総論賛成、各論反対

  • 「戦争反対」
  • 児童ポルノ反対」
  • 「政権交替賛成」「二大政党制賛成」

例えば上に挙げた総論に異論を唱える人は恐らく少ない。
戦争はないに越したことはないし、児童ポルノは子供が可哀想。政権交替は*1たまにあったほうがいいのだろうし、政権交替の受け皿(選択肢)として大きな政党が二つあるのは良いことだ。
だから、このスローガンに総論で反対するのは、実は非常に難しい。それぞれの総論に反対するということは、

ということになってしまう。スローガンとして掲げられた総論が正義を含んでいると、斯様に異論を唱えにくくなる。

ex1.総論「戦争反対」、各論は?

では、「戦争反対」を押し進めるとなると、そこには様々な「各論」がある。方法論、具体論と言い換えてもいい。
つまり、「戦争をしないで済む、戦争に巻き込まれないようにするには、どんな手段・方法を用いるべきか?」という話。
これには様々な方法があるわけで、中には衝突するアイデアもある。

  1. 「武器があるから戦争になるのだ。武器を捨てれば戦争は起きない(起きても被害は小規模で済む)。武器を捨てるべきだ*2
  2. 「相手と同程度の防衛力を整備し、常に仮想敵国と同程度の力を保持すればよい。バランスが崩れなければどちらも手を出せないから戦争は起きない*3
  3. 「相手が戦意を喪失して戦争を仕掛ける気をなくさせるような、強大な防衛力*4を準備していれば、戦争を仕掛けられずに済む。圧倒的な防衛力の整備拡充*5が戦争を抑止する*6

戦争に反対する理由は、まず第一義には「自分自身の生命と財産が損なわれる可能性があるから」である。第二義として、「家族友人知人などの味方側の財産」、第三義以降あたりに「相手も同じ考えだろう、たぶん」とする相手への思いやりが出てくる。この順位が逆転するような人はもちろんいるだろうけど、有事の際には真っ先にいなくなる*7ので考慮に入れなくてよい。
それを考えると、「相手の合意がなければ成立しない1案」は論外。「無限に軍拡競争になる可能性がある2案」は不安、「とにかく起きないようにする、しかも相手の都合ではなくこちらの都合で起きないように働きかける」ということが必要になるわけで、上記3案なら「相手にその気を起こさせない、相手がその気を起こしても、自力で声明/財産を保存できるだけの相手を優越する能力を有する」とする3案が現実的で正解ということになるのだけど*8、そうすると「戦争反対なのに武器を持つのか!」という総論賛成1案賛成の人からの反論が出てくることになる。つまり、「各論3案は、総論を具体化する能力を持つが、総論の精神に反するという各論1案の主張により封じ込められる」ということになる。

ex2.総論「児童ポルノ反対」、各論は?

今国会で、成立を目指して進められている児童ポルノ規制法改正案。
もちろんこれも、「児童(18歳未満の未成年)を、性消費産業の犠牲者にしてはならない」という視点から言えば、児童ポルノ賛成などと口走ったら変質者として社会的に抹殺されるのは自明の理。なので、総論への反対や異論を切り出しにくい。
そもそも、この児ポ法の改正がこの時期にやってきたのは、国産エロゲの内容に関する国際的批判が引き金となって推進されているという背景がある。その一方で、元々児童ポルノに関する国際的な批判というのは、未就学児童または未成年=自分で自分について判断できない年齢であり、保護者による被保護下で保護されなければならない存在を、本人が同意しない性消費産業・商品の犠牲者にしてはならない、という合意の元にある。
発展途上国の子供をその親が児童売春などに従事させるという行為に大してNOを言おう、子供を守ろう、という考え方であるわけで、この点について言えば児童ポルノ反対という総論はまったくもって正しい。


