ウラミの車輪、ぼちぼち出るらしい

と言っても、早くも本が出る、という意味ではなく。
来月発売予定の怪異伝説ダレカラキイタ?シリーズ第三巻「ウラミの車輪」のカバー校と本文ゲラがぼちぼち出るらしいという報せを、仕事熱心なあかね書房の編集E氏よりいただく。
第三巻・スカイエマさんのイラストは以前すでに拝見させていただいているのだけど、このシリーズは毎回イラストレーターの作風がガラリと変わるので、どんな作風・どんな傾向の絵を持ってくるのか、そしてどんな仕掛けで仕込んでくれるのか、いろいろ楽しみでしょうがない。


竹書房版の「超」怖い話「弩」怖い話、「極」怖い話、怪コレなどの超-1出身組の本、禍禍、妖弄記などは、そういえばイラストやコラージュなどの視覚的要素は入っていない。ぎりぎりまで話を詰めこみたいというのと、スケジュールがタイトすぎて別進行できるカバー以外に絵を入れる時間的ゆとりがないとか、いろいろ理由はある。
もっとも大きいのは「読者の想像力の障害になるのではないか」という配慮によるもの。
怪談本に触れる機会が少ない、またはほとんど初めてという人には、そこで語られているシーンを想像してもらうために、若干の呼び水が必要な場合もある。怖そうなイメージイラストやコラージュは、そうした「想像力の補助」にはかなり役立つのかもしれない。
一方、そういうものに慣れすぎちゃってるジャンキーの皆様の場合、ヘタにイメージグラフィックを提示すると、「なんだ、その程度かよ」とマイナスの効果を生んでしまう恐れがある。
読者が想像した「思いつく限りの最悪の恐怖の場景」が、イラストレーターの想像して具現化した映像(絵、構図)を上回ってしまう可能性があるわけだ。
つまり、「こうである」という視覚的な正解を与えないほうが、個々の読者の想像しうる最悪で最恐なシーンが、個々の読者の脳内に像を結びやすいのではないか、そう考えると挿絵は却って邪魔なんじゃないか――というのが、「超」怖い話ファミリーに数えられる書籍群に絵が入らない最大の理由となる。


一方、過去に勁文社版の初期「超」怖い話では挿絵というかイメージイラスト的な挿画が入ったことがあった。新書版の頃とか。この頃はまだ試行錯誤段階にあって、懐古的な定番の怪談スタイルを踏襲している一面が残っていた。
また、もっと後の刊だが「とってもこわい携帯メール」では、直接的ではないけどやたら怖い写真コラージュが入っていて、小学生の親御さんから「子どもが泣いた! どうしてくれる!」というクレームをいただいたという伝説wの一端は、あのコラージュにあったんではないかと思う。
そういえば、「おまえらいくな。」は北野誠さんが主役ということもあって、北野さんのポートレート満載だった。稲川さんもそうだけど、存在感ある人は、そこにいるだけで怖さがいや増して見える。
不思議ナックルズはミリオン出版の伝統wである「細かい文字がみっちり」という本文に対して、コラージュやイラストを効果的に大きく使ってくる大胆なレイアウトのものが多い。これは文庫・書籍と雑誌の違いによるものなんだけど、「雑誌の読者は常に一見だと思え*1」「雑誌の読者は常に初心者だと思え*2」という視点と、せっかくの大きな版面の効果的な活用を考えれば、誌面の使い方としては非常に正しい。
文庫のように版面が小さい書籍だと、そうした大胆なレイアウトを目指そうとすると、なんだか却って古くさくて胡散臭くてちゃちくなってしまう。無駄にワンポイントの捨てカットを入れるのはうるさいし、ページの制約がタイトな文庫には、極力白いページは入れたくないし。*3


怪異伝説ダレカラキイタ?の場合、児童書という制約が逆に「絵の重要性」を増している。さらに、イラストの活用という普段はできない仕掛けが大活躍してくれるわけで、怪ダレでのイラストレーター諸氏は、単なる挿絵描き以上の重要な仕掛けを担っていただいている。
こういう仕事は楽しくていいなー、とかなんとか。


一昨年くらいから講談社の携帯コミックサイトMichao!に怪談コミックの原案提供の形でコミットさせていただいている。今年からこれに「怪覧」というシリーズタイトルを頂戴し、連載の形になるらしい。
で、こちらに至っては絵、というより漫画が完全な主役である。漫画家さんたちは読者の想像力の常に上を行かないとならないわけで、こりゃ漫画家さんは大変だろうなー、と思う。


文字で読者の脳内に像を結ぶ怪談。
絵、または映像で視覚的に「正解」を見せる怪談。
これに、耳から聞いて脳内に像を結ぶ怪談がある。今のところは稲川さんが先頭を突っ走っている語り聞かせ系怪談や、朗読ものがこれに当たるのだが、今後はさらにいろいろなスタイルの音の怪談が出てくるのかもしれない。そういうのもまたおもしろいかも、と思う。
表現手段は無尽蔵だよなー。うーん。

*1:と、昔教えられた

*2:これも昔、そのように教えられた

*3:僕が関わる本では、次のエピソードまでの「余韻」として許される白は、14行以内(文章がこぼれて終わるのは、2行以上)というルールになっている。いつ頃からそうなったのかは覚えてないけど、これも「超」怖い話の歴史の中で自然発生的に定着したルール。その一方で、見出しは必ず改頁した最初の行にくる(途中から始めない)というのは、第一巻からずっと続くルールとなっている。