昨日から今日にかけてのワタクシと漫画に見る風俗の変遷とCGの歴史

飲んだ。
そして飲んだ。
そして江古田の漫喫に転がり込んで、一瞬気絶した後、「コブラ(寺沢武一,1980,集英社)」全巻一気読み。


ここ最近、ン十年前の漫画の一気読みをちょぼちょぼと(寝る前に)やってて、「真夏の夜のユキオンナ(大山玲,1990,講談社)」、「歌謡漫画大全(小林じんこ、楠木みちはる他,1985,講談社)、などを蔵書から引っ張り出して読んでた。僕がコミックを一番買いあさっていたのは、たぶん1983〜1994年の10年間くらいではないかと思う。今は、蔵書の置き場がないので、よほど気に入ったものか「たぶん、すぐに絶版になりそうなカルトなもの」だけを買うように気をつけている。
コブラは確か全巻持ってたはずなんだけど、どこにしまい込まれたか不明で見つからず、つい。
改めて読んでみると、いろいろな新発見というか温故知新がある。


例えば、当時の文化風俗とか。男子登場人物にもみあげがないとかw、女の子の服装で、やけに肩がとんがってるだとか、ワンレングス、ソバージュ+前髪がくるんと上を向いてパーマ掛かってるとか、クラブではなくディスコだとか、ヤンキー=暴走族の衣装風俗とか、登場人物の台詞とか、当時の流行語とか、セーラーズとかそういうの。
たぶん、その同時代が青春だった人が読んだら痛苦しいと思う。もんどり打って、それらの本を窓から投げ捨ててしまうか、川原で焚き火にくべると思う。で、当時、16〜24くらいだった人たちというのは、だいたい今44〜52くらいになってるわけでw 息子とか娘とかに、パパ・ママの青春は絶対に見せられまいと思う。


80年代のバブルの頃に肩で風切る青少年時代を過ごした人なんかは、それこそ懐かしく感じたりするんだろうか、とか思ったりしなくもないけど、今あれを懐かしくとかリバイバルとかそういうブームが仕掛けられたら、羞恥心で命を絶つ人が続出するかもしんない、というそういう時代だったんではあるまいかと、ページをめくりながら思った。
「風呂上がりの夜空に(小林じんこ,1984,講談社)」とか結構好きだったんだけどな。今、どこいっちゃったんだろう。
僕もいつか、「カトウハジメ? ああ、なんか怪談とか書いてた人? あの人、どこいっちゃったんだろう」って言われたりするんだろうか。って、書いてて凹むorz


コブラは当初からスターウォーズの世界観をパ(ry リスペクトしていた。今読み返してみると、「ドナルド星人」だとか「ネズミ型宇宙人のジェリー&ミッキー姉弟」とか「左腕を切り落とされる」とか「カーボンフリーズ」だとかもう、リスペクトというよりそのままいただきくらいの豪快さがあったw 最終巻付近の最終エピソードになると、当時流行りであったのだろうか、ほとんどそのまんまじゃりんこチエの鉄っちゃんとその子分あたりをパ(リスペクトしたキャラクターが、準主役で登場したりしている。巻末にタレント・女優・歌手などの有名人が解説を書いていて、「由美かおる」とか「MIE(ピンクレディ)」とか「マリアン」とか……orz 由美かおるはやっぱり妖怪であることを改めて確認w
第一巻の解説が手塚治虫で、「アシ募集で落としたんだけど、絵を見たらなんで落としたのか惜しくなって慌ててすくい上げた」というような話が載ってた。確かに第一巻の背景なんかを見ると手塚治虫っぽい。


寺沢武一はかなり早い時期からCGでコミック画稿を書こうとしていた漫画家の先駆けだったことは知られているが(BATとかゴクウとか)、1985年に8色のドット手打ちでBATの第一稿を書いていたらしい*1。そういえば、イラストレーターでCGを使い始めた人と言えば、商業誌では確かいのまたむつみがかなり早かった、と記憶している。僕は当時雑誌編集部にいた頃だけど、「無理しないで手で書けばいいのに」という声はあちこちの編集部で囁かれていたような記憶がある。
今でこそPhotoshopPainterやSAIや……そういうドローツールやペイントツールのいいソフトウェアが出て、CGデータ入稿が当たり前になっているけれど、いのまたむつみ寺沢武一が手を染めた頃は「トップ作家の心を蝕み権威を失墜させる悪夢の技術」だったわけで、それを思えばほんとにいい時代になったな、と思う。たった20年、やっと20年てとこだけど。


早い段階からCGを使って漫画を描いていた(というか、漫画執筆にPCを導入しようと奮闘してた)作家というのは実はちょこちょこといて、ちょっと古いコミックなんかを漁るとその苦労の軌跡を知ることができる。
「岸和田博士の科学的な愛情(トニーたけざき,1992,講談社)」では、書いた原稿をスキャナに読ませてプリントアウトしたものを、ハサミで切って糊で貼り直す、という今聞くとどこからギャグかわからんエピソードが出てくるのだが、たぶんホントだと思う。
「未来の二つの顔(星野之宣/JPホーガン,1993,講談社)」の下巻の終わりにも、「パソコンで原稿を書く」というのに因んだエピソードが出てくる。
須賀原洋行は1990年代頃からやはり画稿をPCで書いているようで、「よしえサン」、後期の「気分は形而上」などに、作者の日常漫画ネタの定番のひとつにPCの利便性と不具合についてのボヤキネタがよく出てきている。
偶然かどうかわからないがw、三者とも講談社。そして三者ともMACユーザー。た、MACでCG漫画稿を描いたというのは別に偶然ではなくて、当時はMAC以外ではWindows或いはそれ以前のDOS/V、PC9801、PC8801……などになるわけで、そのあたりのPCはグラフィック作成にはまるで向いておらず、ソフトウェアもなく、「パソコンでCG、パソコンで漫画を描く」となったら、選択肢はMACしかなかった。満足に使えるようにするためには、本体、増設メモリ、HDD、プリンターなどの周辺機器を合計すると、導入コストだけで最低200万、4〜500万はつっこまないと使い物にならない、とも言われていた。そういえば、初期MACユーザーは「車が買えるほどの」という形容をよく使ってたなー、とか思い出す。
前述の例に挙げたCGコミック草創期の奮闘を垣間見せるコミックなどでも、「とにかくメモリがたりない」「フリーズする」「プリンタのリースがバカ高く、本体はバカ重い」「完成データを編集部が受け取れない」などなどの苦労があったことを窺い知ることができる。


このあたり、十数年〜数十年前(といっても1980年代中前半あたりからの四半世紀前)あたりのコミックを読みあさるだけで、漫画考古学または漫画考現学を満喫できる。
新刊を追う以外に、そういうクロスオーバー的な楽しみ方ができるのも、漫喫のメリットではないだろうかとかなんとか、言い腐って本日は寝ることにします。
これでようやく「夜寝て朝起きる」生活に戻れるorz



あ、そうだ。
本日の反省。

  1. 漫喫にいくときは、例え入るときに酔っぱらっていても5000円以上の現金があるか確認しましょう。出掛けにレジで精算したら財布に8円しか残らないは大人としてどうかと思うよ自分。
  2. 漫喫にいくときは、遠視用メガネを持っていきましょう。レーシックやると遠くは普通に見えるんだけど、手元は見えない。ろ、老眼じゃないんだから! これは遠視なんだから!

*1:これはBATの後書きのとこに1985年当時のグラフィックが載ってた。BATフルカラーコミックは2002年刊。