落語とドラマ

ちょいと新橋まで落語を聞きに行った。
目当ては三遊亭楽生師匠の「壺算」。
前に独演会で聴いたことがあったけど、久々に聴いた。
瀬戸物屋の主が煙に巻かれて悩む態の顔の芸がなんとも面白く、たいへん満足。この噺家さんは、やっぱり与太郎的人物が出てくる演し物をやらせるとホントにうまいなあと思う。


落語、特に古典は、ちゃんとした筋書きというのはあるんだけど、演者やその時の持ち時間、客のノリなどに応じて随時伸縮する。重要ではない部分を端折ったり、逆に重要な部分、重要ではない部分を膨らましたり、タメを作ったり、などなど。
口上を暗記して羅列するだけではダメで、そういう伸縮によって同じネタも違った噺に聞こえてくるところが、芸の奥深いところ。
もちろん、伸縮・違った噺に聞こえてきても、それはきちんと面白くなってなければいけないわけで、客を納得させられれば多少のアレンジは許される。落語は、ものによっては予めストーリーを知った上で見ると面白かったりするあたりオペラとも似ている。でも、自分の知っているストーリーと違う、と怒り出すのは野暮というものだ。おもしろければ噺家の勝ちだと思うのだ。


いい気分で帰ってきて、コンビニでイブニングを立ち読みしてて、今日が「おせん」初回放映日だということに気付いた。
30分ほど過ぎたところから途中から見た、のだが。
グリコをグリコと呼べないのは、まあスポンサーの事情などもあるだろうから仕方ないとしても、だ。
おせんはただの天然ボケのみ、江崎(グリコ)は、帳場に入ってるんじゃなくて、なぜかレストラン上がりの料理人志望(ノリ的には、江崎じゃなくて清さんの修業時代の弟弟子がまじってるような)、桜井先生は片桐はいり(納得いかねえ!!!)、イタリアンの先生はなぜかフレンチの先生、壺中堂の主は渡辺いっけい、テル子ちゃんは普段から訛りが出てる……などなど、もう何から突っ込んでいいかわからんほどにずたずた。原作レイプもいいとこ。店の名前と登場人物の名前以外、どこにも原作の痕跡が残ってない。
原作にあったエピソードを細切れにして適当に繋ぎあわせただけ、リプライズにしたってどうにかならんのかという構成力のなさ。
比べるのもどうかと思うけど、放映開始前は危ぶまれたものの終わってみたら原作を完璧に再現した「のだめカンタービレ」とは比較にならない酷い出来。
滅多に民放もドラマも見ないんだけど、いくらなんでもアレは酷すぎる。原作ファンだけに。
明日、買い換えたテレビが届くんで、この際、怒りを目の前のテレビにぶつけてやろうかと真剣に考えたほど。
あまりの酷さに何度もテレビ消そうかと思ったのだが、逆にあまりにも腹立ったので、脚本の名前を覚えておこう、とか思ってエンディングまで我慢して見た。
たぶん原作を読んでいないんじゃないかと思われる脚本家は、いったい何処のどいつだ……と思ったら、大石静でした。


落語、特に古典は、ちゃんとした筋書きというのはあるんだけど、随時伸縮する。原作もののテレビドラマだって同様だ。
だがしかし、だ。
アレンジは、元の筋書きをきちんと理解し、リスペクトした上でされるものだ。元の筋書きや設定をめちゃくちゃに壊してするくらいなら、最初から新作をやればいいんじゃないかと思う。
まったくもって原作レイプも甚だしかったので、たぶんTVドラマ版「おせん」は、もう二度と見ないと思う。