怪異伝説ダレカラキイタ?

あかね書房から出る新刊児童書、『怪異伝説ダレカラキイタ?』の配本第一巻/第二巻の見本ができたということで、受け取ってきた。


今回は店頭版の他に図書館にのみ納品される図書館版も作成されるということで、ずっしり重い上製本の見本も頂戴した。自分の関わった本で、ここまで頑丈かつ立派な見栄えの本は久々かも。少なくとも図書館入りは初めてかもしれんなあ、と記憶を辿るが、やっぱりたぶん初めて。本の仕事はもう随分長いんだけど、怪談だのITだのサブカル&エンターテイメントだのを歩んできたせいもあるかも。
ここんところ、「大人のダークサイド」を描くというか子供には読ませられない本ばかり書いてきたのだがw、今回のは小学生にオススメできます。というより小学校中学年以上向けの本です。シモ系の怖い話/生理的嫌悪感が勝る話はないですw
うちの小学生の姪や甥に読ませられる本が、ようやくできたという気がします。でもたぶん、後で嫌われそうな気もしますorz
まあ、それが「怖い話」の宿命。


怖い話という分野は、鬼子であることが宿命付けられている部分はあるのかもしれない。
近著「極」怖い話では「体験者の苦悩」を記録するという形で書かせていただいたけれども、そういった記録を「享楽」として欲する読者の方に支えられているという側面からは逃れられないわけで、怖い話が好きというのは「他人の不幸を楽しみにする」という、世間的に自慢しにくい趣味嗜好ではあるのかもしれない。


一方で、子供に怖い話を与える/読ませる意義ってのはなんだろう、てなことを考えた。
このご時世、タチの悪い犯罪、イジメ、狂人の襲撃、事故などなど、ヘタすれば怪談本が語る子供向けの怖い話よりも遥かに怖い現実の犯罪は掃いて捨てるほどある。
また、怪談本に限らず、本に書かれた内容が子供を悪い方向に導くことになる、と指弾されることもある。アメリカでは、デスノート(集英社)に友人の名前を書いたとかで、テロの意志があったと見なされて逮捕された子供がいたとかいないとか。*1
そうでなくたって、ナタで身内を殺す事件が発生するたびに「ひぐらしのなく頃に」の模倣と影響が叫ばれる。幼児連続誘拐殺人で世を賑わせた宮崎勤事件のときなんか、ホラービデオ、ロリコン、マンガ、アニメなどなどの多くの嗜好品が矢面に立たされるわけで。
怪談本なんかもその意味では本来日陰でびくびくする存在であり、「こんな怖い話を子供に読ませるなんて!」と叱られてしまいそうな気がしなくもない。


だが。
あえて、今回は子供のための怖い話というのを書かせていただいた動機はなんだったのか、というと。まあ、いろいろあるんだけど、その中でもっとも大きな動機を挙げるとするならばこうだ。


怪談は想像力を鍛え、現実に備える予行演習となるべきものだと思う。
以前にも、同じ怪談を聞いて「どこが怖いかわからなかった、怖いとは思えなかった」という人と「わからないからこそ、その先を想像して怖くなる」という人とに真っ二つに分かれてしまう、というようなことを書いた。
これについて、恐怖というのはインフレーションを起こすもので、恐怖に慣れていくとより強い恐怖でなければ怖いと思えなくなる=麻痺するのではないか、という考え方がある。「超」怖い話AやБなどの巻末で触れているが、これはこれで一理あると思っている。

それと別に、想像力の有無というのが、恐怖を感じられるかどうかに大きく影響しているとも思う。
恐怖というのは起きたことに対して感じるのではなくて、「もしかしたら、これから自分にも同じようなことが起こるかもしれない」という予測に付随して起こる、というようにも考えられる。
「わっ」と脅かされて「びくっ」となるのは、実際には身体に危害は加えられていないのに、「加えられる可能性」を予見した結果、その防御行動を身体が取ってしまうから起こる。
なぜびくっとなるかと言えば、「殴られたら痛い、痛みに備えるために筋肉が収縮する」から、そうなるのだが、これも想像力と反射の結果なのかなとも思う。
もし、殴られた経験がなく、痛みを想像できない場合どうなるかというと、殴りかかられたら自分がどうなるかをまるで想像できないので、防御行動を取れない。
頭上で「ガシャン」とガラスが割れる音がしたら、ガラス片が落ちてくる可能性を考えて頭を庇うものだが、ガラス片が落ちてくることが想像できなかったり、「それでも自分にそれが当たるはずがない」という、自分を例外視/特別視する人は、防御行動を取らない。だから、本当にガラス片が降ってきたときに大怪我をする。


