囲炉裏

囲炉裏と言えば、鍋。
これは譲れない。囲炉裏用に鉄鍋買っちゃったり、自在鉤自作までしている僕に言わせてもらえれば、これは基本中の基本。
秋冬ともなれば宴会でも日常でも鍋をつつく機会が増える。
 
僕は「家に人を呼ぶ」のが好きだが、これは上京してきたばかりのアパート暮らしの頃からそうだった。だいたい貧乏学生ともなると持って行かれて困るものなんてないから、アパートはろくすっぽ鍵も掛けてない。寝てると友達が上がり込んできて悪戯を仕掛けて帰るなんてことも珍しくなかった。
宴会ともなれば、カセットコンロに空っぽを鍋を載せて待っていると、どこから嗅ぎつけたのか鍋の具を持った友人がいそいそと集まってきたものだった。カセットコンロ用のガスボンベを持ってくる友人もいた。ありがたい話だ。
食べきれないほどの具材が持ち込まれ、その余りが僕の翌日の食料になったりした時期もあった。ますますもってありがたい話だ。
「鍋やるぞー」で人が集まりすぎてしまい(笑)、六畳二間の2DKのアパートに、鍋が三つ立ち(カセットコンロ×2+台所のコンロ)、26人もの人間が僕の住んでいたアパートに上がり込むという正気の沙汰じゃない宴会もあった。これはさすがに管理人さんに怒られ、煮えてる鍋の前で「ひそひそ声」で喋りながら鍋をつついた。26人も集まるとひそひそ声でもうるさいということを知った晩だった。
もっと遡って、実家にいた頃からそうだ。
僕の実家は「訪問者が絶えない家」だった。
別に集会所になってるわけでも、町内の役員だったわけでも、店をやっていたわけでもない。
が、なんだかんだと理由を付けては色々な人が晩飯を食いにきていたし、そうやって誰かが遊びに来ているのが「当たり前」の家だったので、家とはそういうものだ、客が訪れてるのが「家」なのだ、と思いこんで育った<大いなる誤解
 
そんなわけで今も家に人を招くのが好きだ。
散らかってて小汚いんですが、自慢できるものがひとつ。
「うち、囲炉裏があるんですよ。鍋やりませんか」
こういうと、初めて会った人でもちょっと気むずかしそうな人でも、だいたい落ちる(笑)
だってね。炭をつつきながら鍋ですよ。ちょっとやれない。普通は。
大人になっても、火遊びの誘惑にはなかなか勝てない。
暖房器具としての炬燵も捨てがたいが、コミュニケーション潤滑器具としての囲炉裏はさらに魅力的だ。
 
初めて囲炉裏を見た人は、鍋以外にいろいろ夢を馳せるらしい。
「魚持ってって、串に刺して焼いていいですか!」
「竹筒に酒入れて、燗して飲みましょう!」
鍋以外で出てくるのはだいたいこのふたつ。
燗酒は魅力的。でも、竹筒持ち込んできた人はまだいない。
魚を焼いて、というのもまだやったことがない。
魚は焼くと油が落ちるんでして、その落ちた油の匂いが炭や灰に付いてしまうとなかなか消えないんである。なので、うちでは「魚は七輪で」ということになっている。(七輪は事務所に起きっぱなしだ)
そういや、アパート住まいの頃、アパートの入り口に七輪出してそこで焼き肉をやったことがあるような。今思えば、よくそんなことやってて怒られなかったなあと思ってみたり。