迂闊に発表できない日
最近は超-1や「超」怖い話やその他いくつかの進行中の事案について、結構重大な情報が蓄積されてきてる。
のだが、今日は日付が日付なので迂闊に何か発表すると「またまたー」と言われてしまいかねないので、発表できない(^^;)
だいたいね、エイプリルフールにつく嘘は「えっ!」と驚かされるけど、バレたときに「ほっ」とする嘘がいいんであって、「えっ!」と喜ばせておいて、「なんだよ」とがっかりさせる嘘というのはよくないのだそう。
かといって、「えっ!」が困惑するような恐怖や危険を伴うものである場合、その度合いや頻度の選択が難しい。
「奥さんが事故に!」「えっ!」「なんちゃってー」
というようなものは、その場ですぐにネタバラしをしないと後々禍根を残すし。
かといって、瞬間芸的にネタ明かしをしなければならないような嘘というのは、騙されてる感の持続性に乏しい。
驚かされ、「ありえない。でももしかしたら」と期待を持ち上げられ、あり得る選択肢のどれかを選びきれずに悶々とし、自分の中でだけその問題をこねくりまわし*1、一日の終わりあたりに、「あ、やられたー」と笑って胸をなで下ろす。
そのくらいの持続時間のある嘘がいいんだろうな、と真面目に考察してしまうあたり、嘘に向いてる人間と向いてない人間がいるのだ、ということだろうか。
そういうわけで、世の中の誰よりも誠実であり真っ白な腹を持つことを誇りとする僕としては、今日は終日沈黙を守りたいと思う。
うまい嘘とは虚実入り交じるもので、すべてが虚構のみで構築された嘘は容易に見破られやすい。
実在する地名・人名・作品名を取り混ぜ、話の途中にまでは本当のことを語り、ほんの一瞬「あってもなんの不自然もないが、しかしそんなことあるだろうか」という違和感を感じる嘘を混ぜる。
そういう嘘をつける人間に私はなりたい、かと言われたら大変悩ましいのだが、よくできた小説というのはそういうものかもしれないね、といったら叱られるでしょうか(^^;)
「検証できないけど恐らくは本当」という体験談だけを使って再現話を書いているのに、全てが虚構だと断じられてしまい兼ねない不遇なジャンルを生業にしているが故の嫉妬でしょうか(^^;)
本日は、エイプリル・フールです。
しかし、以下は天地神妙に誓って真実。
東京はよく晴れて絶好のお花見日和。
午後は若干曇ってきます。
お花見に行く人は美味しいお酒と肴を忘れずに。
*1:これ重要で、「らしいよ!」と流言飛語的に伝達されることを望む嘘もあるのだろうけど、「四月馬鹿だったよ!」という追っかけ情報は、初報ほどには伝わりきらない上に、真に受けた人間に激しく恥を掻かすw