと言えるだろう。しかも、記事比率が小さくて広告が多いということは、広告で記事の制作費が出る……どころか、広告で収益も出せてしまう。売らなくても稼げるから、「¥0配布中」になるわけだ。
 
また、ターミナル駅で配って自宅に着くまでに読み捨てられる、コンビニや書店店頭で配る、駅構内に棚を作って積む、人を配って手渡し配布などしているものもある。様々な制作費のうち、もっともコストが高いのは人件費だというけれども、人手=人件費を使ってでも儲けが出るわけだから、あれはやっぱり出版物でなくて広告宣伝物なんだなあ、と。
 
この数年、出版物の形態を持った広告方法として注目を集め、後追いペーパーも次々に出ている。
つまり、広告宣伝にカネを払うゆとりが回復してきた(=景気が良くなった)ということと、宣伝の手法が替わってきたのでは、ということが読み取れる。
僕は賭け事はやらないので株は買ってない(笑)が、景気回復は最近の株価の上昇線を見ても頷ける。よく言えば「景気のいい話」が僕のような末端に舞い込んでくる機会も増えているし。選挙の争点に「景気最悪」を掲げる党が多いようなのだが、こうした広告業界の活況を見ると「おまいら政治家は一体どこを見ているのか」と首を傾げたくなる。
交差点なんかにあるライトアップ式の大看板は、相変わらず埋まってないというか「広告募集中」になっているところが目に付く。その一方で、こうしたユーザー直接配布型の新広告媒体がもてはやされるということは、ユーザーのライフスタイルも替わってきている、というこだろう。そらそうだ。看板というのはビルの屋上にあるもので、ユーザーの多くは手元の携帯を読んでいるか、雑誌でも読んでいるか。情報の出し方が「対象を絞らずに撃ちっぱなしの宣伝」から、「対象を精密に想定しての宣伝」に替わっていくのも当然と言えば当然か。
 
その昔、「怪談とビキニとミニスカートが流行るのは世の中の景気が悪いとき」というジンクスを聞いたことがあった。怪談については言われてみれば確かにそうで、90年代の怪談ブームはバブルの崩壊の後にやってきた。この10年ほど怪談(というか、ホラー)ブームが続いているのは、景気が悪いということの象徴だったのかなー、とも思っていた。
が、このところ景気回復路線に乗っているのにも拘わらず、ホラーブームは相変わらずの好況で、ブームどころかまだまだ小規模ながらそれなりに安定した市場が形成されつつあるようにも思える(昨夏・今夏のコンビニのホラー関連商品の点数は大したもんだったと思う)。
 
そろそろそういったいろいろな「これまではこうだったので」という論理だけでは、ユーザー発掘が難しいというか、ユーザーの動向と想定を精密にしないとやってけない時代が来るか、すでに来てるんじゃないかなーと、フリーペーパー仕事を通じていろいろ考えさせられた。
 
なお、このアキバのフリーペーパーのコラムはすでに引き渡し済み。
そういや、発行時の名前とか配布時期とか聞かなかったぞ。
欲しい人はアキバ行ってください。