郵政民営化の簡単なまとめ

ところで、郵政民営化についての投票前の簡単なまとめなど。
よく「郵便局がなくなる」というのを論点に反対している人がいるのだが、実はそのへんはあまり考慮しなくてもよい問題だったりするらしい。クロネコヤマトは豪雪地帯の宅配用に、雪上車の宅配トラックを持っている(!)。郵便局はこういうのを持ってないわけで(夏場に使えないから)郵便局よりも民間宅配業者のほうがすでに上を行っている(笑)。
「郵便局は貯金をすると集金に来てくれる」に関してはすでに「信用金庫」という競合民間業がある。これも心配なし。「手紙」は今後時間を掛けて「メール」に取って代わられていき、「小荷物/小包」はすでに代替業が民営で成り立っている。「保険」も民業が存在し、実現可能。その意味で、ユニバーサルサービスや配達事業の存続は、郵政民営化にとって重要なポイントではないらしい。
 
郵政民営化の重要なところというのは、「行政の無駄遣いを辞めさせるに当たって、その元になっている財布を取り上げてしまう」というところにある。
例えば、我々の所得税/消費税、そういった税金は行政サービス(特殊法人から官僚の給料から福祉事業の費用に至るまで色々)の原資となっている。そうした税金だけでは様々な行政サービスを行うのに足りないから、赤字国債(カネを借りるための債券)を発行し、その債券を【郵便貯金/簡保などで預けた金】を原資として郵便局(郵政公社)が買う。
これでは、増税がされなくても、結局郵便局に預けた金がどんどん「政府の赤字を埋めるため」に流用されることになってしまう。貯金は保障されてはいるものの、税金と同じように使われてしまうことになる。
しかも、税金と違って国債というのは「借金」であるわけで、借りたら利息を付けて返さなければならない。借りた額より返す額のほうが当然大きくなるわけで、ますます借金が膨らんでしまう。
もしこれが民間だったら、「もう貸せません」と言われてお金を借りられなくなるので、ある金の使い途を考え直すということになるのだが、郵政公社がいくらでも金を貸してくれるという構造が続く限り、いくらでも借り放題なので政府の借金はどんどん増えてしまう。
なので、郵政公社赤字国債をバンバン買わない=無駄遣いの原資を取り上げてしまうようにするために、郵政公社を「政府の命令で赤字国債を買わない民間企業にしてしまおう」というのが、今回の郵政民営化のキモ。
郵政公社赤字国債を買わなくなったら、行政サービスのための資金が足りなくなるから足りない分を増税で賄うかもしれないから、増税予防のために郵政民営化反対」としているのが共産党社民党などの野党の主張。(でも結局は蛇口が壊れているので水は漏れ続ける。蛇口の修理(支出の削減)をするのと、元栓を締める(支出の原資を取り上げる)のと、どっちを先にするかというのが一連の財政正常化議論のバックにあって、「元栓は閉めないで蛇口を直せ」という意見(民営化反対:大きな政府に公務員がいっぱい)と「蛇口は直すがまず元栓を締めろ」という意見(民営化賛成:小さな政府で公務員は少なめ)の戦いということになっているわけらしい。
国債の発行と増税とでは、増税の方が抵抗が大きい。
増税をしないことによって、借金をしまくっていくのが現状だが、そろそろその首は回らなくなりつつあるわけで、これ以上借金をさせず、なおかつ増税もなるべくしないで済ますには、郵政公社(民間企業ではないため、いくつもの税優遇=税金支払い義務がないもの、がある)を民間企業にして、その収益から税金を取れば、国民個人に増税しないでも民営化された郵政公社が支払う企業税でやりくりができることになるらしい。
郵政民営化をすれば他の問題もうまくいく」というのはビリーバー論ではなくて(笑)「財布を取り上げれば無駄遣いをしようにも元手がなくなるので、カネの使い方を変えざるを得なくなる→財政体質が改善され、小さな政府ができ、非効率的な従来の構造を変えざるを得なくなる」ということに起因する。
 
しかし、「無駄遣いをする政府から、財布を取り上げましょう!」というのを公約にして連呼する与党総裁=総理大臣もある意味無茶だし。だって、「既得権益を捨てさせてください」と既得権益を享受できる立場(与党)の代表がそれを言ってるわけだし。本来、そういうことは野党第一党が言うべきことなのに(笑)
一方、「財布は取り上げずに無駄遣いをやめさせるべきだ。(利権を温存した上で)政権交替をさせろ」という野党第一党というのもなんだかな、という感じもする。
どこの党に入れろ入れるなという話は本項ではしないけれども、「郵政民営化」とそれに繋がるいくつかの割と重要なことというのは、投票の指針にしてよいのではと思う。
 
選挙に出る奴はロクデナシばかりだ。という。
しかし、自分自身が出ないのであれば、いちばんマシなロクデナシを消去法で選ぶしかない。
しかも、それは「権利」で「義務」で同時に「無料」じゃない。
だったら、投票権は使い切らないと損なのである。
そして、できれば勝ち馬に乗りたい(笑)のである。
馬券は大穴を当てた方が配当が大きいが、選挙の場合「少数の大穴が全体を牛耳り、大きな配当をくれる」ということは起こり得ない。必ず「多数票を獲得した勢力の決定」が優先されることになる(そうでなかったら、少数による多数支配が起きてしまう。また、少数が得をする=利権で利鞘を稼ぐという守旧派のそれと同じだ)。
だったら、「誰を勝ち馬にしたいか」「自分はどの馬に賭けるのか」は大穴狙いナシで考えなければなるまい。
 
と、けちくさい僕はそう思うのだった。
 
9/11は衆院選です。
選挙権を無駄にするのは金銭的にもったいないです。
選挙にいきましょ〜。
 
ちなみに、投票所に一番乗り(朝8:00)すると、空っぽの投票箱の中を確認させてもらえるらしい(一番乗りした人だけが見られるらしい)。
是非見てみたいもんである。