黄昏

40歳になって最初の仕事が黄昏。
なんだか暗示的だ。


大泉洋の名言に、こういうのがある。
「ね、寝れないんだよ。バスに乗っているときが本番なんだよ」
すでに発売された怪歴や、今秋発売の怪記、そして今手がけている傑作選などのように、「自分の著作ではないけど監修をする本」というのも、ちょっとそれに似ている。
細かいところをすっ飛ばして言うと、
「読んでるときが本番なんだよ」
とゆーことである。今年の怪コレについて言えば、今がまさに僕の本番なのである。


「ありものを選んでまとめるだけ、監修とかいって名前を貸してるだけ。楽な仕事」
……という人がいたら、ちょっと説教してやるからそこに正座しろ、と言いたくなる。
傑作選の場合、確かにその第一の仕事は選ぶことなのだが……何しろ去年は530作近く。今年だって400作以上ある。そっから選ぶためには、読み直さないとならないorz 凄い勢いで。
「作品別ランキングを作ってんだから、上から順に選ぶだけだろう」
……という人には、ビリー隊長のとこで揉まれてこい、と言いたくなる。
単純に点数が上にいなくたってスゲー話はあるのである。
そういう捨てがたいのどどうやって活かすか、ということに悶々としたりもする。
文章が及ばなくて点数が伸びなくても、話はスゲー! というのはあるし、文章でいじくりすぎorzというのもある。
ましてや選ぶだけでもないんである。
時間との闘いの部分も大きく、選んだ作品に丁寧にカンナ掛けをし、角を落とし、或いはエッジを鋭く削り直し、丸みを付け、すべすべにしたり、ざらっとした仕上がりに直したりもする。そういう作業が実はすごーく時間も労力も掛かるのだが、そういう作業は見えないんである(笑) 世の中の「監修」という仕事をしている人は、きっとそういうことをやってると思う。多分。
好きなの選んで編集さんに投げて後は夜露死苦なんてことは絶対にやってないに違いないのである。


傑作選の監修というのは、自分で書くのとはまったく別種の仕事であることは間違いない。
じゃ、自分でゼロから書くのより楽かと言われたら、たぶんそれは全然違うんじゃないかなー、と。
どっちが楽、どっちがしんどい、どっちがえらい、どっちがずるい……これはそういうデジタルな二択ではない。
世の中にいろいろな仕事があるように、著述と編集の仕事の性質の違いや、難しさしんどさ、楽しさ醍醐味の違いというのはあるんじゃないかと思う。
両方やってて思うのは、どっちも大変。どっちもおもしろい。
編集者を経て作家専業になる先輩方は多いのだが、書き手の仕事をピンでさせていただきつつ、同時に編集/監修的な仕事もさせていただけるというのは、僕にとっては学ぶところが大きい。いろいろな段階にいるいろいろな著者の書いたものに触れ、それらを峻別したり或いは手直しをする手伝いをさせていただいたり、時にはそこから影響を受けて自分自身の作風を変えていったり。
超-1は著者者一同の修練の場であると同時に、それを傑作選にまとめる僕にとっても大きな修行の場であるように思う。その意味では本当にありがたく、かつ無駄がない。
何しろ、僕の場合は天稟がないもんだから大変なのである(´・ω・`)
一生是勉強也。


年内は「書き屋」としての仕事はたぶん10月頃から再開。
それまでは監修/編集の仕事に専念。


……専念できたらいいな。