占領政策の成否
怪談で脳が煮えているので、本日の本命に入る前に軽く頭の体操。
どこを入り口に初めて良いか悩む話題だし、それを善(誇り)と捉えるか悪(恥辱)と捉えるかは個々の解釈によって変わるので難しい問題なのだけれど、ここでは結果としての繁栄と自由(自決*1の自由)を得ること、国を基本として考えるなら内政干渉を受けないことを自由と自由と位置づける。自国の経済的繁栄と安全保障*2は一対で、経済的繁栄(資産)が強奪されない保証=安全保障であるわけで、安全保障と経済的繁栄とそれを担保としての自決権(=自由)に繋がっていく。
さて。戦後の日本は、世界最大唯一の超大国*3であるアメリカと同盟関係を結ぶことで、経済的発展の足がかりを得た。朝鮮戦争の勃発で特需が発生したこと、そこを足がかりに高度経済成長、バブルと続いていくことになる。バブルは崩壊して酷い目に遭うのだがそれはさておくとして、アメリカの安全保障の傘に入ることで経済力を蓄えた。これにより、敗戦国の地位から国際的発言力を回復する道筋が着いたわけだから、日本は「(アメリカの)安全保障」+「経済的繁栄」→自由(自決権と発言力)を回復したと見てよい。
ここに至るにはアメリカと日本の同盟(日米安全保障条約の締結)が大きな地位を占めていて、これは旧ソ連の拡大*4に対する防波堤として日本を活用する必要があったアメリカの事情とも関連する。朝鮮戦争そのものはアメリカが意図して仕掛けたものというわけではないのだろうけれども、形としては米ソ(中)の代理戦争の形になったし、ベトナム戦争もそれと同様であると思う。
アメリカにとってアジアの諸戦争は中ソ(共産主義)との対決、対決の可能性への準備としての日本駐留が、戦中戦後(直後)から現代に続いてきた。
ソ連が崩壊し、中国も事実上の資本主義を追認する形となった今、共産主義(イデオロギー)との武力対決の可能性はなくなったものの、中国の覇権主義、不確定要素として実力以上の武力を弄ぶ独裁者との対決の必要性は残った。これは少なくとも当面は武力行使ではなく、外交交渉という形での戦争が続くのだろうけれども、今回のテーマからは大きく外れていくので、また次の機会に。
話は戻って、占領政策の成否。是非ではなく。
このテーマは「アメリカの視点」から見ることになるのだけれど、比較されるのは「太平洋戦争*5」と「イラク戦争」。
ベトナム戦争や朝鮮戦争ではアメリカは完全な勝利*6はしていないので、軍事裁判を開いて戦争責任者の追究を行うところまで持って行けたものを、敢えて完全な勝利と呼ぶ。
アメリカと対決した日本は太平洋戦争には負け、アメリカの進駐*7を受け入れた。
アメリカは平和憲法と言われるところの現在の日本国憲法を作り、日本はこれを受け入れ、軍事裁判の結果を受け入れて戦犯の処刑を受け入れ、サンフランシスコ平和条約を経て独立*8を回復。
後に日米安保条約の締結により、アメリカは軍事力を持たない(アメリカによって武装解除された)日本を、日本が軍事力を持たない交換条件として防衛する義務を負う、ということになった。日本はアメリカの事情(冷戦)絡みとはいえ、防衛(安全保障)に一切カネをかけずに経済復興に注力できたわけで、ある意味丸儲けと言えないこともない。*9
日本は戦後経済的に発展し、アメリカの外交上の重要なパートナーの地位を占めることになった。80年代(民主カーター時代)、90年代(民主クリントン時代)など多少ギクシャクした時代もあるが、「かつての競争相手で敵国だった日本」を、自陣営に引き入れることに成功しているわけだから、アメリカの太平洋戦争の処理(占領政策)は成功したと言える。
日本自身もその占領政策の結果として安保条約による安全保障義務*10をウマウマと軽減でき、その結果として経済的に繁栄して国際的発言力も復活させたわけだから、成功と言える。
