安全保障についての駄話とチベット

今する話でもないけど、少し前に飲んでて話題に出たのでメモとして。
例によって話はあっちへふらふらこっちへふらふらするので、あんまり一生懸命読まないでください(^^;)


平和と安全というのは別モノで、ベストは平和だけどそれには「相手国の合意」が必要。相手国と合意できないけど、平和に準じた状態(ベター)を求めるのが安全(自国の安全)。
ここでは平和を希求する宗教的方向ではなく、安全を保障するには、という方向のお話から始めるってことで。


経済的自立は安全であるからこそ成立する話なのだけど(例えば、商売して支払いの段になって銃を突きつけられて「タダにしろ」と言われたら、真っ当な商売は成立しないし、納品しに行く途中に海賊にかっぱらわれるようでは、そこに配達にも行けない。安全だから商売ができ、信頼があるから商売が成り立つ)、安全を保障するにはどういう方法があるか。
商売相手だから安全なはず、というのは一種の幻想で、先の毒餃子問題を巡る中国側の対応(その他の食品、製品を輸出停止にする、原価をつり上げるなどの経済的報復措置が現在も進行中)を見るにつけ、自分の常識と相手の常識は常に同一ではないことがわかる。
相手に約束を守らせるために、「相手の善意に期待する」のではなくて、自力で安全を手に入れないといかんよね、というのは安全保障の基本。
相手には相手の正義や都合があるわけで、常に自分のために善意善隣でいてくれるはず、というのは甘えに過ぎない。


中国が強い発言力を持つ源泉となっているのは核兵器を所有しているということと不可分で、日本は「核兵器所有国と競争関係にある」ということを、安全保障を考える上で忘れてはいけない。*1
日本が関係を持つ核兵器所有国には他にアメリカがあるが、アメリカとは同盟関係を結ぶことで、現状では核兵器が日本に向けられることから逃れられている。太平洋戦争後の日米の同盟関係は、中ソの共産勢力の拡散(=冷戦)の防波堤となるため、日米が仮想敵を共有したことから始まっているが、結果的にこれは日本の経済的発展のための安全保障を、それなりに安価で手に入れることに寄与した。


自衛隊の整備が進む前、進駐軍として駐留した在日米軍を、そのまま日本国内に留め置く*2ことになったわけなのだが、これを利点の点から見ると、日本は自力では先制攻撃力を持っていない代わりに、日米安保条約によって「日本が攻撃されたら、それはアメリカが攻撃されたのと同じと見なす。故にアメリカが反撃を【しにいく】」ということが保障されている*3。このため、日本に攻撃を仕掛ける国は、アメリカからの本土攻撃/核攻撃を受ける可能性がある。これが保険になっているので、日本は攻撃に晒されない、というのが日米安保条約の重要なとこ。


さて。
日米安保条約は「日本がやられたらアメリカがやり返してくれる。しかし、アメリカがやられても日本はやり返す手伝いをしない」という片務的な内容になっている。その代わり、アメリカの駐留費用(おもいやり予算とか)を日本が金銭的/経済的に負担することでバーターになっている。おもいやり予算を削減し、駐留米軍の縮小を求めるなら、日本はそれと引き替えに「アメリカがやられたら日本がやり返す」「アメリカが担っていた反撃能力を、日本が独自に整備する」ということを考えなければならないのだが、そのためには、

  • 集団的自衛権(同盟国がやられたら、攻撃を受けていない日本も反撃に参加する)
  • 敵地攻撃(先制攻撃はともかく、日本の領土領海外への反撃と、その手段の獲得)

は必要になる。いずれも「日本の再軍備」とかその辺で忌避されてきた話題。ここには、「日本の核武装」も話題に入れるべきかもしれない。


日本は「領土領海外=国外、敵国への軍事力の直接行使はしない」として、専守防衛を取っている。
この専守防衛というのはどういうことなのかというと、「やられるまでやり返さない」、ではない。「やられても頭を庇うけど、殴りかかってくる相手にやり返さない」ということで、やり返す、やられたら問題の根幹を断っていい、ということではない。


安全保障というのを考えた場合、もっとも理想的なのは「自分ちの庭にケンカ相手を入れない」ということであるわけで、「ケンカをするなら相手の家の庭で」というのが、自国にとっての損害はもっとも少ない。
安全保障というのは「自国民の生命と財産を守ること」であるので、自国の庭でケンカが始まるという時点で、すでに目標が達成されていないことになる。
アメリカは「自国の庭先でケンカをしないため、相手の家の庭先で睨みを利かせる」という戦略を採っている。そのため、全世界に「すぐにでも殴りかかれる」という力を誇示する必要があり、実際そういう潜在力を持っている。米軍の航空母艦一隻で、ちょっとした国の国全体の航空戦力に匹敵すると言われているわけで、そんなのが沖合にやってきたら、それだけで「外に出て行こう」という気にはならなくなる。*4


