次の本の予告

僕はどちらかと言えば「確定しない仕事の話はしない主義」という自覚はある。秘密も好きだw まあ、これには理由があって、これまでに何度となくドタキャンの煮え湯を飲んできたからだろうなと自己分析してみる。
80〜90年代の狂乱バブルの頃、それが弾けてしばらくの間は、なんだかやたらの景気がいい話、風呂敷を広げまくった企画というのがしばしば持ち込まれてきて、よーしお父さん本気出しちゃうぞ、といろいろ準備して喧伝もしているうちに音沙汰がなくなり、どうしたのかなと思っていたら「あの話は立ち消えました」「担当者は先月退職しました」なんてのがザラにあったorz
そうなると準備はパーだわ、喧伝はしちゃった後なので撤回して回らなければならないわで、もーお大変。
そんなこともあって、「入稿期日が決まるまでは、ナニが起こるかわからない」という人一倍疑り深い性格になってしまったのだろうと思うw*1
事前にあまり大っぴらに告知をしなくなった理由のうちの最大の原因はたぶんこれ。


勁文社版の「超」怖い話も、毎年ぎりぎりまで続刊があるのかどうかわからなかったし(^^;)、竹書房版でも「売れなかったら打ち切りです!」と言われ続けていた初期にあっては、「また次回!」と予告が打てなかったし、これは初期超-1や初期怪コレでも同様だった。
「予め決めておいたことが計画通りに進むわけがない!」という疑念が常にあるのでw、予定がフイになって落ち込むよりは、実現が決まるギリギリまで言わないでおいて、「ハイ、できました」と出したほうが裏切らないで済むんじゃないか、という考え方になったんだと思う。


そして、実話怪談という書籍の、商品の性質の問題。
怪談というのは事前にタイトル、内容が知られてしまうと、そこからいろいろ想像逞しくして内容を見透かされてしまうことが多々ある。ジャンキーさんの中にはタイトルを聞いただけで、何通りかのオチを瞬時に想像するというエスパーみたいな超人が何人もいてw、竹書房版初期「超」怖い話の帯のような、内容をちょっと紹介するような3行ほどの煽りから、オチまで当てた人が実際にいた。
怪談というのは、オチに辿り着くまでの経過の部分で「だんだん怖くなる」というのが良い楽しみ方*2という性質があるのではないかと思う反面、オチが分かったらもう二度と読まない、という人も少なくない。*3
となると、ますますもって本が出る前から内容について説明したり紹介したり、ということはしにくくなる。なるので、結果的に告知をしなくなる。


また、恐怖箱系ならではの慎重にならざるを得ない理由、というのもある。
近年、Webの普及から、発信者と受信者、著者と読者の距離は近くなり、或いは昨日まで読者だった人が今日からは作者、というボーダーレスは現実に、そして頻繁に起こりうるようになった。
もちろん、「それ一本で食っていく、常に品質を保ち続ける」というプロフェッショナルなプロwと、「それ一本では食わず、兼業として持ちネタが続く間は書く」というハイ=アマチュアがいるのは確かだ。昨日までの読者が今日はプロ、という場合の「プロ」は、ハイ=アマチュアが発信者に変わることを意味する。
僕は、才能と品質と納期を守ることとは別に、プロがプロたる由縁のひとつには、その面の皮の厚さというか心臓の強さにあるんじゃないかなー、と思う。品質と〆切を守らなければならない、まだ出てもいない本の内容について、責任を負わなければならない、読者から批判を受けるのではないかというプレッシャーと戦わなければならない。このプレッシャーは相当大きいのではないかと思う。
実際には、ほとんどの場合は期待されていないか知られてないのだけどw、著者業wというのは「誰かが俺のことをバカにしているのではないか」という疑心暗鬼に苛まされるんですよ。書いてる最中は特に。
そこで「いやいや、俺は常に最高! 俺天才!」と自分を信じ切れる自信のある人か、よほどバッシングを受けてもスルーできる人かでないと、なかなかこの重圧には耐えにくい。
何しろ、シャドーボクシングみたいなもので、本当にそういうことを言っている人がいるのかどうかわからないけど、「いや、たぶんそう言われてるに違いない!」と思い込み始めると、その妄執から逃れるのは難しい。
加えて最近はネットもある。「どこかで誰かが俺の悪口や批判を書いているんじゃないか」と夜な夜な自分の名前を検索しちゃったりするというのは、これはハイ=アマチュアではなくてプロでも結構いたりするそうですよwww まあ、気持ちはわかる。誉められてれば嬉しいけど、そうでなかったら「俺の言いたいのはそうじゃないんだ」と思ったり「俺は駄目な奴なんだ」と思ったりしちゃうのが人間だものそうだもの。みつを。
だから、原稿が出来上がってもいないうちから「○○○という本が出る」「×××がそれに書く」というようなことが世に出てしまうと、それがプレッシャーになってまったく書けなくなってしまう、という人が出てくる。それでも書けて、それでも品質が維持できるのがプロのプロ足る由縁で、僕が「プロすげー」とリスペクトするのは、作品内容そのものの部分よりもwむしろそういったプレッシャーに絶えうる精神の強さの部分というか。
でも、そういうことをハイ=アマチュアの兼業作家さんにも求めてしまうのは極めて危険。人前に顔や名前を出して作品を発表する人っていうのは、あれはあれで一種の超人で(特に度胸とかが)、同じ著者というステージに立てば誰でもできるようになる、というのとは違うんじゃなかろうかと思うし、それを最初からできるように、と求めるのは酷なのではとも思うので。


そういうことを考えると、「飲んだときに顔を合わせたら噂話として喋る」というのを別にすればw、公式発表としては原稿が揃うまでは黙ってる、ということになる。
そして原稿は大概ギリギリで揃うので、「出ます」と言えるようになるのもギリギリになってしまう。ギリギリで原稿が揃った後ってのは、僕がきりきり舞いになってるからw、校了して告知できるのは、結局発売何週間か前という……やはりギリギリだorz



一方で、なんだかんだ言っても早めに「こういう本が出ますのでよろしく」と告知をしたほうが認知度が高まるのは事実で、「超」怖い話や恐怖箱のように定期刊雑誌などに新刊予告の機会がないシリーズは、リピーターですら新刊発売に気付かず、買い逃す、ということが実際に起こり得る。
そういう意味でやっぱり予告ってすべきだよなあ、したほうがいいよなあ、という反省から「新刊情報メール」をこの数年続けているのだが、blogも公式サイトもあるんだから、普通にHPに書けよ! と言われたらまったくもってその通りなのではないか、とも思う(^^;)


なので、今年はできるだけ早めに告知できるようにしつつ、公式サイトのほうにも告知情報をちゃんと載せるようにしたいと思います、と反省。


えー、今年は秋ぐらいまでほぼ途切れずに実話怪談がずーっと出ますよ。誰が、どんな、というのは一応伏せておくというのはお約束です。

*1:入稿した後に出版社が倒産しちゃって、結局本も出なかった、なんてこともあったorz

*2:楽しみ方というか、堪能の仕方?

*3:「超」怖い話の系譜に連なる怪談は、オチや原因を必ずしも明確に書かないため、読者の脳内でオチをいろいろ類推補完できることから、再読時の印象が変わる。その意味で、オチそのものよりも、二度、三度と読める、ということのほうが重要と思う。