全日本編集者の心境を代弁する会:校閲地獄変

校正作業が佳境に入ってきたので、息抜きに校正の駄話などを。


校正作業は通常、著者当人、編集者、校正者(校閲者)が行う。
編集部のエライ人(編集長)までがしっかり目を通す場合もあれば、手の空いている人間を片っ端から投入して人海戦術でチェックする場合もある。
校閲さんというのは校正のプロで、誤字・脱字・誤文法のチェックから、用法の間違い・勘違い、正しいけど難字の訂正、表記の統一、英単語のスペルチェックなどなどをかなり幅広くチェックする。専門分野の知識が要求されたりもする上に、集中力と注意力がないとできない仕事であり、個人的には出版界(特に編集分野)で一番偉い仕事のひとつに数えられると思う。*1
が、校閲さんも人の子というか人間なので、疲れてくれば注意力は散漫になり、見落としも出てくる。
「そういうときはどうするんですか?」
と駆け出しの頃に鬼と呼ばれた敏腕校閲さんに聞いてみたところ、
「普通は1行単位で読むところを、2〜3文節単位で読むようにし、さらに単語単位で読むようにするのよ」
とのお返事。そこまで細切れにしてしまったら、逆に大意とか大筋とかを見誤りませんか? と聞いたら、
「だから何回も読むのよ」
プロだ。鬼だ。
それらの鬼の校閲さんからは毎回毎回「あちゃー」という赤字が膨大に付いてきて、「こちらに回す前に原稿を書いたら少しは読み返しなさいね」と叱られたものだった。
つい、有能な校閲さんがいたので「校正のときに直せばいいや」という甘えがあったのだと思う。
現在の「超」怖い話や恐怖箱の進行では、そのへんがかなりスリム化されていて、専用の校閲さんは入っていない。理由は幾つかあって、ひとつはコスト。ひとつは時間の制約。ひとつは代替措置の導入。
平たく言ってしまえば、超高性能な校閲さんはたいがいはフリーか校閲専門プロダクションに所属していて、校正単価も高い。校閲というのはタダ読むだけではなくて、特殊技能を伴う高度専門職だからだ。原油高の折――というわけではないけど、読み捨て系の本ではコスト圧縮のため専門校閲工程が省略されることもしばしば増え始めているらしい。飛行機で言えば、軽量化のためにパラシュートを捨てちゃうようなもんで、墜落しなければ問題ないけど万が一のとき(それはしばしば起こるw)を考えると、かなり怖い。
時間の制約について言えば、作業時間の短縮という作業のスリム化の中で、どうしても短縮しきれないというか、本来は短縮してはいけないんだけど、真っ先に短縮させられてしまう工程が校正である。僕が知る20年前に比べて印刷技術の進化と編集技術*2の進化により、編集に必要な作業時間は相当圧縮されている。
例えば、10ン年前までの雑誌などでは、原稿を編集者に渡して編集者からゲラが出てくるまでに3日くらいかかるのはザラで、それは早いほうだった。デザイン後割、原稿先出しのような現場だと、原稿を渡してゲラが出てくるまでに2週間くらい掛かるというのも珍しくはなかった。時間がたっぷりあるので、いくつかの工程を踏んでいる間に、並行して校閲をやったりする余力があったわけだ。校閲を通せない場合でも、回数を読む、大人数で読むなど手間の掛かる方法で代用する時間的余地があった。
ところが現在は雑誌も(そして書籍も)DTPによる組版が浸透し始めている。
「超」怖い話の手法は著者→編集(そして著者も兼ねているw)が編集作業と組版と校正を同時進行→納品と、作業工程がかなり小さくまとめられている。
この方式のメリットは「ギリギリまで原稿を待てる」という点で、例えば原稿が校了日の前日に揃ったとしても、わりと余裕で入稿できる。この場合の入稿というのは「印刷所に印刷用の最終版データを渡し、そのまま印刷機で印刷を始めて貰う」という意味。通常は入稿すると校正紙が印刷所から出るのだが、「超」怖い話方式の場合は校正紙は印刷所ではなく編集組版担当者がそのまま出してしまうので、その分の手間が圧縮できる。作業工程的には相当小回りが利く一方で、どこを犠牲にしているのかと言えば「校閲/校正」を犠牲にしている。
本造りにおいて、校正作業というのは時間を掛ければ掛けるほどよいとされている。どんなに高性能な作者、精度の高い原稿を書く著者であっても、100%失敗がない原稿というのは作れない。人間だもの。みつを。
故に、「間違いは必ずある」という前提で原稿の精査、組版した版下のチェックをやる必要がある。著者の太鼓判があっても、それを確かめずに鵜呑みにして誤字が出た場合に著者の責任を問うことはできない。「見落とした編集が悪い」ということになるからだ。このため、どんな大先生の原稿でもそうでなくても、必ず可能な限りギリギリまで校正をするというのが編集の大鉄則となるのだが、そこの工程を削ることで「精度は下がるが、〆切には間に合う」という大裏技が通用することになる。
はっきり言って褒められもしないし自慢もできない。これはよくないことなのだ。
何がまずいって、単純誤字の問題だけでは済まない場合があるからだ。
これは編集者も忘れがちな盲点なのだけど、パソコンのモニター上で表示できる文字が、印刷もできるとは限らない。ある種のあまり使われない漢字・外字の類がクセ者で、一太郎で表示できるからといって、同じ字体*3で出力できるとは限らないためだ。MS明朝にあるからといって、小塚明朝Std(InDesignの基本明朝フォント)にあるとは限らないし、その逆も然り。装飾用途の特殊な書体だと、全ての文字テーブルが揃っていない場合もある。さらには、自前の環境にはあるフォントが印刷所にはない場合だってある。*4
夢明さんと組んでいた頃にも実際にあって、今から入稿すると恐らく自分の手元ではゲラが出せても印刷所からの校正紙を出すゆとりがないか、出てそこで致命的な誤字が見つかっても直せない、というようなタイミングで原稿が上がってくると、「全体の工程を狂わさずに発売日を守る」ことが優先され、表示されない可能性があり、それが確かめられない難字はひらがなに開いてしまったりする。不満は残るけれども、事故を避けるにはそれしかない。
このへんは技術的制約ではあるのだけど、その技術的制約すり合わせや調整もタイムロスの原因になる。予定通りに入稿できていれば問題はないのだろうけど、遅れが出ればそれらの調整ができなくなり、「誤字のまま出力*5」という、非常に不名誉な事態が起こってくる。
これは印刷所としても編集者としても始末書モノの不名誉なのだけど、それ以上にその本は「○○○が書きました」と著者の名前で出すものであるわけだから、そのあたりの事情を知らない読者から見れば、その著者の失態ということになってしまう。
「この本、誤字が多いな」
ということになった場合、時間がたっぷりあったのに誤字が直っていないなら編集者が責められるべきで、時間がほとんどなかったとしてもやっぱり責められるのは編集者なのだけどw、どちらの場合も読者からの責めを負うのは著者であったりする。
ただ、著者であっても誰も彼もが編集工程について詳しい知識を持っている人ばかりではないので*6、「〆切に間に合ったのに、誤字があるとは何事だ!」というお叱りを編集者が受けることになる。
もちろん編集者も頑張ってるけど、やっぱり餅は餅屋。校閲が入ればなあとか、校閲を入れる時間的ゆとりが取れればなあとか、印刷所からの校正紙をもっと早い段階で見られればなあ、とか……そういう精度向上のための改善策を採るためには、著者の原稿〆切を早めるしかないわけなのだが、それもなかなか優先できない。
本当は発売日の1ヵ月前には入稿(データ納品)したいし、印刷所入稿の1週間前には校了したいし、校了日の1ヵ月前には原稿が手元に欲しいし。
もし、入稿日の一ヶ月前にゲラが手元にあったら、かなりたっぷり校正に時間が取れる、はず、なのだ。*7

