怪談なのになぜかゲームの話

E3での任天堂岩田社長の演説要旨。
http://www.nintendo.co.jp/n10/e3_2006/speech/japanese.html

これを読んでると、なんでか怪談のことを思い出してしまう。宮本氏のコメントなんかでも感じたことなんだけど。
ゲームフリークが満足する充実したゲームは、ノン・ゲーマーに対して無力。
ゲームからだんだん離れていってしまう人々をゲームに呼び戻し、かつゲームに一度も触れたことのない人をゲームに呼び込み、「ゲーマー人口そのものを拡大しよう」という任天堂の考え方(ブルーオーシャン戦略というものに沿っているらしい)は、大いに共感するところだ。

怪談でも同じで、マニアを満足させるための濃い怪談ももちろん必要だけど、怪談を読み慣れない人を怪談界に引きずり込む(笑)ことが、怪談読者人口の拡大にはより必要なのだと思う。(このあたり、「弩」怖い話のコンセプトと重なること)

かといって、それでは「丁寧で親切な怪談」が初心者向けか、怪談の魅力をアピールする一助となるかというと、やはりそれは違うのでは、と思う。びっくりポイントを示すテロップは怪談の興を殺ぐし、監督がすべて手を引いていってくれて視聴者が恐怖を想像する必要が少ないホラーには「気づいて驚く」という醍醐味がない。

怪談で言うと大作系の怪談というのはマニアにはよくても、ふだん怪談を読まない読者には「冗長すぎてとっつきにくい」だろうと思う。
ゲーム初心者はRPGではなく脳トレを選んでいる。脳トレはすぐ飽きる、深みがない、とRPGになじんだ人間は思うだろうし、それは間違いではないかもしれない。でも、RPGに見向きもしない人間が、少なくとも「脳トレくらいならできるかな?」と手を伸ばす。
この「手を伸ばす」ということが大切なのだと思う。

「超」怖い話というのは、二度死んで二度甦ったタイトルである。
いつも死にかけの進行で進んではいる。
が、二度死んだが故にもう二度と死にたくない、とも思っている。
シリーズの死について異常なまでの嫌悪感を持ち、また、なんとしても「継続する」ことに執着があるかもしれない。
シリーズが継続するために必要なことは、「減っていく濃いマニア」にだけ受けていてはいけないわけで、「広く読者を獲得し続けていかなければいけない」んじゃないかなとも思う。


昔、スーパーが付かないファミコンの攻略記事を書いていた。
あの頃、ゲーマーは主に小学生だった。
小学生に向けた文章を書くことは非常に難しかった。弱肉強食にルビを振ったって、ひらがなに開いたって意味は通じない。かみ砕くということを厭と言うほどたたき込まれた。
優しく丁寧にすることが初心者向けじゃない、ということもたたき込まれた。
過保護であることは、同時にユーザーの自立心や感動を奪うということもたたき込まれた。
たぶん、怪談を書いている今も、そのときの経験が生きているのだろうなあと思う。


「超」怖い話PS3XBOX 360を目指すのではなくて、Wiiに共感していきたいなあ。
よいモノ=たったひとつの傑作を作ることへのこだわりも重要だけど、様々な人にいろいろなことを絶えず求められ続けるものを提供し続ける、インフラでありたい。そういう理想は掲げておきたいところ。




今日はE3&Wii関連で(;´Д`)ハァハァしているので、仕事が手に付かないったらありゃしない(笑)