この日本に対する占領政策の成功というのをアメリカ側がどう理解していたかが、イラク戦争の後始末というか占領政策の成否に対する評価と繋がってくるように思う。
アメリカ側が日本をどう見ていたかについて、当時のマッカーサー元帥の言葉に「日本人は12歳の少年」というのがある。これは「マッカーサーは日本はまだまだひよっこ、と侮蔑した」という意味合いでしばしば引用される有名な言葉なのだが、実は朝日新聞の誤訳によって語義が間違って一人歩きしてしまった例なので、若干補足をする。
二次大戦終結後、日本とドイツはそれぞれ東京裁判、ニュルンベルグ裁判によって裁かれることになったわけなのだけれど、これについてマッカーサーは「ドイツは欧米の歴史に長く参加し、民主主義を獲得経験してきた大人であるにも拘わらず、ヒトラー麾下として確信的な悪事を働いた。一方日本は封建制から一足飛びに近代化し、民主主義に対する理解もまだ浅い子供のような存在である。しかし子供であるが故に、教育が可能だ。ドイツの大人の悪事と同等に扱わず、慈悲を持って教育していくべきだ」という、日本に対する同情的意図で発言している。*11
同情的であれどうあれ、アメリカ側の意識として「日本は民主主義の新米」であり「やればできる子」という認識であったことはくみ取れる。
日本が民主主義の新米であったという点*12について言うと、新米であるが故に日本は国際法遵守、法治国家としての規範の徹底を行っている。というより、日本は明治憲法の時点ですでに一応は民主主義&法治国の体制を整えている。もっと言うと、明治憲法以前、民主主義国家になる以前から日本は徹底した法治国家としての体制を経験している。徳川300年(実際は200年弱)の時代は徹底した法治制が敷かれていたわけで、幕府は多くの約定、取り決め、お触れと、違反に対する重罰を以て国内統治をしてきた。
民主主義については新米であっても、法律を守ることについては長い経験を持っていたわけだ。
民主主義(と自由主義)は、同時に「法律を遵守すること」という法治主義の徹底がないと成り立たないわけで、日本は法治主義的素地があったからこそ、新憲法や「新しい制度」への順化がスムーズであったと言えるかもしれない。
民主主義については子供でも、約束を守るということについては老齢に達しているといってもいいレベルであったと言えよう。
そうすると、アメリカ側の「民主主義について日本は新米だから、民主主義を教えてやればよい」「民主主義を教えたから日本占領はうまくいった」という認識は、実は誤認だったのではないか? という気がしてくる。
進駐軍元帥マッカーサーは戦後当時の日本では非常に人気があり、終身国賓にしようという動きすらあったのだそうだ。この人気は先の「日本人は12歳」報道で凋落してしまうことになるのだけれど、日本から見て戦勝国(敵国)の親分であるマッカーサーが、なぜそれほど人気があったのか。
マッカーサーは昭和天皇と謁見していて、結果的に昭和天皇を処罰の対象から外す(戦犯としない)決断はマッカーサーの名で公示されることになった。
当時の日本人の関心は、人間宣言をした後の昭和天皇の処遇にあり、もし昭和天皇を処刑の対象に含めていたら、日本の占領政策はこれほどうまくは進まなかったのではないか。
天皇の助命嘆願は当時の戦犯、時の首班となった吉田総理からも提案されていて、「占領政策は統治のための人心掌握が何より重要であり、天皇陛下を処罰させた場合、武装解除も占領統治も難しくなりゲリラ戦による抵抗すらも鎮圧が難しくなるかもしれない」と脅し掛けたwことも、天皇助命に繋がったかもしれない。
これは実際問題としてあり得たと思う。
比較する対象としてはかなり失礼な例えになるが、もし昭和天皇を廃位または処刑していたら、現在のイラクに於けるテロと同様の反抗が日本国内にはびこっていた可能性がある。カミカゼ的自爆攻撃は対戦末期の日本の発明であり、勤皇志士による京都テロ・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の例を引くまでもなく、日本にも暗殺・要人テロ・無差別攻撃の素地があった。