世の作家さん、漫画家さんから見たら編集者というのは、作家を急がせて精度を下げさせる存在にしか見えないかもしれないけど、世の編集者の多くは時間短縮、校閲省略という綱渡りの上、印刷所や取次から急かされながら仕事をしている。印刷所からの催促に答えつつ、作者の原稿アップをぎりぎりまで待ち、足りなくなって校閲に回せなくなった時間は自力校正w&機械校正で補う。
現在では、表記統一や誤字を一気に総ざらえしてくれる校正ソフトが出てきて、そうしたものを併用することで人間の校閲さんの代替措置としているわけなのだけど、こうした機械校閲というか校正ソフトは人間と違って微妙なニュアンスの読み分けや異字同意語の使い分けなどまでは対応してくれない。*8
そうなると結局は人間が読むしかないわけなのだが、一人の人間が何度も同じ原稿を読むと、だんだん麻痺してきて間違いとそうでないものの見分けが付かなくなってくる。故に、やはりどこかの段階で「自分以外の誰か*9」を入れるしかない。
これがプロの校閲さんでなくても、「初めて読む素人」でも結構大きな力にはなる。人によって気にするところが違うので、同じ版のゲラを渡された校正読みの小人さんが全員違う間違いを指摘してきた、という気が遠くなるようなことは毎回起こる。恐ろしい話だ。小人さん部隊の助力というのはひとつひとつは小さいのだけど、数が集まると大きいわけでほんと頭が下がる。いつも僕が寝てる間に靴を縫ってくれてありがとうございますw
でも、一緒に飲みに行ったときに入った店のメニュー(印刷されたもの、手書きを問わず)やオススメ看板を見るなり「あっ、誤字みっけ!」というのはいかがなものか。よく行く店のメニューが更新されたときに限らず、初めての店でも必ずやるのだが、これはこれで一種才能と言えるものなのか。助かってます。


