先頃、「超」怖い話と縁のある方のお身内にご不幸が一件あった。
そんなことがあったばかりなのだが、本日またしても雲行き不確かな話が飛び込んできた。これもまた「超」怖い話と縁のある方の身体生命に関わることについて。万一にはまだ至ってはいないものの、予断を許さない状況であるらしい。
何分にも、実話怪談は輝かしくも誇らしい仕事ではなく、どちらかといえば忌み仕事に入る。忌まわしければ忌まわしいほど価値が高いと言われてしまえばそうなのかもしれないが、それに纏わる事をあまり誇らしく書くわけにもいかない。
怪談に関わっていればそれは勲章のようなもの、日常茶飯事だろうと仰る方もいらっしゃるかもしれないが、当事者やそのお身内にとってはいずれも不慮の事態であり、とても飯の種の権威付けなどに言う気にはなれない。だからこれは、愚痴であり怯えであると受け取ってもらって構わない。
一度だけならそういう偶然もある、と言えよう。
一度で済まないのはなぜだ。考えすぎなのか。こじつけすぎ、気にしすぎなのか。


知っての通り、「超」怖い話は御祓いをほとんどしていない*1
が、個人的に毎年年末の神様チャージ、氏子札だけはもらうことにしている。実話に纏わる仕事に入る前と終えた後には、御神酒を上げている*2。オカルトと言われても迷信深いと言われても致し方ない。その都度、無事を念じてはいる。
願わくば贄として彼岸に連れ去られる人が身内からも、チームからも、我々と縁ある方々の間からも出ませんように。


そして、僕の番はできればまだもう少し先でありますように。

*1:竹書房に移ってからは「超」怖い話としてはほぼ皆無で、勁文社次代は数回行っている。「超」怖い話としてはないが、「弩」怖い話では弩2 HomeSweetHomeのときだけ、妖弄記と合同で御祓いに行っている。

*2:忌火起草などのように実話ではない仕事ではしない。