KY――珊瑚記念日

現在、「KY」と言ったらさすがにぼちぼち死語であると思う。
作られた流行語が消費され尽くされるのは猛烈に早く、1年過ぎてなお使っているのは流行遅れと貶されるくらいの勢い。
このおかげで幾多の作られた流行語、流行らせようと意図して使われた造語の類は「今更引き合いに出すのは恥ずかしい、風化し、封印された言葉」として、本来の意味までも含めて葬られてきた。


これが流行らされる直前頃、2chなどでは場の空気を読まない人のレスに対して「空気嫁」という言葉がしばしば使われた。どちらかというと「過去ログ読め」と同義の諫める言葉で、「少し遡ればこれまでの議論の記録(過去ログ)が残っているのだから、まずそれを踏まえてから意見を言え」というニュアンスを含む。あくまで「空気を読んでから意見を言え」という、割と建設的な意図を含む語である。
これが、「空気読めない→KY」に換えられた結果、そこから諫めるニュアンスは消え、ただの下品な罵倒に失し、健全な議論に引き戻す意図も消えた。


「KY」と同時代の「美しい国(へ)」なども同様。
KYは朝日新聞が「空気読めない」の略語だとして、時の安倍元総理を揶揄する目的でぶち上げた。*1
同じく「美しい国(へ)」も、同安倍元総理を「現実認識に乏しい」と揶揄する目的で方々のマスコミが繰り返し使った。これは安倍元総理の著書「美しい国へ」を下敷きにした皮肉なのだが、「美しい国」「美しい」という言葉は、「実際はそうではないのに、美しくないものが美しく見える濁った目」「自国を誉める増長、驕り」というような、悪意のあるニュアンスで繰り返し使われた。便乗した「文化人」の多くも、これを「美しい国という驕り」または「美しくないものを美しいと言いはる欺瞞」として使っていた。
この手の批判が起こるときには、必ず原典に触れておくことにしているので、原著「美しい国へ」は買って読んだ。内容を踏まえると「驕り」だの「欺瞞」だのというのは、タイトルから助詞「へ」を省略したことによってニュアンスが変わった言葉を表層的に嫌っているだけだということがよくわかる。原著のタイトルのニュアンスは「美しい国へ(向かっていきましょう)」または「美しい国へ(目指しましょう)」の意で、共立または協業、努力の喚起を意図したものだった。決して批判にあったような「悦に浸る内容」ではない。つまり、批判者は批判の下敷きにしたものを、まったく読んでいない。便乗した人々も、言葉尻を捕まえて一緒になって騒いでいただけ、ということになる。誰もが原著を当たるわけではないから仕方ないのだろうけど、後で踊っていたことに気付いた人は、きっと相当居心地が悪かったんじゃないだろかと思う。


話は戻って「KY」。
この語を朝日新聞が意図して流行らせようとした背景には、もうひとつ別の意図があったのではないか、という説がある。
「KY」に「空気読めない」などという下品な罵倒のニュアンスが持たされる以前、KYと言えば朝日新聞の犯罪を象徴的に指したキーワードだった。
本日のエントリタイトルの「珊瑚記念日」とあるのは、「KY朝日珊瑚事件」を指す。
今日が1989年4月20日から数えて20周年に当たるのだそうな。
ちょっと前にも挙げた画像を再掲。

概要としては、「心ないダイバーによる珊瑚礁の破壊を懸念し、自然環境保護を訴えた記事に添えられたKYというイニシャル入りの珊瑚の写真――そのものが、朝日新聞の記者・カメラマンによって珊瑚に書き込まれたやらせ写真だった」というもの。現在であれば「珊瑚の写真をPhotoshopで加工して」というものが真っ先に頭に浮かぶだろうけれども、この捏造は、撮影したダイバー=カメラマン自身が、自分で珊瑚礁にイニシャルを刻み込み、それを自分で撮影して、自分で「心ないダイバー」を演じた、というやらせ写真である。
この事実が明るみに出た後、報道者がニュースソースを自ら作り出すというようなことは言語道断という論調が何度も繰り返され、その都度報道各社はお詫び文を掲げてきた。
つい先だっても週刊新潮の捏造手記誤報道事件麻生総理による天皇皇后両陛下ご成婚50周年記念式典での祝辞の読みに関する誤報道*2、さらには朝日新聞本社所属の校閲部員による2chへの荒らし行為と、それに伴う朝日新聞からのアクセス遮断*3などなど、報道の不祥事が続く。*4


