絆創膏

昨日の晩飯で、サラダとしてアボカドを出した。
まだ熟しきっていなかったようで、種がなかなか取れない。
あれこれほじくっているうちにペティナイフで左手の小指を切った。
傷は浅かったので、小さな絆創膏をひとつ巻いておいた。
血はすぐに止まり、痛みもない。
水仕事をあれこれして、そのまま半日ほど過ごす。


昼食後。
ぼちぼち傷口も塞がっただろうと思って、絆創膏を剥がしてみた。
傷口とその周囲が白くふやけていた。
そういえば、風呂に入ったとき。ささくれがあるとそこが白くふやける。
プールや海で泳いでいるときもそうだ。
うっかりサンゴを踏んでできた傷口が、浜に上がったときには白くぶよぶよしたほつれに変わっている。
ほんの数十分でこれだ。
つまり、今更言うことではないけれど、人間の身体は柔らかく、その皮膚は水分を多く含む。スポンジのように、僅かな水分も吸い込んでふやけていく。
これからの季節――
海で、或いは川や湖での水難事故が増える。
望むと望まざると、水の底に吸い込まれていく人がいる。
そうした人々は、胃袋に肺腑の奥に水を飲む。
それだけではなく、その他の穴という穴から水を吸い、全身の皮膚という皮膚からも水を吸う。
改めて、絆創膏の下のふやけてぶよぶよした切り傷を見つめる。
もし自分が海で溺れたら。溺れたことあるけど。
溺れて意識を失い、命も落としたら。
水分を吸い込んだ死体は一度海中に沈むのだという。
その後、体内の水没していない僅かな空間が腐敗を始める。
腐敗によってガスが発生すると、死体は再び浮き上がり始める。ガスを浮力として。
ふやけた皮膚の表面は、ごわごわぶよぶよと何層もの皺を作っていて、元の顔も元の身体も見分けが付かない。
もっとも、その頃には元の顔形は残っていない。
まず目玉がなくなる。瞼、耳、小鼻。そうした柔らかいところは、水を吸ってさらに柔らかくなっている。
それらを小魚たちが突く。
噛みついて、身体を捩るとふやけた皮膚や肉は簡単に引きちぎることができるだろう。
その小魚を狙って、もう少し大きな魚が集まってくる。
死体は撒き餌となって魚群を寄せ付け続ける。
水面近くに浮いている死体に群がる、魚、魚、魚。
豊富な魚群を狙い、海鳥が集まってくる。
カモメ、カツオドリ。そうした連中はまるで海のハゲタカのように海上を舞う。
やがて漁師がそれを見つける。
――海の何もないところに鳥が集まってるとき、そこには魚がいるんだ。群れなしてるんだ。
漁船が集まってくる。網が引かれる。
その網に、ようやく遺体が絡め取られる。
引き揚げられた遺体を見て、漁師が顔を背ける。
それは白くふやけ、柔らかい場所など何も残らないほど食い荒らされ、腐ったガスの臭いにまみれ、漁網に絡んだ髪は頭皮ごとずるりととろけて落ちる。



絆創膏を剥いた痕を眺めていて、そんな場景が頭に浮かんだ。
僕は子供の頃、海で溺れたことがある。
幸い、そのときは死なずに済んだ。
ちょっとした、白日夢的な思い出と妄想。