昭和天皇の助命は結果的に速やかな武装解除を促し、マッカーサーの人気を挙げ、占領統治政策に対する抵抗を減らしたと言える。
別の見方として、「トップ(天皇)は常に同じだが、ナンバー2の為政者(将軍、補弼者としての内閣)はしばしば交替する」という統治形態に慣れてきた日本人にとって、天皇が同じでさえあるなら為政者が内閣から進駐軍に変わったところで、受け入れやすかったというのもあったかもしれない。
さて。アメリカは「民主主義を定着させたから日本はうまくいった」という認識なのだが、日本側からすると「天皇を助命してくれたからとりあえず後はうまいことやっとく」という感覚だったんじゃないのかな、と思われる。味方になった場合のアメリカの無闇やたらな陽気さ親切さに心許したというのも、まああるかもしれないが、感情論で総論を語るのは難しいのでそれは横に置く。
天皇の助命というのは、アメリカの本来の建前(戦争責任者の処罰)から言うと例外中の例外なんだろうと思うのだが、これをやったことが日本への占領政策を結果的には成功に導く下地を作ったと言える。民主主義は元々経験があったし、その前提となる法治主義についてはアメリカが考える以上に長い経験もあった。
鍵はやはり「天皇助命」にあったのではないか。
イラク戦争の占領政策は、長く「うまく行っていない」と伝えられてきた。実際、自爆テロなど武力に訴える抵抗が続いているのは確かだが、これについて言えば「頭を潰せば全てが従うはずだ」という、ドイツでうまくいったやり方を踏襲しようとした結果ではないか。
ドイツではヒトラーを潰す*13、関係者を処刑とした。ドイツ人はこれを「我々はナチスに騙された」として、ナチスに責任を全て押し付けることで精神的なバランスを保っている。*14
イラク人がドイツ人がそうしたように「全部サダムが悪いのだ」で納得できれば話はスムーズだったのだろうけど、イラクはフセインによって恩恵を受け、フセインを支持・信奉する勢力が残存したことも話を厄介にしてきた。そこにアルカイダとの共闘があったり。
フセインはイラクの「重し」としては十分機能していたとは思うが、昭和天皇のように助命して利用するには、いろいろアメリカ人的に看過できない悪事をやりすぎた。故に、処刑せざるを得なかったが、処刑した結果、反抗する勢力がひとつの組織として誰か一人の意志に従って行動するのではなく、無数の細胞組織に分散してしまったことが、またイラクの現状を厄介にしている。
64年前の日本の敗戦時、個人または数人のグループが武力反抗や要人テロを行ったとしても、実際に運用できた兵器は銃や手榴弾程度がせいぜいだっただろう。*15
一方、現代のイラクの場合、各種の武力反抗に必要なコストをまかなう後ろ盾が内外にあり、さらに個人が利用できる兵装武装の性能が64年前に比べて格段に向上している。
64年前にヘリを一撃で墜落させるロケットランチャーはなかった。
個人兵装の能力向上、武力反抗者が明確な指揮系統を持たない細胞組織に散逸、イラク統合の象徴の再構築の遅れ*16などなどが、イラク占領政策のうまくいっていないところかもしれない。
64年前にうまくいった日本と、現代のイラクとでは国柄も状況も違うし、ドイツとすらも必ずしも一致しないわけだが……。
ところで、ここまでの話はフセイン処刑以前の話。
フセイン処刑が皮切りなのか、因果関係があるのかどうかについてはわからないけれど、実は最近のイラクでは対米感情が良好になってきていて、イラク軍による自治治安のための準備や、イラク人の生活などについても好転してきている。
アルカイダがいろいろやり過ぎた*17こともあって、共闘関係にあったアルカイダとスンニ派武装勢力*18との間に亀裂が入り、アルカイダとスンニ派武装勢力は対立関係になっている様子。