だが、各論もしくは「児童ポルノの定義」に関する具体論に踏み込むと、総論に賛成する人々の個々のスタンスは大いに変わってくる。

  1. 18歳未満の全ての子供の裸/ヌードはことごとく規制すべき。自家用の家族の写真も対象にすべき。実年齢が18歳以上であっても、18歳未満に見える場合は規制の対象に含めるべき。芸術的であるなしは問わない。リアルな絵画もこれに含む。リアルではない絵画*9も含まれる。そして、過去に違法ではなかった時代に流通していたものも全て破棄すべき。破棄しない場合は違法所持にすべき*10
  2. 18歳未満の子供の裸/ヌードは規制すべきだが、家族は例外にすべきだし、18歳以上は規制すべきではない。*11また、芸術的なものは例外にすべき。芸術的かそうでないかの判断基準を作るべき。絵画、漫画、アニメ、ゲームも同様にアウトラインを作るべき。法の非遡及性原則から考えて、法案成立以前に取得しているものの売買・移転は規制すべきだが、単純所持そのものを規制するのはやりすぎ。
  3. 18歳未満の実在の子供の裸/ヌードは規制すべきだが、写実的とは言えない絵画、漫画、アニメ、ゲームなどでの表現は規制すべきではない。これらに描かれるものには、「性消費産業の犠牲と目される、犠牲者(モデル)が実在しない」ため、本来の児ポ法の精神とは異なる。反意的な表現・描写方法を制限し、表現の自由内心の自由の規制に繋がる。法案成立以前に取得した「被害者が実在するもの」について、転売・移転は制限すべきだが、罰則を設けて単純所持を規制するのはやりすぎ。被害者が実在しない絵画、漫画、アニメ、ゲームは違法とすべきではない。*12

議論されているところでは、大雑把にこんな具合。強硬論が1案で、2案、3案は1案を警戒する慎重論。1案は全面廃絶派で、2案は「芸術としての未成年のヌード写真」の規制を警戒し、より明確な基準を示すべきとし、3案は「実写は規制すべきだが、二次元は犠牲者がいないのだから規制すべきではない」としたもの。
改正児ポ法は1案に沿う形で合意が形成されつつあり、2案、3案はネットなどにおける改正児ポ法への反論としては一般的な論調となっている。「犠牲者が存在しないものに規制を掛けるのはおかしい」という、これはこれで正論と言える。
1案の支持者はここでも総論を楯に2案、3案を批判するわけなのだが、ここには「そんなものを持っている、欲しがる、捨てたがらないのは幼児性愛愛好者/変質者だからだ」という批判が内在している。総論に反論すると、変態のレッテルを貼られてしまうので、総論には誰もが反論しない。1案はその「誰もが反論できない総論」を楯に、わずかな異論も許さない、とする。
誰が判断をするのかも明らかではない*13時点で、恣意的運用が可能という余地を残す不完全な法に過大な刑罰を伴わせるのは、法の不備による犠牲者を増やしかねない。*14

つまりはこれも、総論を正しく遂行するための具体論に踏み込むと、極論を補正する案の全てが拒絶されてしまう。*15

ex3.総論-「政権交替賛成」「二大政党制賛成」、各論は?

総論として、「大きな政党二つが存在し、それぞれに選択肢があり、それぞれの政党が互いを監視し合い、一方が失政を行った場合はもう一方に政権交替すればよい」というのは、一見して理想的であるように見える。長期政権の腐敗を防ぐための手段として、この総論に反論すると、「旧弊守旧に縋る保守論者」とか「右翼*16」というレッテルが貼られ、変化*17に抵抗する悪役、とされてしまう。
そうした「時代に逆行する悪役」にはされたくないから、総論について反論を言う人は少ない。
のだが、実は世界的に見ると二大政党制というのは決して多数派ではない。どちらかというと、複数政党が連立を組んで政権を維持する多党連立制のほうが圧倒的に多い。
民主主義は選択肢を提示した上で、それを選ぶ機会を有権者が活用する、という形で群衆の意志/多数意見が採用されるという制度だが、選択肢は常に二つしかないわけではない。
本項では「総論に対して複数の各論が対立する」という例として、3通りほどの案がある、という例示の仕方をしているが、どこまで許容するかという段階は人によって異なるわけで、必ずしもいずれかひとつ、或いは極端と極端にだけ賛意が集まるとも思えない。必ず「中道」「両方の間」という選択肢も求められるし、まったく別のベクトルの解決策が求められる場合もある。
故に、選択肢は「大きな意見二つのうちからどちらかを選ぶ」のではなく、「幾つかの選択肢から一番自分に近いものを選ぶ」というのが本来は望ましい。
長期政権による安定というメリットを、長期政権による腐敗というデメリットが上回るという意見が増えるなら、確かに政権交替は行われるべきだろうけれども、その場合の受け皿がひとつしかないというのは果たして本当に正しいのだろうか?
今回、都議選及び総選挙を前にして、こんな意見を散見した。
「自民はもうダメだ。選べない。しかし、民主も同程度にダメだ。しかし、公明を選ぶ気はないし、共産は論外だ。社民? 何それ。投票権を棄権する気はないが、選択肢がない」
というようなもの。
今回は、「民主がいいわけではないけど、自民が厭だから」という理由で民主を選ぶ人が増えるのではないかと思う。そういう、自民に対する受け皿として、共産や社民が選ばれるかと言えば、もともと中道右派が支持してきた自民を否定した人が、いきなり中道左派の社民、左派の共産に走ると考えるほうがどうかしている。つまり、選択肢が消去法で民主しか残されていないから民主が選ばれる。