事実を報道しない、作り話を報道する。
これは報道機関の信頼性を著しく損なわせる。
日本語は助詞や語尾に付け添えたたった一文字二文字の平仮名で、ニュアンスが180度変わってしまう言語でもある。
美しい国へ」と「美しい国」では既に意味が違う。
「批判される」と「批判されそうだ」でもまったく意味は違う。
意図的に誤解させる言い回しでミスリードを招き、逃げ道を用意しておいて頬被り、というスタイルを続けていく限り、主要各紙の部数減は免れないんじゃないかなあとも思う。


民主主義というのは、「有権者に遍(あまね)く広く、平等に公平に均質に、正確な情報を前提知識として与え、かつ、利点・不利点の双方についてあらゆる情報を提示し、その上で個々の有権者が個々の常識、正義や利益に照らし合わせて良いと思ったものを選ぶ」ことで、有権者の多数意見を優先させる、という意志判断が行われる。
有権者が常識的で正気で善良であっても、そこに代入される情報、前提として踏まえる情報が間違っていたり偏っていたら、有権者はその人にとって正しい判断を下すことができない。


民主主義国家に住んでいても、誰もが政治に興味があるわけでもなければ、実生活を棚上げしてそんなものに関わる余力があるわけでもないから、自分の考えに近そうな専門家に代理として権限を委ねる。これが選挙であり、そこから選ばれた議員がさらに間接的に選挙で代表を選ぶ。
報道が正しい前提情報を伝えなければ、間違った判断で間違った人が選ばれることにもなりかねない。


また、政治家だって全てに通じた万能の人間ではないし、同じ党内或いは他の党の誰か、そこに居合わせない人が言ったことなどは、報道を通じて間接的に知ることしかできないわけなのだが、それを伝える報道が既に180度ニュアンスを逆に伝えていたりするわけで、これで正しい判断をその場その場で即断しろというほうが無理であるような気がする。


このように、報道は嘘があってはいけない、ということの反省を20年前の朝日珊瑚事件朝日新聞は身を以て心に刻んだのだと思っていたのだが、どうやら会社としての意識は何ら変わっていないらしい。
これじゃ部数が減ってもしょうがないね。




……というようなことを、朝日新聞の勧誘にきた人に諭そうとしたら
「あ、お忙しいところすみませんでしたー」
と、あっさりと逃げられた。

*1:実はつい最近まで西友が「KY――価格安く」の略として使っていたが、それもなあ、という気がする。

*2:報道各社は『麻生総理、「弥栄」を「いやさか」と読まずに「いやさかえ」と発音』とこぞって報じたが、「いやさかえ」という発音は間違いではなかった。しかもこれについては各社から謝罪も訂正もされなかった。

*3:これにより、2chでのコピペ荒らしや罵倒荒らしが激減したw

*4:従軍慰安婦問題」などは元々存在しなかった問題で、朝日新聞朝鮮戦争従軍慰安婦をした人々を二次大戦での従軍慰安婦に仕立て上げて記事にしたやらせ報道が、時を経て既成事実化させられてしまったものと言える。もちろん朝日新聞はこれを謝罪していないし訂正もしていない。この従軍慰安婦問題をキャンペーンを張ってでっちあげ、中国政府などに注進して国際問題という一大スクープに祭り上げたのが朝日新聞本多勝一であり加藤千洋。「従軍慰安婦」証言を最初にした吉田清治証言は、後に当人によって「偽証」と告白されているが、こうした訂正は既成事実化されてしまうと掻き消されてしまう。