奇蹟

奇蹟っていうのは、「絶対にあり得ないと諦めていたことが起こる」から、奇蹟なのだと思う。
諦めるからこそ、それが起きたときに「奇蹟」に思える。
諦めない人には、それは奇蹟には見えない。
多分、事実に対するとらえ方の違いが、当然を「奇蹟」に変えるんじゃないのかなあと思う。

この仕事を始めて今年で21年目突入なのだが、奇蹟のような進行(笑)を何度か経験している。
でも、今思えばそれらのすべてが奇蹟じゃなくて、「その時点での努力の結果」だったのかもしれないし、自分で自分の限界を低く見積もって諦めていた(自分に期待をしていなかった)からこそ、自分がしでかした成果を奇蹟のように思っていただけなのかもしれない。

もちろん、都合良く神がいた可能性も否定しない(笑)


さて。
現れた結果は、多分に流動的ではあるけれども、おそらくそこには奇蹟はない。
もし、結果を予想している人がいたなら、それは神(とその人が信じる何か)に近い視点を、予想者が共有できていたということではあるまいかと思う。


だがしかし、最後まで気を抜いてはいけない。
忘れるなかれ。


僕は「人を驚かせること」で食べてる。
これまでも、これからも、そういう生き方しかできない。
今回も同様だ。