友引

mixiに、加藤一補完機構というコミュを作っていただいている(のだが、寡作な上にマイナーですので基本的には閑古鳥がw)。
今、ふと気付いたのだが、11/26に設立から1000日目になるらしい。
わあ、すごい。というか、けっこうすごい。
しかも11/26。
友引だよorz


まさかこの日の友引狙いで1000日前に作られたんだとしたら、それはまたそれですごいw


六曜というのは二次大戦後になってから爆発的に流行したものなのだそうで、七福神同様、大陸から渡ってきたり国内で意味が変わったり、字面も変わったりしながら脈々と続いているものらしい。
その中にあって、縁起が悪い日として広く知れ渡っているのは仏滅だが、もうひとつ「友引」と言えば「その日に通夜や葬式をしちゃいけない」というこれまた縁起のよろしくない日。
字面から、この日に葬式などをすると「友を引く」「縁故知人を巻き込む、引き込む」からよくない、とされている。


怪談を仕事なんかにしていると、やっぱりいろいろ引くっていうことはあるのかもしれないなあ、と思うときがある。
不思議な話で、長いこと怪談をやってて、「自分に何か累が及んだ」ということは、ほとんどないような気がする。嫌な目に遭ったというのがゼロということはないけれど、自分自身が致命的に何かっていうのはあんまり覚えがない。まあ、弩2のときのアレくらいか。


だけど、自分じゃなくて周囲に累が及ぶっていうのは、案外多かったのかもしれない。例えば、親兄弟に累が及んで親が大怪我をしていたり、弟が事故ってたり、嫁が失業していたり、離婚したり、などなど。僕が関知しているだけでも結構ある。関知してないものを入れたらどれほどになるのか。
もちろん、そういう「よくないこと」の多くは、僕とは無関係に起こるものであって、別に世の中の全て身内の不幸の全てが僕の仕事のせいだとは、少なくとも僕は思ってない。
でも、「あいつがそういう仕事をしやがるから、友引かれてるんじゃねえのか」くらいの恨みは買ってるかもしれない。


怪談の効用のひとつとして、「とりあえず、よくないことは幽霊のせい」というのがある。原因が自分にあるようなことであっても、「これはタタリだ、ノロイだ、幽霊だ」と、他に外的要因を求める。それが的中しているかいないかを論証することはほぼ不可能だ。責任を押し付けられる幽霊側としたら「それも俺かよ!」的に迷惑千万かもしれない。けれど、「それは○○○のせいなのだ!」と、自分以外に原因を見付けることができると、人はちょっと安心する。問題はなにひとつ解決していなくても、「自分が原因ではない」というだけで、気分が落ち着く。
後は、御札や御祓いやお清めといった各々の方法論で「対処」する。
それが効くかどうかは大きな問題ではなくて、「するべきことをした」という自分への言い訳のためにする。
「俺は御祓いを受けたから、俺のせいではないはずだ」
「俺はお守りを持ってるから、俺のせいではないはずだ」
まあ、僕はあんまりやってないので「何かあったら俺が引き受ける」くらいのつもりではいるんだけど、やっぱり僕に来ない。回りに行ってるっぽい。


うーん。
僕のせいでよろしくないことが起きている人がいたらスミマセン。
原因不明の腹痛でこの一週間こてんぱんになっている家人とかスミマセン。でもそれ、きっと僕のせいじゃない。たぶん。