夫婦喧嘩のネタが初音ミクw

何%かはフィクションw


今年は夏の終わり(9月)からこっち、初音ミクづいている。いわゆる「ふるみっく」状態が続いている。iPod touch初音ミク占有率は3.7/16GB。残りは2GBあるかないかなので、すでに1/4以上が初音ミク、関連。


主にオリジナル曲を聴き集めつつ、気に入ったものはカバーも聴くというスタイルなので、知らない既存曲やMADの全てにはさすがに手が回らないというか、そこまで手を回したら仕事にならんw
それでも、ミクオリジナル曲は相当網羅している自信が(ry


さて。
で、最初の頃は、「サンプリング音声でここまで歌えるようになったんだ、スゲー*1」というのが大きかった。
なので、
【既存曲を歌わせてみた(カバー)】
【既存曲の替え歌(アレンジ)】
が多かった。とりあえず、アリモノの歌、アリモノに別歌詞を付けたものを、初音ミクに歌わせてみる、という感じ。


そのうちに、
【自分の書いた曲を歌わせてみた(オリジナル)】
初音ミクに歌わせるために新曲を書き下ろした(ミクオリジナル)】
というのが出てきた。
カバーとアレンジは、どちらもJASRACの主張する権利に抵触する恐れがあるグレーなものという認識なのだが(しかしJASRACの主張にも疑問が多いのだが)、これらのオリジナル/ミクオリジナルは、そうしたJASRACの拘束から解放されたJASRACフリー曲と言える。
もちろん、作者の著作権は守られるべきだし、日本の著作権法では著者が著作権を放棄することはできないのだが*2、著者の緩やかな了解のもとで「他人が歌う」「他人が再アレンジ」などがJASRACに気兼ねすることなくw自由にできるようになったという点が非常に大きい。
一言「真似」「パクリ」と言ってしまうと、独自性・オリジナリティがない、人のものを勝手に使っている、などなど、どちらかというとネガティヴで低い評価のようなニュアンスを持つ。
「真似」が高い評価を受けにくいのは、オリジナルの評価を横取りするようなイメージがあるからだろうなとも思う。


でもその一方で「すでに高い評価を受けているオリジナルに並ぶほどそっくりに作る」というのは、一言で真似といってもなかなか難しい。
真似は真似でそれなりに高いスキルが必要だ。美術品の贋作を例に取ると、贋作はもちろんオリジナルの模倣であるわけなんだけど、色遣い、筆致、絵の具の盛り具合といった全てを完全に模倣したハンドメイドの贋作というのは、それはそれで高く評価されたりする。欧米の美術館などでは、画学生がイーゼルとキャンバス持ち込みで名作の模作をやったりしている。真似ることで原作を理解したり、原作画家の技術を獲得したり、といろいろ得るところが大きい。

デジタルデータをただコピーしたものを、「自分の作だ」と言い張ったら、それはもはや真似ではなく「権利と評価の窃盗」になってしまうが、別の技術的蓄積を経て行われた「技術検証のための模倣」は、「評価の窃盗」とは分けて考えるべきだと思う。


脱線した。
で、そうした「初音ミクに歌わせるために書き下ろされた新曲=ミクオリジナル曲」を、ウホウホと聞いていた。
だいたい、一日に12〜30曲くらいリリースされる。最初のうちは無差別に保存してたwのだが、10〜11月頃は

  • 曲そのもの完成度/期待度/趣味(好み)
  • 初音ミクの歌唱力の調教(調整)の完成度
  • オケの演奏の完成度
  • 歌詞のメッセージ性やインパク

このあたりを吟味して残すかどうかを決めるようになった。
どんなものでもそうだけど、量をこなすと素人でもそれなりのスペシャリストにはなっていくもので、曲そのものの完成度(期待度)は、コードの種類、Aメロ・Bメロのバリエーションなどの全体構成が聞き分けられるようになってきた。趣味(好み)について言えば、僕は音楽に関しては悪食なほうなので何でも聴くのだが、「テクノ」「フォーク」「ブルース」「ジャズ」「スウィング」「アイドルポップ/デジポップ」「バラード」「エレクトロニカ」が好きらしいことが改めてわかってきた。別にアイドル好きなわけではないけど、FAIRCHILDとか「アイドルボイス」は好きだったなあ、とか。

