大詰め
蟻地獄、数日内に仕上げの予定。
「怪談を手がけると何かある」
というのは、命や自分の身体に関わらない限りは、「やった、話題性Get!」くらいに思われるかもしれない。
でも、物理的な体調不良、原因が特定できない身体的負傷・疾病、ゲラが出る段になってからわざわざ合わせたように起こる身内の不幸の類は、もうおなかいっぱいだ。と、毎回思っている。
起こりすぎで「また?」「話作ってんじゃね?」と言われそう(´・ω・`)
偶然というのが許されるのは二回までで、三回以上、或いは三人以上に何らかの連鎖的事象が起こったなら、それはもう必然でいいよ、わかったよもう、という気持ちになってくる。
実話ではないホラーの仕事もしないではないけど、実話ではない仕事ではそういうことは一度として起きたことがない。
常に、創作ではない実話の仕事でのみ、しかも「あともう少しで終わるよ!」というゲラが出た後くらいに、「すみません、ちょっと……」というようなことが起こる。
確か、妖幽のときはゲラが出たところで担当さんのお身内に肺炎疑惑が。その前のときはお身内に急な不幸が。その前もお身内に急な不幸が。その前もお身内に急な不幸が。*1
消防士や葬儀社に近い。それらが繁盛するということは、多くの不幸があるということであり、それらは繁盛しないほうが本来は喜ばしい。その意味で怪談もまた忌み仕事だと思う。体験談をお寄せ頂く体験者当人やその関係者の不幸に起因しているわけだから。
そう考えると、著者が自身の成果や実績を胸張って誇れる仕事でもないなと思えてくる。
著者が供養やお祓いをするわけではないから、体験者にとって何らかの解決に寄与できるわけでもない。
傍観者であり、記録者であり、場合によって忌むべき記憶に塩をすり込むことになることすらあり、しかもそれを世に残す=売って暮らすわけだから、何事もないほうがむしろ理不尽だと思えてくる。そこで我を誇るなんてとんでもない。いやホントに。マジで。
今回は恙なく……と思ったら、執筆陣諸氏にはそれぞれにいろいろあったらしい。
ぼちぼち「何かあるアテ」も無くなったはずの担当編集女史のところには、さらにまた今回もいろいろあった模様。
漫然とした日常が、いきなり凍り付き引き締まる。義理欠いちゃいけねえな、と思えてくる。何に対してなのかはよくわからない。
終わったらきちんと神棚に御神酒を。*2
とりあえず僕としては松尾さんの力に縋ってみる。きっとこれが僕の信じる力の源w