最後の質問

暫定ランキングの集計は、作品単位のブラインドテストであるわけなのだが、それとは別に応募者の皆様に「最後の質問」をしてみた。著者の傾向、指向性、嗜好、思考、こんなところを探りつつ、今後の判断材料とするため。
熱い意見、醒めた意見、自省、喜び、怒り、いろいろなものがかいま見えた。


超-1とは、実力主義、現場主義、匿名主義(笑)で、「超」怖い話の共著者に足る人間を選ぶという選抜大会であるわけなのだが、同時にそれは主催者にとっては「一緒に仕事をすることになる同僚」を選ぶことであり、出版社にとっては「業績を託す依頼先」を選ぶことでもある。
もしかしたら一生のつきあいになるかもしれないわけで、やはりこちらも力が入る。
この人と一緒に仕事をしてみたいかどうか。
哲学や好みを、数作の作品と小論文より少ないいくつかの設問だけですべて読み取ることはたぶん不可能だ。
が、成功作も失敗作もアンケートへの回答も、時には「問い合わせのメールの文面、それへの返答へのリアクション」なんていう些細なものすらも含めて、その人が書いたあらゆる文章は、その人の哲学の片鱗をちらつかせる。
性格はどうか。精神力、柔軟性。向上心、社会性。もちろん、それだけですべてを諮ることは出来ないし、100%を見通せるわけではないんだけど、やはり文章から人柄はある程度知ることはできる。
それが事務的な文章であっても、雑談であっても、ペルソナをかぶって書かれた怖い話であっても、である。

その読みだってはずれることは少なくないというか、概ねはずれる可能性の方が高く、つきあいだしてから意外な一面を発見することになったりするわけなのだが(^^;)


作品に限らずあらゆる文章からその人の人となりらしきものは必ず漏れ伝わってくる。
僕は人の書いた文章を読むことも好きなのだが、たぶんそれは書かれた内容よりも、書いた当人の生活や性格が漏れ出てくるのを拾い読むのが好きなのかも知れないと思う。
もっと踏み込んでいくと、本を読むよりその人そのものを読むほうが、さらにおもしろかったり。
本人が自分で望むほど、本人が望んだとおりの姿にはなっていないというギャップに、当人が気付いていなかったり。たぶん、人のおもしろさ、興味深さというのはそんなところにあるんじゃないのかなと思う。
人に会うのも、メールを行ったり来たりさせるのも、呼び出されて飲み会に行くのも好き。
読者投稿ページを担当していた頃、読者ハガキを読むのが何より好きだった。そこにある数行の近況報告や、書かれたネタの裏にその人の暮らしが見えて楽しかった。


超-1では、その読者ページ担当編集者時代の楽しさを、久々に味合わせてもらったような気もする。
今は、山のようなハガキを前に、掲載予定のハガキを仕分けして選んでいる作業、みたいなことをしている感じ。
しんどいけど、楽しい。毎晩編集部でしなくていい徹夜をし、ハガキの裏に書かれたいろいろな声に耳を傾け、彼らの暮らしを思い浮かべる。


ちょっと前に、「終わってないけど脳内エンディングテーマが流れる」という話題がいつものスレに出ていたようだが(笑)、僕のiPodから流れるもので例えると、「In my life」かなあ。ビートルズの。でも、ベット・ミトラーがFor the Boysで歌ったアレンジの奴。
そんなものを聞きつつ、今日も気合い入れて数えます。


……いや、もうちょっとやったら寝ます(^^;)