【評価償却】を考える――権利、システム、心理について
例の出口論というか評価を換金する話は、主に課題となる点の洗い出しをちまちま進めている。
「評価を換金する」という生々しい表現を使うと、どうしても心理的にブレーキが掛かってしまう*1向きもあるようなので、敢えて「評価償却*2」と呼ぶことにしとく。
で、この評価償却の課題を大きく分けると
・権利(利益配分)をどうするか*3
・システムをどうするか*4
・心理的障害をどう越えるか*5
の3点と、そのディティールの掘り下げになるような感じ。*6
これについては、「良いと思った最善の方法を提案する」というのは現時点ではまだ時期尚早なので、「それぞれの課題について、さらにどういった問題点や意見、解決しなければならない点があるか」についての洗い出しのみをしている。のだけど、いろいろ広がっちゃって収拾付かないので棚上げになっている(^^;)
これに関連して、先だって、Web関連のSEをやってる友人と酒の入るディスカッションをした際に出た話の覚え書きは次の通り。
「無償公開されたコンテンツを作成するのに掛かる労力は、金銭に換算されていないだけであって、決して無償ではない」
「インフラ(この話題の場合で言えば、ピアプロ、zoomieやニコ動など発表の場)の使用料は無償ではなく、インフラ提供者が事業者の場合、利益を生まないサービスは先々整理縮小の対象にしかならない」
「無償コンテンツの魅力によって人を集め、集めた人に対して広告を見せる(=広告収益型)のビジネスモデルは、事業的には上限があって将来的にはというより現時点で既に事業スタイルとしては魅力薄(ポータルサイトであることを売りにしたサイトが、なぜ次々に淘汰されるのか)」
「広告(=企業など、余剰投資力があるところから収益を上げる)から収益を上げるビジネスモデルを選ぶ限り、広告募集やそれを捌く窓口としての「広告代理店」の力は維持・増大される。それこそ、電通/博報堂やJASRACなど中間搾取勢力の拡大を憎々しく思っている一方で、そうした中間搾取ビジネスの仲介者に力を与える広告収益で無償サービスの維持を贖っていくというのは、大いなる矛盾がある。結果、広告主や広告主を集めてくる広告代理店の発言力が増し、コンテンツ・インフラからの制限や締め付けが厳しくなってしまう(=無償コンテンツ提供者や受益者の発言力は相対的に低くなる)ことで、自分の首を絞めることになってしまう」
*7
などなど。
平たくぶっちゃけて言ってしまうと、これはすでにエントリにも書いた一文だけど、「タダで遊べる遊園地の従業員がタダ働きのままだと、そんな遊園地は早晩には閉鎖に追い込まれる」という話。
遊園地の事情など知ったことか、潰れたら次の(別の)タダの遊園地に行けばいい、という焼畑農業的な感覚でいると、最初の倒産を見た同業他社は次々に事業撤退に走りかねない(だいたい、こういう事業って、先行大手が潰れた途端に同業他社が一斉に転身するし)。
遊び場を大切だと思うなら、自分で血肉を削って維持する方法を考え、少なくとも胴元(=場の提供者)にもある程度のうまみがあるっていう形を考えないと、続いていかないよね、そうだよね、というあたりでアルコール摂取量がピークに達した。
胴元を儲けさせること=悪と考える思考というか宗教のようなものがあるが、その「稼ぐ=悪」という哲学は、無償公開されたコンテンツについて、それを制作するのに掛かった労力を評価する*8ということにまで及んでいるきらいがある。「金に手を付けるな」という宗教的制限は、その労力が評価された人・作品への評価償却の障害になっているのではないか、という気はした。
胴元に儲けさせてなるものか、という一種の憎しみwは、一連のドワンゴ/DMP*9争議*10が尾を引いた結果なのだろうなと思う。コンテンツ作成者=楽曲動画作者へ評価償却を行おうとすれば、現状ではその仲介役は胴元に任せざるを得ず、そこで仲介役が僅かでも利益を得るということについて嫌気を感じる人も少なくないのだろう。
少数の人気コンテンツの作者に利益が集中することについての嫌悪感*11は、人気コンテンツの作者への羨望が憎しみに変わってしまう例かもしれない。ヒットして有名になると、途端にアンチが湧くのは、そのわかりやすい実例。
個人的には、「努力した、評価された人が、それに見合った評価償却を受けるのは当然であり、そうした評価償却というご褒美はむしろ積極的にあるべき」と思う。