世の編集さんは、多かれ少なかれみんな人知れず大変な仕事をしている。
中には身体を壊したり*10、家庭を壊したり*11、精神を壊したり*12で仕事を離れる方、職場を変わられる方も珍しくないし、「うおー!」と叫んで編集部を飛びだしたまま二度と帰ってこなかった方、押し入れの奥で呟いているのを発見され会社には親御さんから電話だけがあった方、呼び出されるたびに貰う名刺の会社名が違う方、編集部の自分の机から起きてこないので変だなと思って声を掛けたらお亡くなりになっていた方などなど様々。
編集さんを労れとは言わないが、草葉の陰にそういう人たちがいるんだってことを知っておいていただければ、と思う。
「超」怖い話/恐怖箱の小人さん総代として。ええ。



ところで、「明日校了だろう! そんな長文書いてるヒマがあったら読めよ!」というお叱りもあるだろうことは合点承知の助。
校正は時間を掛けることももちろんのこと、集中力勝負でもある。人間、集中して読めるのはやはり十数分〜30分くらいで、ときどき休憩を入れるか頭をリフレッシュしないとなかなか続かない。
5分休んで15分仕事ができる人と、15分遊んで5分で15分分の仕事ができる人というのはいるわけで、これは編集でも作家でも同様。性格(持続型&集中型)の違いもあるかもしれない。
でも、仕事の合間に気分転換で別の仕事をするっていうのはどうなの、と思わなくもないような。また、次の仕事のための情報収集と遊びの区別が付きにくいような場合は、とか(笑)
出力&編集作業中だけが仕事じゃなく、入力&情報収集&取材&コミュニケーションは(お金は生まないけど)大切な仕事の一環なんですよー、と。

*1:もちろん、印刷屋さんもデザイナーさんも偉い。

*2:編集工程そのものの変化と技術革新

*3:この場合はフォントという意味ではない

*4:うっかりTimes New RomanをTTFで入れてしまったことがあるのだが、「ないです」と言われてちょっとショックを受けたw

*5:文字がない場合、ゲタと言われる記号が代用で当てられる。それがそのまま出てしまうと誤字というか謎の文字化けになる。

*6:というより、多くの場合はそんな知識を持っている著者のほうが稀少なのでw

*7:もちろん、様々な事情でそうはならない場合もある。預かっておいた原稿を寝かせすぎてしまう場合や、原稿がそのままでは使えなくて大規模な推敲が必要な場合などなど。

*8:例えば、「留まる」「止まる」「停まる」は異字同意語だが使うべきシチュエーションが異なる。「止める(とめる)」「止める(やめる)」は校正ソフトには判別できない。「止める」「辞める」も同様。

*9:できれば本職の校閲さんorz

*10:編集部泊まりすぎ

*11:編集部泊まりすぎ

*12:円形脱毛症、パニック障害、欝によろ出社拒否症など。男女問わず。