怪談、怖い話を読むというのは、「これは練習です。しかし、これからあなたにこれと同じことが起こる可能性があります。それに備えて、似たような予兆があったら、次に何が起こるのかを連想/想像/予想して自衛行動を取ってください」というようなことを促すために役立つんじゃないかな、と。
心霊スポットに踏み込んで遺影を「いえーい」って投げた人がどういう目に遭うかっていうのを事前に読んでいれば、自分がそれをしようとは思わない。まあ、実際にやってみて酷い目に遭うまではやめない人はいるかもしれないけど(^^;)


こういうのを、日本古来の言葉で言うなら「躾」だと思う。
心霊スポットにいっちゃいけないし、知らない人についていっちゃいけないし、近付いてくる怪しい人を疑ってかからなきゃいけない。
熱いストーブの蓋に座る猫と同じで、そういうことは一度酷い目に遭ってみれば、二度はしなくなると思うのだが、最近はその「一度目の酷い目」が、致命傷になってしまうようなケースも多々ある。
ということは、やっぱり事前に「こういうことをすると、こういう目に遭うよ」という例と、その後に起こることを想像する想像力っていうのを、できるだけ早い時期に身体に刻みつける、脳味噌に焼き込んでおく必要があるんじゃないのかなとも思う。
悪いことをしたらゲンコで殴られるべきなのだが、最近はワルガキをゲンコで殴ると躾で殴った側が警察に逮捕されちゃったりするので、なかなかできない。躾と虐待、罪に対する罰と暴力の境界は、ほんとに不確かだ。かくしてワルガキはゲンコで叱ってもらえることなく、自分に致命傷が来るまで躾をされる機会を逸して大きくなる。
これはヤバイ。まじヤバイ。


そういうわけで、怪異伝説ダレカラキイタ? の使命は、「子供をやたら脅かす近所のおっさん」であったりするのではないかと思う。
「言うことをちゃんと聞かないと、いつか……いや意外とすぐに酷い目に遭うよ?」というような。
怪談が人格形成に役立つとか、そういう崇高なことを言うつもりはまったくないんだけど、「自分がこれから酷い目に遭うかもしれない」っていうことを、事前に想像できるくらいの連想力を付けていかないと、大人になる前にすぐ死んじゃうかもよー、ということを子供に吹き込んで、夜、一人でトイレに行けなくなるようにしてやりたいとか思った。
いけすかない大人ですみません。





さて、このシリーズ。
今回は*2半分くらいは僕が書いて、もう半分くらいについては「子供を脅かす大人げない大人」役として、強力な共著者陣にお手伝いいただきました。

怪異伝説ダレカラキイタ?
タタリの学校(第一巻)

[監修/著者] 加藤一
[画家]   岩清水さやか
[執筆協力] 上原尚子、矢内りんご、久田樹生、渡部正和、深澤夜

怪異伝説ダレカラキイタ?
ノロイの怪魔(第二巻)

[監修/著者] 加藤一
[画家]   こさささこ
[執筆協力] 上原尚子、矢内りんご、久田樹生、渡部正和、深澤夜、松村進吉

岩清水さやかさんのイラストは、とってもインパクトあります。ポップです。
こさささこさんのイラストは、とっても怪談向き。これ、子供の頃に僕が読者だったら絶対にカバー外すと思うw


両巻ともにまだAmazonには登録されてなかった(^^;)うえに、ビーケーワンでは図書館版のみ扱いになってました。*3そんなわけで、リンクはあかね書房直販注文ページ向け。
その後、Amazonでは扱いが始まりました。例によって登録が遅かったらしいですorz Amazonでの取り扱いは右ページへ。
重ねて言いますが、コンビニには出回りませんwので、早朝のファミマをうろついたりせず、直販か書店でお願いします。大きい書店には行き渡るんじゃないかと思われます。


一般書籍版にはQR怪談付いてますので、QR怪談コレクターの方はお買い忘れなくw




そして、次に控えてるウラミの車輪(第三巻)では、ポプラ社などの児童書でもご活躍中のスカイエマさんを画家にお迎えしてます。注文書用に描いていただいたイラストを拝見して、身悶えしました。いいぞー、これは。*4



おーっと、いちばん大切なことを忘れてました。
怪異伝説ダレカラキイタ?【タタリの学校】【ノロイの怪魔】、シリーズ創刊分第一巻/第二巻は、2008年4月21日(月)に発売です。小学生のお子様/甥姪をお持ちの方は是非。

*1:タブロイド的ウソ話と思いたいところなんだけど、裏とってないので不明とする。

*2:というか今回もw

*3:でも、値段は一般書籍版になってたorz

*4:少年好きのオトナも必見だw