で。
日本は憲法の制約上、「庭先で相手が暴れ始めるまで手を打てない」=専守防衛を取っている。これは、「領海での防衛」「海岸線での上陸戦防御」が念頭にあるんじゃないかなと思う(陸自が多いのはそのせいかな、と)。
専守防衛である限り、戦争になったら日本は本土決戦しかない
先の戦争の体験談などでも、語られるのは「空襲で怖かった」という本土が戦場になることの悲惨を訴えるものがほとんどで、日本の反戦感情というのは「本土決戦への恐怖」が根底にあるのだと思う。
なのにも関わらず、専守防衛=戦争になったら本土決戦しかないというのを受け入れているというのは、不思議というかおかしい気はする。
その上で、「戦争になったら本土決戦で悲惨な目に遭うから、戦争にならないように他国と仲良くしましょう」という一見するとよさそうに見える平和主義が、常識として台頭してきたわけなのだが、ここでも「戦争は、自国と他国の正義/外交目標の実現のための話し合いが、決裂したときに起こる」ということを失念していて、「相手も戦争を望んでいないに違いない」という相手の善意(=自分と価値観が同じだと信じている)に頼った甘えがある。


「本土が戦場になった。それは大変悲惨だった」という経験をしたら、「次は本土が戦場にならないようにしよう」という結論に行くのが普通なのではないかと思う。
本土を戦場にしないためには、「国外で戦う」「敵を近付けない」か、そうでなければ「戦う前から言いなりになる」「外交的に自国を利する主張をしない」ということになる。
「経済的発展を遂げて金持ちになった日本人」に対しては、「金持ちケンカせず」「少しぐらいは譲ってやれ」的な自制や謙譲が求められる反面、国内的には「格差社会」「下流社会」「ワーキングプア」など金持ちではない日本人が強調される。都合良く使い分けている人がいるらしい。


専守防衛をこのまま貫く場合、結局「相手の都合で戦争が避けられなくなった」という場合は、いつ戦争を始めるかは日本ではなく相手国が自由に決められることになるわけで、日本は常に後手に回って長大な海岸線を守らなければならなくなる。海岸線を全部均等に守ろうとしたら、現在の陸自の防衛力をつっこんでも足りない。陸自の人員は確かコミケの三日間の参加者数より少ない。そんなにいる、のではなくて、「そんだけしかいない」うえに、全員をいっぺんには集中できない。
本土決戦になったら、その人手を全部突っ込んでも足りないから、予備役を招集することになると思うんだけど、たぶんそれでも足りない。
足りない分は、「人間がいなくても対応できる兵器=対人地雷」で対応するというのが以前の日本の水際防衛策だったのが、対人地雷禁止条約に参加したことで、「人手をかけず、地雷も使わず、徴兵もせずに対応する」に変わった。


戦争をしたいとは思わないけど、今の「専守防衛」のままだと本土が戦場になるのは確定的で、戦争を厭って無抵抗で投降した場合は、戦勝国(占領軍)に一切の対抗や要請はできなくなる。
太平洋戦争では、日本にやってきた戦勝国は民主主義国で選挙によって大統領が変わる国であった。少なくとも、自浄作用がある国で、ある意味「日本にとってプラスになる国」であったと言える。
豊田頼恒や最近ではかわぐちかいじが、「日本を複数の国が分割統治したら?」というSFを書いているけれども、一党独裁で選挙のない国が日本を統治したら、どういうことになるかというのは容易に想像が付く。その国の植民地か、そうでなければ併合されて「昔からずっとうちの領地だった」と言い出されることになるわけで……。




その意味で、チベットは他人事ではない。
自主独立を保つ力を持たず、相手の善意に期待はできない。
チベットという国は最初からなかった」
安全保障を怠ると、いつか日本も、
「歴史上、日本が独立国であったことなどなかった。中国の領土を日本人を僭称する反抗分子が勝手に占有していた。中国の歴史の風下にあった以上、日本、沖縄、北海道の全ては元々最初から中国だったのだ」
と、言われるようになる。
すでに沖縄に関しては「中国の大陸棚にあり、歴史的にも琉球王国は中国の属国衛星国であり、実質的には領土の一部だった」と言い出されている。小渕元総理は2000円札守礼門を印刷し「日本の紙幣に印刷されているのは日本領土」という主張を紙幣によって強調し、それを沖縄でサミットを開くことにぶつけて、中国側の主張を牽制した。
民主党は沖縄については、「一国二制度」を提唱して日本から切り離す露払いを進めていた。現在は削除されているが、Google民主党のサイトに掲載されていた沖縄を一国二制度にすることを提唱するテキストのキャッシュがあった。*5


安全保障は、「地球政府*6が全部なんとかしてくれる」という状況にでもならない限り、国という単位で考えなければならない問題なのだと思う。地方政府=都道府県=藩が、個々に軍事力を持って個別に対応するという時代は、少なくとも1867年あたり、大政奉還から函館陥落あたりまでの間に終わっている。


