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超-1選抜戦wとなる恐怖箱 蛇苺は、着々と進行中。
第一の山場を抜け、ようやく台割らしきものができて、現在チェック中。今回は3人で100話くらい書いてもらった中から、「うはっ(´Д`)ノ」な45話を選抜してます。
これから大量の推敲作業などを経て、ようやくゲラの形になっていくわけで……。


さて。
作業的にも(精神的にも)一段落したので、蛇苺の二人目の著者をご紹介。
既に明らかになっているつくね乱蔵氏を、松村進吉、久田樹生、雨宮淳司に次ぐ4人目とすると、本日ピックアップの著者は、通算「超-1から振り出された、5個目の駒」ということになります。
その蛇苺二人目の著者は原田空氏。
超-1参加時代とはペンネーム変わってますが、超-1には2006年、2007年の2回、連続で参加。残虐なことで定評のあるw超-1一般審査員の皆様からの抜き身の評価でも、好評価をいただいた上位ランカーの一人です。


蛇苺は、雰囲気としては書き下ろし中心で構成された怪コレVol.3に似た構成になっています。でもこれって、凄くプレッシャーが掛かるんですよ。書く方はもちろんでしょうけれども、原稿を待つ側が(^^;)
原稿の出来不出来については、かなりバクチ。
だけど、怪コレVol.3がなかったら、雨宮淳司氏は世に出ることはなく、「恐怖箱 怪医」も産み落とされなかったかもしれません。その意味では怪コレVol.3のときのバクチには勝ってます。この場合の勝ち負けというのは、「凄い怪談屋を発見できた! うひょう!」であってw、主に自分達との戦い、もしくは時の運のとの勝負という感じですが(^^;)


どんな分野でも同じでしょうけれども、最後は自分との戦いになるというか、実は最初からずっとライバルは自分達自身だったのでは、と思うことがあります。
超-1の場合、応募者の名前以外は全てオープンにされた上で、ライバルとの競争、講評者との対決という形で、応募者は徹底的に研磨研鑽させられていきますので、向上心と耐久力のある人の進化はずば抜けて早いと思います。どうかすると、2作3作でまったく別人のようなできばえに変わっていく人もいれば、一年でランキングを40位も上げてしまう怪物的な人もいます。これらは外からの圧力と競った結果と言えるかもしれません。
著者というのはその初期においては読者に磨かれて育つもので、出来が悪けりゃ悪し様に言われ、好みが異なる読者に理不尽wにこてんぱんにされることで、剛毛の生えた心臓や面の皮も育てていくことができます。超-1は、著者名を伏せつつ作品を読者に晒すことで、基準指針の異なる読者にボコボコにしていただく、という趣旨のものでもあるわけです。


蛇苺の場合は、超-1とは若干違います。
途中経過で作品が読者の目に触れることはありませんし、途中であれこれと「こうしたほうが」というようなアドバイスも入りません。著者は自分の見つけたネタを、自分の信じたやり方で、好きなように書くことができます。もちろん、一定数以上の「数」を書くこと、締切までに書くこと、という条件は課されますが、長さもネタの質も、特に制約はありません。
その代わり、取捨選択は締切後に台割作成の時点でざっくりと行われます。締切までの間は、何度書き直し/改稿をしようと、数を稼ごうと自由ですが、僕からは原稿を受け取るまで一切アドバイスなどナシです。アドバイス……に相当するものは、これから行う推敲内容をもって示すことになるわけですが、この作業はこれはこれで結構しんどくて(ry


つまり、超-1では「他の応募者」や「一般講評者」という目に見える対抗者、ライバルがいて、それぞれに影響を与え合うという機能が働いていたわけですが、蛇苺はそういう「共に戦うオーディエンス」がないわけです。
ライバルは自分。自分と自問自答して、自分を自分一人で超えないとなりません。原稿提出前に身内や友人に見せるのはアリ。だけど、最終的に「これでよし」という判断は、著者自身がする*1
自由度高いようでいて、これはなかなかしんどい作業です。超-1のあの口うるさいw講評陣による軌道修正のアドバイスが、むしろありがたく思えてくる人もいたかもしれません。


超-1の、「読者が神様」というのも職業作家にとっては避けようのない真理ですが、蛇苺での「ライバルは自分自身、責任を引き受けるのも自分自身」というのも、やはり実地で原稿と格闘している幾多の作家さんたちが対面している真理なんじゃないかなー、と思います。
蛇苺組が、それぞれどんな風にその「孤独」をねじ伏せたのかは、そのうちまたコラムとか蛇苺の後書きとかwで語られるのではないかなと思います。


いい怪談というのがあるとしたら、それは「怖い怪談」であるということ以上に、「早く誰かに教えたくてたまらん話」なんじゃないかなと思います。自分のとこにとどめ置く話というより、一読しただけで内容が忘れられず、いろいろな人に話して回りたくなるような話。読者・話者によって表現力(文章力やしゃべり方)は違うでしょうけれども、「誰かに伝えたい」という衝動を励起して、そうやって人と人の間を伝播していくのが、怪談の在るべき姿だろうなと。
今回の蛇苺の中には、そういう「うわー、誰かに話してえ!」というのがいくつもあるんですよ。


これは驚くべきことであり、喜ぶべきことかもしれません。

*1:このあたりは超-1も同じだけど、「発表後のアドバイス」を得てから、自分をステップアップさせていく、という行程は蛇苺にはありません。一発勝負です。