怖い原稿と怖くない原稿
怖い原稿と、そうでない原稿(例えばデジタル関係の紹介記事とか)の最大の違いはどこにあるか、というのをちと考えていた。
怖くない原稿というのは、「モノを紹介する」だったり、「意図した結論を確実に了解してもらう」だったり、「そのものずばりの単語を伝える」だったりする。
新聞などの記事の基本に「5W1H」というのがある。
下積み時代にさんざんたたき込まれたのだが、
- 「いつ=When」
- 「どこで=Where」
- 「誰が=Who」
- 「なぜ=Why」
- 「何を=What」
- 「どのように=How」
順番ばらばらだが、だいたいこんなとこだったと思う。
要するに、「必要事項をすべて入れて、丁寧かつ親切な記事を書くことを心がけなさいよ」ということである。これは、事実を事実として伝えなければならない記事の大基本。なので、怖くない原稿は今も基本的にはこのフォーマットに則って書く。
怖い原稿というのは、必要に応じて3W1Hになったり、2W1Hになったりする。
特に、「いつ、どこで、なぜ」は、しばしば省略される。
場合によっては「誰」も省略される。「どのように」すら省略しちゃう場合もある。
全部省略すると原稿が成立しないのでさすがにそこまではやらないけれども、そうした「本来なら丁寧に説明しなければならない事柄」を、意識して書かないことが多い気がする。
結果、「それはいつの話なんですか?」「なぜそういうことになったんですか?」「その場所はどこですか?」と質問攻めにあったりするわけなのだが、それらは大して重要じゃないから省略される場合と、いろいろ大人の事情で明かせない場合と、読者の不安を煽り妄想をたくましくさせるためにあえて伏せられる場合がある。*1
いわゆる「行間を読ます」という奴だ。
これは結構難しい話で、省略しすぎると「不親切」と言われるし、書きすぎるとオチを読まれる。
ただ、十分に不安を煽ることにさえ成功できれば、詳細な描写は別になくてもいいんじゃないかとも思っている。
要は、怖い原稿の場合に限っては、「読者に如何に不安感を抱かせるか」、「安定させないか」、「安心感を与えないか」ということが徹底されてさえいれば、謎解きはなくてもかまわない。
「怖い」というのは、「納得させない/できない」「安心させない/疑念を抱かせる」「自分で気づく」「不意打ち」などが複合的に合わさってできたものではないかと思う。
完成されているパズルは安定しているし、安心できる。だが、見るものの関心を集めない。
重要なピースが抜け落ちていると、その不完全さ故に「そこに何がはまっているはずだったのか?」「全体像はどうだったのか?」という想像を、見るモノにかき立てる。
著者の残したピースをヒントとして、見る者の蓄えてきた知識、経験から、「そこに最悪の恐怖」や「ぬるい恐怖」や「何もない=怖くない」などの様々な反応を引き出す。
ひとつの怪談に対して様々な異なるリアクションが現れるのは、そうした理由によると思う。
できればひとつの怪談で万人受けしたほうがたくさん売れてうれしい(^^;)のだが、重度のジャンキーとビギナー、男性と女性、年齢差、そうした様々な要素によって、この「妄想力」に差は出る。だから万人受けの怪談は限りなく不可能に近い。
これを解決する方法として、「ジャンキーよりビギナーのほうが絶対数が多いのだから、ビギナーに歩み寄ったものを作ればいいじゃないか」という解決方法がある。
実は、近年のJホラー的なものの多くは、大きな市場とニューカマーの獲得のために、こちらの方向に向かって企画されているものが多い。僕のところにも、そういう方向性での依頼がしばしば来る。
ビギナーに歩み寄ったものというのは、要するに「恐怖の経験値*2」があまりない人でも、その一作の中だけで怖がってもらえるように懇切丁寧に説明しましょうという方向で、ビギナーとジャンキーの差を埋めようとしたものだと思う。
字幕テロップ出まくりのバラエティ番組と同じで、芸人が視聴者の知らない話をネタにした場合はフォローするテロップが入り、一瞬の話には矢印でつっこみが入り、さらにはCM直後にはCM前の内容をリピートしたりするアレだ。
確かに、その方法でなら「何が起きていたか、何が原因か、なぜそうなのか」を丁寧に説明した挙げ句に「そういうときはこうしましょう」という解決策まで提示できてしまうかもしれない。
親切である。
でも、親切すぎると怪談は怖くなくなる。
先に挙げた人に恐怖を抱かせる、
- 「納得させない/できない」
- 「安心させない/疑念を抱かせる」
- 「不意打ち」
という要素は、提示した怖い原稿が「不親切」であるが故に発生するファクターである。
設問から回答まですべてが並べられているクイズ、完成している絵よりも、「答えが書かれていないクイズ」「未完成のパズル」のほうがより印象に強く残るのは「伏せられた答え、欠けた部分」に強く惹かれる。(もちろん、答えの伏せ方、ピースの削り方も要求されるわけで、そこらへんが書き屋の腕の見せ所だと思う)
また、DNAとRNAのような関係、という表現でもいいかもしれない。
「痕跡、形跡、陰」というRNAをのみ、ヒントとして書く。読者にはそのRNAから想像される恐怖の実態=DNAについて自由に想像してもらう。起きている恐怖そのものは直接に書かずに、その周辺だけを書くわけだ。ヒントを書きすぎれば正解に近づくだろうけれども、書きすぎると不安感は薄れ、恐怖感も弱くなる。
そのように不完全にしておくと、読者はたぶんいきなり気づく。
「あ……そういうことか!」
この自分で「気づく」というところが重要で、親切丁寧に手を引いて出口まで連れて行かれるライド型のお化け屋敷と、目隠しをされて暗い林の中に放置され、苦労して自分で出口を見つけ出すのとでは、どちらのほうがインパクトが大きく、印象にも残りやすいか、という話なんである。
不親切に作っておかないと、「自分で気づく」という喜びには達しにくい。親切すぎると、並べられたヒントから先読みができてしまう。
気づかない人は「何が怖いのかわからなかった(´・ω・`)」で終わってしまう。
後から人に指摘されて「え。わ。うわー」と来る、そういうケースもあっていい(笑)
勘の鈍い人、経験値の浅い人には「遅効性の毒」となり、勘の鋭い人には「即効性の毒」になる。不完全に作ることで、タイムラグを多少伴うけど「ビギナーとジャンキーの双方に通用する、かもしれない怪談」に近づくことができる。
書き屋的には、いろいろヒントは並べるけれども、最後の最後まで気づかせない、最後にひっくり返す、というのが「してやったり」な怪談であるわけで、バラエティ番組的親切さを持った「懇切丁寧なビギナー向けホラー」では、この怪談の醍醐味は再現できにくい。
ビギナー切り捨てに走りすぎると、怪談はジャンキーだけのおもちゃになって衰退する。
かといって、ビギナーに媚びすぎると怪談のおもしろさは伝わらない。
たったひとつの作品が双方を満足させるというのは難しすぎる。
だからこそ、「傑作を目指す」のではなく、「どちらのレベルにある読者でも満足できるものをひとつづつ、合計ふたつ以上書く」が、ベターな選択ということになっていくと思う。
超-1で、「傑作をひとつより、様々なバリエーションの秀作を何種類も書ける人」を欲する理由は、だいたいこのあたりにある。
短編を多数収録する「超」怖い話は、収録されている話のレベルはまちまちで、人によって反応はたぶんかなり異なる。それのおかげで、ビギナーとジャンキーの双方が同時に手に取れるのではないかな、と思う。
そういうことかな、と。