隣の国とは仲良くできない。
仲良くできるなら、一緒にやっていけばいい=同じ国になればいいのであって、国境を持ち文化習慣の相違あり、「別の国」として線を引こうとする限り、隣の国と一緒にはやっていけない。
その相違、正義や利益の競争を解消するためには、「相手国を自国の一部に組み込んでしまい、その独自性や独立主張を認めず、自国の正義や利益や主張を適用する領地にしてしまう」というのが確実だ。
かつてのソ連や今の中国などの大陸国(=陸軍国)が膨張主義少数民族の併呑を進めるのは、こうした「自国の正義と利益の適用範囲を拡大する」ということに他ならない。


相手国の正義と利益に阿って、それを全面的に受け入れ、相手の言うとおりにする、抵抗は一切しない。そうすれば確かに諍い・戦争・小競り合いは起きないし、平和にはなると思う。ただしそれは奴隷の平和、コップの中の凪に過ぎない。
好き勝手にものが言えて、好き勝手にものが買える。
働いただけ儲かり、失敗したら責任を負い、しかし失敗してもやり直しが効く。
平和だけど自由も可能性もない世界と、可能性を奪われない世界。
どっちがいい?
チベット対岸の火事を考えていると、すぐに自分達も同じ目に遭わないとも限らない。




友人に起きたことは、自分にも起こる。
自分だけは例外で特別、だなんてのは幻想だ。

*1:これは北朝鮮についても同様で、北朝鮮は核技術の輸出で国を維持してきた実績がある。シリアの件とか。核兵器を所有すればその他の全てが貧弱であっても外向的対抗力を持てるというのは、ソ連と中国から北朝鮮が学び取った点であると言える。日本の多くは「北朝鮮核兵器は爆発しない」という前提から、北朝鮮の核について軽視しすぎるきらいがあるように思える。また、北朝鮮が所有する中短距離ミサイルは太平洋側にまで届くことは証明されているわけで、核兵器というのはピンポイントで当たらなくても効果がある平気だということを誰よりわかっているはずの日本人にしては、北朝鮮の核に鈍感なのは不思議。実は核アレルギーというのは「核に対するアレルギー」ではなくて、「アメリカに対するアレルギー」を正当化するためのものなのかもしれないと思うのはそういうとこ。

*2:日米安全保障条約

*3:これが日米安保の重要なとこ。学生運動は、この日米安保条約の改正(=延長)に反対しておこされた。日米安保条約がなくなると、日本は独自安全保障のために軍備を再増強するか、アメリカ以外の国からの安全保障を受ける必要があることになる。軍備増強は経済発展の足かせになるため、これが進めば雇用が縮小した可能性があった。アメリカ以外の国から安全保障を受けるというのは、当時で言うとソ連か中国の傘下に入る=共産化する、ということだった。学生運動は主にソ連の傘下に入ることを推進するものだった、と受け取ってよいように思う。

*4:もちろん、そういうアメリカの軍事力の睨みが利かない、もっとも柔らかいところ=ソフトターゲットが911自爆テロで崩壊したWTCのようなものであるわけで、そこに手を突っ込まれたからこそアメリカは猛反撃をしたのだと思うのだった。アメリカのアキレス腱がはっきりしたと言えるし、高度な軍事力がなくてもアメリカを困らせることができるという証明でもあったが、逆にアメリカを怒らせることになった、というのがその後の展開だったと思う。日本が新宿あたりで同様のテロをやられたら、日本人は一気に沸騰して憲法改正までいってしまうか、それを押しとどめようとして攻撃者への服従を訴える文化人論評が出回るかのどちらか。

*5:http://209.85.175.104/search?q=cache:_6sn61qu3F4J:www.dpj.or.jp/seisaku/kan0312/kouan/image/BOX_KOA0022.pdf+%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A+%E6%B2%96%E7%B8%84+%E4%B8%80%E5%9B%BD%E4%BA%8C%E5%88%B6%E5%BA%A6&hl=ja&ct=clnk&cd=3&lr=lang_ja

*6:国連UNは「二次大戦の戦勝国=連合国のクラブ」が「敗戦国を監視する」というのが始まりなのであって、今も「国際連合」ではなく「連合国」が正しい。死文化しているけれど、「日本がガタガタヌカしたら再占領しちゃうよ?」という条文は、国連憲章から今も削除されていない。この指摘はかわぐちかいじが「沈黙の艦隊」を描いた20年くらい前に指摘されていたけど、あれから20年経って今も削除されていない。沈黙の艦隊では「アメリカが日本を再占領する」というプランが提示されていたけど、アメリカが日本に戦略的価値を見いださなくなったら、日本再占領を今度は中国が言い出すという可能性はゼロとは言えないのかもしれない。中国(共産党中国)もまた連合国の一員であり、戦勝国側だからだ。実際にそうなる可能性は低く、これは癇性に過ぎる心配に過ぎないんだけど、ゼロではない事柄は常に起きる可能性がある、と考えるのが実話怪談の作法w