「なくて当たり前、もらえたらラッキー」だからこそ、もらえたときが嬉しいのだが、「もらえて当然、もらえないのは不公平」という怨嗟を含んだ「結果の均等」を強く求める人が多くなりすぎると、評価されるべき人が萎縮して制作意欲をもなくすのではないか。「もらえない人がやる気をなくす」というのが実体としてあるんだとするなら、「もらえて当然」という考えが根底にある場合かもしれない。CGMは「もともともらえないもの、もらえたらラッキーなもの」という心理の上に成り立っているはずだが、「もらえると嫉妬されるもの」になってしまう、というのが前提になっているんだとすると……そのへん、心理的なブレーキはかなり根深い。
また、「コンテンツの価値があってこそ」という自負*12は悪いことではないのだけど、その意識が肥大化しすぎてインフラの向上/恒常/継続/発展を阻害する要因になってしまっているんだとすると、それはそれで問題なのかも。ただ、そのへんはドワンゴ/DMP胴元に当たるCGMサービス企業がヘタ打ったのが遠因*13でもあり、今後も引っぱりそう。
CGMを収益事業にしていこうと思ったら、常にユーザーの側、ユーザーの支持を受ける味方でなければならないわけで、ユーザーの希望に即応しつつも、収益を得ることについてユーザーの同意と協力を得られる方法はやはり必要になるだろうなー、と思った。
ピアプロなどはMADやカバーが介在する限りなくグレーなニコニコ動画と違って、投稿される作品は全てオリジナルでなくてはならないといった制限(資格条件)がはっきりしているのと、今のところユーザーを味方に付けることに成功しているので、CGMを収益事業化することについて、ニコニコ動画よりは抵抗が少ないかもしれない。
ピアプロそのものはまだ進化の途上にあるので、今後いろいろな機能やサービスが実装されていくだろうから、今の時点でどうこういうのはまだ早いかなとは思うのだが、今後ユーザーが増えるなり投稿される楽曲データの総量が増えるなりして、サーバの物理的負担(=持ち出し)が増えていくと、いずれかの時点でそれらを支えるためにピアプロ自体が単体で利益を出せる構造を作らなければならなくなる、というのは避けて通れない。
現状では、想定外に売れたVocaloidシリーズの収益でピアプロを贖っているわけで、ピアプロそのものは持ち出しになっていて収益を上げていないのでは。*14
ただ、将来的にユーザーを増やそう、維持しよう、逃げないように囲い込もうwという人的リソースの蓄積という点では、大きな将来性を持った財産になっているとは思うけど、それを換金できていない時点で、まだ企業的な意味での「財産」とは言えてない気もする。
胴元がインフラで稼ぐことを考えた場合、広告というビジネスモデルに頼るのではないのだとすると、その収入源はやはり「利用者」からなんらかの投資を受ける、と言う形にならざるを得ない。料金だったり投げ銭だったり手数料だったり。
それらを正当化するためには、そのインフラに付加価値を与えている投稿されたコンテンツ群の作者にも利益を何らかの方法で分配しなければならない、というところは結局避けて通れない。
というより、「胴元が儲けたいから、コンテンツ作者にも分け前を」ということではなくて、「コンテンツ作者に正当な評価(利益)を配分したいし、できればそのついでに手間賃として胴元にも分け前を」という受け取り方をユーザーにされるような水の向け方をしないと、なかなか受けられにくい。
実際のところ、コンテンツ作者に利益分配をしようと思ったら、胴元が介在しないわけにはいかないわけだし。
そういったわけで、権利問題*15、それを実現するシステム*16、それらの心理的ブレーキになっているユーザーの意識変革をどうしていくべきか、という3課題の解消が必要になってくるんだろなと思う。
ちなみに、先日のbrotherさんのOPシステムなんかは、この場合で言うと主に「システム」に関する提言であったし、さぼり記でその話題を休んでいる間にきっと他のblogなどで進んだのであろう話題の多くは、権利、システム、心理が入り乱れた状態になっていたのではないか、と思われる。
これ、本当はそれぞれ分けて考えるべきなんだけど、どうしても心理的ブレーキがそれぞれに複雑に絡みついて、話がこじれちゃうんだよなあ(^^;)
この「評価償却」の話は別にボカロ作者に限った話ではないんだけど、ニコ動では、
(A)「完全に動画作者当人に権利がある動画」
(B)「(A)をベースにした二次創作」
(C)「正当な権利者がいるが、無断で使用している動画」*17
(D)「正当な権利者の黙認の元、無断使用して作られたMAD」*18
の、4種が存在していて、そのへんはかなりややこしく、解決すべき問題点も様々。
CGMサービスから、コンテンツ提供者(=動画作者)に何らかの還元をしようと思ったら、何の遠慮もなくそれを受け取る資格が揃いやすいのは(A)で、ここではまず(A)に如何にして評価償却するかというのを論じようとしてるんだけど、(B)〜(D)はCGMサービスにとって魅力でありながら同時にグレーゾーンでもあって、課金という正攻法を当てはめにくい。
