「超」怖い話Nとお祓い考再び

してないんですけどね(^^;)


「超」怖い話チームが、実話怪談をやってるのになんでお祓いをしないのか〜という話の由来は、その時々で何度か変わった。詳しくは前にも書いたので割愛するけど、
勁文社時代、最初期はちゃんと行ってた(妙法寺)」
「そのうち勁文社の担当編集さんが、『僕は他の本のほうで行ってきたばかりなので、皆さんで行っておいてください』と引率しなくなった(浅草寺)」
神田明神のとき、僕は藤原姓の係累に当たるので遠慮して行かなかった(神田明神*1
「そのうち皆忙しくなってきて、『個々で行っておく』ということになったのだが、そうなった途端誰も行かなくなっ(ry」


と、そういうぐだぐだwな流れがあって、その後に「怪談本をやるのだから魔を祓っていてはいけないのではないか、むしろ魔を呼ぶべきなのではないか云々」という説もあったりなかったり。人に寄ります。
お守りの類も最初の頃は樋口さんが晴明神社のをもらってきて始める前に皆に配ったりもしてたんだけど、これもいろいろあって(ry
そんなわけで、個々に違うスタイルになっていって、うちはお守り・数珠の類はまるでなくて、一応は御札といい御神酒を(ry *2


……要するに、例によってお祓いをやってないわけなのだった。
「超」怖い話Νにおいても。
おそらくぼちぼち出回りだしてるだろうと思われますが、今年最初の実話怪談本・「超」怖い話Ν、そろそろ発売です。



午後から夜にかけて、あかね書房・怪異伝説ダレカラキイタ?の最新刊「恐怖の教室(第四巻)」のゲラの突き合わせとか文章の直しとかをみっちりやってきた。編集さんには東長崎までご足労いただき、駅前のマックに陣取っての作業であった。いつもすみません。
そのとき出た話でまたまた「お祓い」の話に戻る。
「怪談仕事をやる」ということで去年は会社でお祓いをされたらしいのだが、行ってみたら交通安全祈願だったらしいwww
で、今年はまだやってないらしい。
どうやら関係者に諸々不都合*3が出ている様子。
「やっぱりお祓いって行ったほうがいいんですかねえ」とご相談いただく。


うーん。
僕がそもそも行ってないですからねえ(^^;) 上記のような事情で。
だけど、気になるなら行っておいたほうがいいかもしれませんねえ、と役に立つようなまるで役に立たないようなアドバイスなどする。
気になるなら行っておいたほうがいい……と思う根拠は、お祓いというのは葬式と意味合い的に同じなんじゃないかな、と思うため。
お葬式をする理由は宗教的ないろいろとかを横に置くとすると、これは死者のためというより「死者に何もできなかったことを悔いる生者が、自分の無力を慰めるため」じゃないかな、とか思う。何かできたはずという後悔*4と、何もできなかった、しなかった、死者に悪いことをしたという気まずさ、別れを惜しむ気持ち、別れを惜しまないと怒った死者に何かされるかもしれないという畏れと後ろめたさw、そういった意識がないまぜになって、生者の気持ちの切り替えのために行われるのが「葬儀」という気分転換なのではあるまいか、とか思う。法事とか墓参りとか、そういうものも、宗教的な理由や超常的理由をとりあえず横に置くとすると、生者の意識としては葬儀と同じく「生者の気持ちの切り替え、生者の慰撫」の意義が大きい、という考えが根底にあるのであろう、とか。
お葬式してお墓をきちんとしないと何か起こるという怪談が後を絶たない一方、ちゃんとしてても起きるときは起きるし、ちゃんとしてなくても何も起きないこともあるわけなんで(^^;)


そうすると、「事前にちゃんとしておく」という「お祓い」という行為も、これまた生者の慰撫の一種であろうかと思わなくもない。もしくは手続き論というか。
つまり、
「不都合が事が起きるのは、自分がすべきことをきちんとしていないからではないか?」「手続き上の不備があるのではないか?」
という考え方があって、その上で、
「正しい手続きを踏んでおけば、とりあえず不都合は起きないのでは?」
と考える人が多いのではないか、と思える。もしくは、手続きをしていて、その上で何が起きたとしても、
「自分はすべきことはきちんとやっているのだから、それは少なくとも自分のせいじゃない
とも考えることができて、後ろめたさが軽減されるw まあ、免罪符的効果というか。
全てに当てはまるわけではなく、お祓いしてたってそれじゃ足りないような不都合や不幸が波のように寄せては返すことだってあるし、何もしてなくて何も起きないことだってある。
お祓いをしていて、それで何も起きなかったら「お祓いのおかげで起きなかった。自分はすべきことをきちんとやった」と安心できる。
まだ何も起きていなくて、しかしお祓いをしていないと「コレから先何か起きるのではないか?」と未来の可能性に不安を感じる。
既に何か起きてしまっているが、お祓いはしている場合「しかし、自分はきちんとしているので、それは俺のせいじゃない」と考えることで、気が楽になる。
手続き論的な視点から見ても、お祓いはやっぱ「生者の慰撫」というのが大きいのかもしれんなあ、と思う。


まあ、お祓いしててもしてなくても起こるときには起きるのでw
気になるなら、自分が気が楽になるためにお祓い行ったほうがいいし、気にならないなら別に行かないでもいい。
もし、「お祓い行ったほうがいいかな?」と思ったら、自腹切って行くことをオススメ。神社でもお寺さんでも自分が「ききめがありそうだ」と思うところに行ってもいいし、誰かのアドバイスを受けてもいいし、それもわからなかったら、自分ち近所にある一番近い神社(神主さんがいるとこ)に行って、そこの所轄の氏神さんの氏子札買ってお祓いしてもらって頭下げてくる……という感じでよろしいんじゃないでしょうか。



2/1から超-1/2009開始ということで、現在最終チェック中。
公開後に「リンク切れ」とかあったら、凄い勢いでこっそり教えてくださいorz







ところで、怪ダレ1「タタリの学校」に引き続き、怪ダレ4「恐怖の教室」のイラストを担当していただいた、岩清水さやかさんのblogを拝見していたところ、ミニ遊園地・函館公園「こどものくに」のご係累の方であるらしいことが書かれていた。こちらにある観覧車は国内最古のものなのだそうで、写真検索してみたら「ここはロングアイランドか! それとも欧州の移動遊園地か!」というほど素敵な感じのレトロな観覧車であった。
ちなみに日本最古のコースターがあるのは「浅草・花やしき」で、東京にきて20年以上経つけれども、機会がなくて乗ってない。いつか乗りたい、そのうち、とか思ってるけどなかなか実現しない。なんかもう、このままずーっと実現しない気がしてきたorz

*1:神田明神は、藤原氏に滅ぼされた平将門由来の神社なので

*2:道端で頻繁に祈られたり、説法聞かされたり、宗教問答吹っかけられたりする割に、特に信仰している宗教はなく、至って無宗教なんだけど、それを言うと「怪談書いてるのに!?」と驚かれることがたまにある。

*3:死人は出ていませんので「ご不幸」ではありません(^^;)

*4:しかしそれは同時に傲慢でもある