編集者として

最近は書く仕事が圧倒的に多くなってきているけれど、別に今も編集者の看板を下げたわけではない。
どころか、文庫でも編集者的な視点からの仕事をする機会はますます増えている。
仕事でなきゃ怪談なんか誰が! と相変わらず思う反面w、怪談を書く人と接する仕事をまた面白いと思う自分もいる。このあたりのねじれがいろいろ厄介だ。
怪談に限ったことではないんだろうけど、良い文章を書く才能を持つ人の才を愛する編集者としての自分と、同じ才を求められる書き屋としての自分が自分の中で拮抗したりすることも、あったりはするわけだ(^^;)
書き屋として現役であるが故にライバルの出現に恐々とし、同時にその才に編集者として惚れて惚れて惚れ込んだりもする。
このジレンマ、この葛藤。
なかなか説明しがたい(^^;)


振り返ってみれば、師匠の一人である樋口明雄氏に誘われて「超」怖い話に関わったこと、その中で平山夢明という書き手が、どんどん変化していく様を間近で見られたことも、編集者冥利に尽きることだったように思う。
超-1を経てからは、埋もれていきそうな人を見付けその背中を押すこと、その人をカタパルトに座らせて空高く打ち上げるという仕事については、結構満足しているし一生の仕事は実はこっちか、と思ってみたりもする。
多分、僕には表舞台はあんまり合わないんだと思う。
カタパルトから射出された人々が自力で飛んでいけるかどうかはその人次第なのだけれど、飛び方と飛び続け方、空中給油のやり方、そういうことを離陸前に教え込んで、補給も修理もやるよ! という航空母艦搭乗員みたいなそういう立ち位置が、多分僕にはパイロットよりも向いてるんだろな。


久田樹生を世に送る手助けをし、松村進吉の尻を叩き。来年には雨宮淳司という隠し球、或いは個人的に惚れ込んで無理矢理カタパルトに引き出した機体も、ロールアウトを待っている。
さらに今年の覇者も。
甲板上駆け回って次々にテイクオフさせたいという気持ちが、ますますもって強まっている。
よい機体、よいパイロットに恵まれた。
これを活かさなければ罰が当たる。


今年は怪談以外の本も打ち上げたいんだけど、そのチャンスが回ってくるかなあ(^^;)