初音ミクの歌唱力っていうのは、実は「初音ミクという楽器を如何にうまく演奏できているか」という、演奏技術の評価のような気がする。もちろん、初音ミクの実体は「打ち込みで使うサンプリングデータ」に過ぎないわけなんだけど、人間の音声は極論すれば非常にデリケートなニュアンスを再現できる究極の管楽器と言えないこともない。声帯の大きさ太さ長さ、性別、年齢などで変化する楽器だ。
サンプリングされた元のデータ*3の発声を、ただそのまま使っただけでは楽器としては不十分であるわけで、それを弾きこなす演奏者の技術=初音ミクの歌唱力であると思う。しかもそれは、リアルタイムに演奏するフィジカルな演奏技術ではなくて、耳と目と情報を元に修正していく指揮者と技術者の中間のような技術。耳がよくなきゃ話にならず、音をデータとして理解していなければ思い通りの歌唱を再現できない。曲がいいのに「調教がイマイチ」というのは結構多い。

例で言うと、

  私の時間(初録り)
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm1371651
  私の時間(完成版)
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm1340413

歌唱の調教&オケのアレンジでこんなに変わる。これは初録りのレベルも高いのでわかりにくいかも。もひとつ別の例を挙げると、

  夜祭
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm1439898
  夜祭(完成版)
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm1581906

このくらい違う。これは違いすぎwだが、調整を重ねていくとこのくらい進化する、という例で。


オケの完成度は「初音ミクの歌唱力の調教」に通じるものがある。打ち込み系のオケは個々の音色の特性を理解していなければ使いこなせず、作者自身の曲そのものへの理解が不十分なら目が行き届かない。
加えて、オケを打ち込みではなくて作者自身が生楽器を演奏しているケースもある。これはもう、演奏者のフィジカルな演奏技術の習熟度がモロに出る。

そして歌詞のメッセージ性。
音楽は何かを伝えるために存在し、メッセージに情感を込めるために音色やメロディやその他すべての音楽要素がある。「歌わせる」のだから、そこに伝えたい何かはなければならない。数百曲も聴いていると「ありがちで空虚なメッセージ」はすぐに見透かされてしまう。一方、「定番中の定番であたりまえのことしか言ってない」ように聞こえる歌詞に、深いメッセージが潜んでいたりすることもある。


初音ミクという楽器が奏でる、作者のオリジナル曲」を楽しむという聴き方をしてきたのだが、最近はさらに次の段階に進みつつあることを自覚し始めた。

【ミクオリジナルを歌ってみた(歌唱)】

初音ミクのために書かれた曲を人間が歌う。いわゆる「人類の逆襲」とも呼ばれる、歌ってみたというムーブメント。

ニコニコ動画が原初ということもないと思うが、底歌があってオフボーカルの音源、つまりカラオケがあれば、自分も歌ってみたいという衝動に駆られるのは自然なことだ。
歌いたい衝動がどういった理由で発生するのかを改めて考えてみたことってあまりないのだけど、
「歌詞をリスペクトしてるから」(賛同)
「歌唱の難しいメロディを攻略したい」(自己満足)
「オリジナルの再現度を高めたい」(自己満足)
「それを評価されたい」(自己満足)
このあたりは、「永久に続く五線譜(http://jp.youtube.com/watch?v=p1awPCT0SXc)」という曲が非常に的確に指摘していると思うのでそちらに譲るとして、やはり「うまく歌える=ハーモニーに快感を感じる」というのが、(うまく歌える人にとっての)歌う、歌いたいという衝動の根源かもなあ、と思う。


で、ミクオリジナル曲に対してもそうした衝動は働く。
ミクオリジナル曲というのは人間が歌うことを前提にしていない曲が結構ある。特に、神曲・良曲・傑作曲と呼ばれるヒット曲には、そういう傾向が強い。
人間が歌唱するには、やはり「よく、安定して音の出る声域」というものがある。これは人によって違うし、多くの人は(それはプロも含めて)自分の得意な音域でメロディが上下するだけで、極端に低いキーから3オクターブ以上も跳ね上がるような高いキー、半音、スラーがかかるような微妙なキーの変化を満遍なく使いこなせる歌手は、そう多くないと思う。
だから、その歌手にとって楽で歌いやすい音域のフレーズが繰り返し使われる。そうしたものは「○○○節」のように言われ、サザンなら桑田佳祐に楽な音域、中島みゆきならみゆきさんの好きな音域、槇原敬之ならマッキー好きな音域というのができてくる。これは平井堅でもスガシカオでも小室哲哉でも皆同じだ。
だから、カラオケ自慢の歌い手は自分の声域に近くて、無理をせずに気持ちのいい音が出せる歌手の曲に惹かれていき、それを持ち歌とする。*4