(A)の中にも、評価償却を受けることでモチベーションが下がるという主張があったりと色々なので、その辺は項を分けたい。
どっちにせよ、還元及び還元するためのユーザーからの投資*19を受けようと思ったら、胴元は利権関係(A)から手を付けていくべきなんだろなと思うのだった。
そんなわけで、その3課題を構成する因子を掘り下げるのは、また次の機会に。
*2:評価を金銭的価値に転換して、作者に償却する、の意。そんな成語はありませんので、これは造語。
*3:これについては、ボカロ系だけでも「曲作者」「イラスト」「PV」「二次創作」などが絡み、MADを含むと「現著作権者」が複雑に絡み合う。全てを透明化するのは難しい反面、どこかで利益を出す仕組みや、それに絡めた評価償却の仕組みを模索するというのは、逆に健全な企業なら考えていかないとならんことだろなとは思う。ユーザーが積極的に考えることじゃない、提供されたものを黙って食えばいい、と言われたらその通りなんだけどw
*4:先だって、7日間でニコニコ動画を作ったBio_100%の戀塚昭彦氏(現ドワンゴ社員であり、2ちゃんねる8/25危機を救ったUNIX板の有志と言われている人の正体はこの人物)のインタビューhttp://japan.cnet.com/interview/media/story/0,2000055959,20363383,00.htm を読んだ。ニコニコ動画のUIやシステムについての思想がくみ取れて非常に面白かった。この発想から言って、ニコニコ動画にはあまり複雑な仕組みが組み込まれることはないだろうなー、とも。
*5:実はこの心理面というのが最大の課題になっている。これは心の問題が大きくルールの発布では解消できないため。納得させるのか、納得しなくてもせざるを得ないシステムを作るのか、それが多数派なのか少数派なのかもわからない。声の大きい人がいると、それが多数派のような錯覚に陥ってしまうのは、あらゆる分野でよくあることなので、いろいろ判断も難しい。
*6:実はもうひとつ、前提となるプレーヤーの概念の抽出と確認というのがあるんだけど、話がややこしく複雑になるばかりなので、ここでは省いた。
*7:コンテンツの魅力がインフラの価値を作るという考えは間違いではないのだが、サーバ、インフラはタダじゃない、という視点がすっぽり抜け落ちてる意見が多いのでは、という認識に立っている。
*8:労力の評価、その価値移転についてもっとも効率がいいのは通貨/金銭に換算できるものである、という意見はこれまでと変わらず
*9:親会社としてのドワンゴ、ドワンゴミュージックパブリッシング、ニコニコ動画運営会社としてのニワンゴは、それぞれ独立した企業ではあるけれども、互いに関連会社であると同時に、親会社の意向という点である程度足並みは揃えている、と部外者は受け取るだろうなあということで、これらはしばしば混同或いは同一視されがち。だからこそ、DMPの不手際がニコ動への不満になったり、ニコ動の対応についてドワンゴに批判が行ったりという混乱も起きるわけなのかも。僕もそのあたり、うっかり表記上の混乱があったりすることもあるかもしれないが、そこらんへんはあんまり細かく突っ込まず、だいたいの意図を汲み取っていただけると楽でいい。
*11:不公平である、という正義論でもあるが
*12:を、コンテンツ提供者よりもコンテンツ受益者のほうが多く感じているらしい不思議もあるけど
*13:というか直接の原因のひとつ
*14:Vocaloidシリーズはあくまで「売り切りのソフト」であり、ピアプロは期限は切られていないものの、ある程度「継続維持していく」ことが求められるサービス。そうなると、Vocaloidかその関連アイテムが恒久的に売れ続け、ユーザーが右上がりに増え続けるという形で収益が確保され続けていかないと、ピアプロの維持費が出ないのでは。サーバ代、メンテ代、開発スタッフの人件費諸々、タダで使えるピアプロはタダでは運用できない。Vocaloidの売り上げだけでなく、ピアプロを恒久的に維持していくならピアプロからも収益を出すことを考えよう、というのは企業といては健全な発想だし、そうならないとピアプロそのものが続いていかないだろうと思う。
*16:UI、徴収方法、支払い方法
*17:親告されたらアウトな動画。
*18:これも親告されたらアウトな動画。
*19:あえて、「ユーザーによる購入」ではなくて、コンテンツ作者と場を提供する企業への、利用者からの「投資」と位置づけたほうが通りがいいような気がしている。