また、武装勢力によるテロの横行はフセイン時代を思い起こさせるようで、「フセインよりは何が来たって遥かにマシ」という感覚がイラク人の間に芽生えつつあるらしい。
米軍も永久にイラクに留まるわけにはいかないので、何らかの「動く理由」を求めているのも確かだが、米民主党主導の議会の決定を受けての撤退だと、大統領の政策の失敗を認めることにもなってしまい、米共和党としては受け入れがたいところだろう。
もし、イラクの占領を緩やかに終了させるとしたら、アフガニスタンからイラクに戦力移転をしたように、「次の戦場への対応」というのは、いい口実かもしれない。
「戦争を口実とした点数稼ぎ」はアメリカに限らず古代からある国内統治方法で、それこそヒトラーもしばしばそれを用いていた。
アメリカでも、「戦争を始めるのは共和党、戦争を拡大するのは民主党」というくらいで、どちらの政権も戦争を政権維持や国威発揚に利用していたりする。
イラクの次の戦場としてアメリカにとってわかりやすくて都合がいい相手があるとすれば、今のところはイランか北朝鮮か。イランについては欧州各国との協調やイラクへの影響もあるところからなかなか難しいのだが、北朝鮮がどれほどアメリカ本土に対する脅威になるか、中国を牽制するコマになるか、日本へのリスクなどなどを考えると、こちらもすぐに腰を上げるわけにも行かず。
でも、「イラクどころではなくなったので」という口実は欲しいんだろうなあ。
占領政策から六者協議*19に辿り着いてしまったので、今日の所はこのへんで切り上げ。
六者協議を巡るBDA問題はこのところ興味を持って注目していて、アメリカの罠が非常に愉快なのだが、詳しく論じることができるほど情報収集ができない。
でも、「ここに歩を打って、歩を取らせて、桂馬を打って、退路を塞いで、」みたいな盤面の駆け引きが猛烈な勢いで動いているのは確か。BDA問題の背景*20などについては、国内の新聞が重要なソースをほとんど報じないので、外電に頼るしかなく、英語力が貧弱なのでなかなか自力で情報収集が進まないのが辛いところ。
なお、このエントリーは僕の英語力の不足、元記事に対する誤解、解釈についてのスタンスの違い、曖昧な記憶に基づくウッカリなどが含まれており、そのまま鵜呑みにするのは大変危険。
そういう考え方もあるか程度に受け流しておいて、このエントリーをきっかけに自分の考えを整理して膨らませるなり、長すぎるので思考閉鎖するなりして、精神的健全性を個々の方法で保つのがよろしいかと思う。「そういうことは最初に書け」という抗議については、(∩ ゜д゜)あーあーきこえないで済ませたい。blogってそんなもんだ(笑)
他人の意見というのは、そこに答えや真実が含まれているから読む意義があるのではなくて、自分と違う解釈に触れることで自分の理解力や想像力を拡張させるきっかけを得るために読む必要があるのだと思う。
言われたことをそのまま真に受けちゃダメよ、というのは要するに今我々がもっとも培わなければならない、いわゆるひとつの「メディア・リテラシー」というものを一言で言い表したもの。
信頼の置ける人のもっともらしい意見は、もっとも疑って掛かるべきもので、その意見に阿る場合もまず自分の言葉に置き換えて咀嚼する訓練は必要かもしれない。
これは実話怪談の書法上でも重要なことで、自分の基準に照らし合わせた一方的な拒絶と、相手への信頼に基づいた一方的な盲信は、鏡像関係ながら同質であると思う。
自分の言葉に噛み砕く、自分に置き換えて考える、自分以外の人間のモノの見方をなぞることで、他人の視点を追体験するというのは、心掛けていてもなかなかうまくできなかったりする。
人生コレずっと修行。
さて。
道楽はほどほどにして仕事しろってことでしょうな。
さあ、今日もいっちょ張り切って仕事しましょう。
特に遅れてるアレを一気に進める所存。