ミクオリジナル曲はそうした「カラオケ自慢程度」の歌い手では乗りこなすことができない、高い歌唱技巧力を要求する曲が多い。何しろ歌うのは初音ミクというソフトであって、作者が望んだ通りの入力と調整ができるなら、フィジカルな歌唱技術は不要だからだ。
これに人間が挑戦するのは、非常に難しい。

極端な例だが、「初音ミクの消失http://jp.youtube.com/watch?v=jtk6Y8odvXI)」のように、作者自身が「やりすぎた」としているような超早口曲もある。一方で、それを乗りこなそうとする人間もいる。「初音ミクの消失〜青もふVer.(http://jp.youtube.com/watch?v=ttq6KWQwYOM)」ほとんど、モデムの「ポポポポポポ」という音にしか聞こえないが、確かに歌えてる。人間スゲーというか、人間という管楽器の底知れなさというか。*5


初音ミク前提の、歌手に遠慮せずに広い音域を使いまくって作られた曲。これはつまり、歌手の身の丈に合わせてリミッターが掛かった曲ということではなく、そういったリミッターを一切解除して作られた曲ということでもあるわけで、そこまでできるなら、そりゃ音のバリエーションの広い曲にもなろうというものだ。


もちろん、曲もオケも歌詞も、そこまで揃った曲となるとそう多いわけではない。それをまた乗りこなせる、乗りこなした上で自分の持ち歌のように歌い、またさらに聴く人間に二次的三次的な快感を伝達できる歌い手となればさらに少ないだろう。
何曲かについては、「これはプロの○○○が歌ってるのを聴いてみたい!」と思った曲もあるけど、おそらくそれは洒落のわかるプロによるプライベートな機会か、ライブの余興か、そういった限られた機会でなければ実現は難しいだろうし、それ以上を望めばJASRACの網に近付きすぎることにもなる。


プロと同等以上の歌唱技術を持っていて、なおかつプロじゃなく、洒落のわかる歌い手。そういう人が、ミクオリジナル曲というとんでもないじゃじゃ馬を乗りこなすことができる、と言える。


話は戻って、最近の趣味。
ミクオリジナル曲でいいのをチェック。
それを底歌として歌いこなす歌い手をチェック。
いい曲を書く作者を追いかけ、歌いこなす歌い手の成長を追いかけ。


初音ミクというソフトは「歌い手がいないコンポーザー」のためのソフト、という位置づけで認識してきたけど、それに加えてコンポーザーのリミッターを外し、楽曲の幅を大幅に広げるソフトであるのかもしれない、と思うようになってきた。
その結果、歌いこなせる人間の歌い手を見付けるのはさらに難しくなった反面、それを乗りこなせる歌い手が発掘されたときの喜びは、十把一絡げのメジャーの新人を見るより、ずっと嬉しかったりもする。


目下の悩みどころは、iPod touchの容量圧迫に立ち戻る。
Classicなら容量に不安はないんだろうけど、touchの操作性になれるとClassicに戻る気に全然ならないorz
今のペースで行くと、来年の半ば頃までには僕のiPod touchiPod miku専用機になってしまいそうな気が……orz





標題にある「夫婦喧嘩のネタが〜」というのは、初音ミクを巡る音楽(と、その周辺)にのめり込んでいる僕と、「人間が歌うのじゃなきゃ納得いかん」的な見解のライブ好きの家人との意見衝突w。
そりゃー、時間と金にゆとりがあり、歌ってみた系の歌い手が近場で頻繁にライブやってるんだったら、僕だってそれに行くワwww
金とヒマがなく、なおかつライブの可能性は限りなくゼロに近く、しかしネットで毎晩新曲リリース、そうなったらそっから堪能するしかないわけで、そのへんは音楽性の趣味の違いと環境の違いをどこまで許容できるかで分かれてくるところなのかもしれない。

ニコニコ動画はほとんど初音ミク関連しか見てないッスよ(それ以上見たら仕事にならないから)

*1:その手のサンプリング音声歌唱ソフトが15k円というのも安くなったなあ、という感心と

*2:譲渡できるのは出版権、上演権、複製権などを始めとする著作隣接権

*3:声優:藤田咲

*4:ちなみに僕の場合はCHAGE and ASKAの飛鳥の声域がピッタリ。

*5:後に「初音ミクの消失」の作者が「歌えることがわかったので」ということで、カラオケ用オフボーカル版をリリース、以後、「歌い手の早口、滑舌の正確さを測る指針としてよく歌われている