*1:自決といっても自殺のことではなくて、自らについて自ら決する、正にfreedomの意。
*2:安全保障はいろいろな要素を内包していて、一概に「軍事」とは位置づけられない。条約、共同宣言、経済的イシューなど様々な防御手段が混在する。
*3:ロシア(旧ソ連)は超大国からは後退し、今は普通の大国。中国は発展途上の大国だが、超大国の座にはまだ及ばない。日本は経済大国だが、安全保障関連では超大国とは言えない。
*4:米ソ冷戦
*5:アメリカ側呼称が「太平洋戦争=Pacific war」、日本側呼称は「大東亜戦争」で、第2次世界大戦という場合はヨーロッパ戦線も含めてしまうので、ここでは敢えてアメリカ視点「太平洋戦争」と呼ぶ
*6:この定義も難しいのだけれど、敗戦国の戦争責任者を吊すところまで持っていった、という意味で言うと、ベトナム戦争は南ベトナム=アメリカ側は撤退しているし、朝鮮戦争は休戦状態であって勝ってはいない
*7:進駐という言葉は日本で戦後に作られた造語で、実質的には米軍駐留
*8:孫文をして、この10年間は「日本が唯一植民地になっていた時代」。他国の内政干渉を受け、自国について自国民が決定できない状態だったわけだから、孫文の指摘は実態を示すものとしては正しい。
*9:吉田茂はうまいことやったと思うし、それを継承した岸信介もうまいことやったと思う。所謂学生運動は岸信介による安保条約の更新に反対するものだが、たぶん当時の学生(今年からリタイアする団塊世代)に「なぜ反対だったのか?」を理論的に説明せよと言ったら、きちんと説明できる人はほとんどいなかったのではないか。
*10:普通の国家にとっては、自国の安全保障は自力ですべき義務である
*11:朝日新聞の誤訳に基づく報道については、新潮新書の「「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった」(多賀敏行,2004)が詳しい。
*12:習熟期間を大政奉還後の1868年から敗戦の1945年とするなら、確かにたった77年。フランス革命からの歴史を持つ欧米諸国と比べれば短いだろう。
*14:日本の戦犯も生け贄として処刑されているのだけれど、戦犯を靖国神社に合祀して追悼しようという主張は日本国内からの発案、署名活動を経て、共産党まで含めた議会の全会一致で可決承認されている。「死んだら許される」という文化及び、死人を畏れる文化故かも。
*15:艦船・車輛はもとより、供給や整備にコストが掛かるものを利用できるような後ろ盾がないから
*16:日本で言えば、日本国憲法にも引き継がれた「日本国民統合の象徴」に相当するものが、イラクにはない。余談だが、権威と権力の双方を大統領が兼務する国と、権力を為政者に持たせる一方で権威を王に持たせたままの国(イギリス、タイ、日本などの立憲君主国家)とでは、立憲君主国家のほうが圧倒的に安定しているのだそう。王を捨てた国にとってはいろいろ羨ましい話でもあるらしいが、改めて世襲の王を任命して権威を与えることもままならないわけで、大統領制の国々はそういうジレンマを持っていたりするらしい。
*17:一般のイラク人を大量に巻き込んでの自爆テロや、化学兵器を用いた無差別テロなど
*19:六者協議は、Six-PartyであってSix country partyでもSix nation partyでもない。これは北朝鮮を国として認めていない国も参加しているからなのだろうけど、日本国内では「六カ国協議」と訳されている。日本は日韓基本条約を締結したときに「朝鮮半島の正統な政府は韓国政府」と認めているので、北朝鮮は韓国国内の叛乱勢力という認識のままで、国としては見ていないことになっている。これは中国が台湾を「中華人民共和国台湾省」と言い張るのと同じような理屈だが、一応これが国の公式見解。でも、日本国内の報道の多くは北朝鮮を国と認める六カ国協議という言い方をしている。