民主主義にあって、「他に選択肢がない」という状況がなぜ起きうるかと言えば、「二大政党制が優れている」という風潮によって、他の選択肢が排除されてしまったからではないのか、とも思う。
自民か民主か、という二大政党制は、本来政策選択で選ばれるべき選択肢だったはずなのだが、いつのまにか「政策vs政権交替」という図式に変わってしまっている。
「政権交替はすべき」という総論に対して、異論を唱えることができにくい状況になってしまっている。
政権交替をするための政策提案は、すべて「それは政権奪取後に考える」と先送りされてしまっているのだが、現状、そのことについては誰も不審に思わない。
「どうせ誰がやっても同じ」という諦観がそうさせているのかもしれないが、だったら政権交替をしなければならない必然もないはず、というロジックは聞き流される。
卓袱台をひっくりかえせば、よい未来が見えてくる
という考え方は、幕府を倒した後に明治新政府が薔薇色の明冶時代を創出した経験、二次大戦で国土が焦土になるという悲劇を経て、高度成長という薔薇色の時代を迎えた経験、そうした成功体験の記憶から来ているのではないかと思われる。
「何もかも投げ出してしまえば、きっともっとよくなる」という根拠のない楽観的期待の出所はそのあたりだろう。
もっとも、こうした過去の成功体験に馴れて、過度に過信した結果の失敗が太平洋戦争の敗戦だとも言われている。*18この成功体験への甘えが、同様の未来への楽観的期待を生み出しているのかもしれない。


「総論の正しさを楯に、各論(具体論)の検証を封じる」というのは、いろいろよろしくない。
まあ、議論に強い人なんかが会議なんかで無意識に使ってるケースもあると思うので、会議やブレストで意見戦わせる人を見る機会があったら、観察してみるといいかもしれない。
様々な業種、シチュエーションで、案外同様のシーンを見かけることがある。無意識にやってる人もいれば、議論のテクニックとして判った上でやってる厄介な人もいる。


でもそういうのを、国政でやられるとたまらんねえ、というお話。

*1:長期安定というメリットを、癒着と汚職というデメリットが上回るなら

*2:この手の非武装反戦というのは、「相手も同じ行動を取る」「対立している相手国も同じ価値観を分かち合うことができる」「対立している相手国も軍事衝突の回避を最優先と考えている」という、相手国への期待(甘え)の元に成り立つ考え方なのだが、通常戦争(外交の延長線の解決手段としての)は、価値観の衝突が対話で解決できないからどちらか一方の強制行為として起こるわけで、非武装反戦は原因と結果を倒立させた自分に都合のいい考え方をしており、現実的とは言えない

*3:これは東西冷戦などに見られるように、軍備拡張競争を生む可能性がある。例えば、2009年現在の中国海軍による太平洋進出は、インドネシア・オーストラリアの海洋防衛力拡大を刺激しており、オースットラリア海軍は海軍装備の刷新を始めている

*4:日本は軍がないことになっているのでこう呼ぶが、日本以外の国では「軍事力」「軍備」と呼ぶのが普通

*5:戦力の不均衡

*6:核兵器による核抑止力もこの考え方の中に入る。核兵器は圧倒的なので、核兵器があれば反撃を怖れて攻撃を受けずに済む、という考え。核抑止力については現在は北朝鮮がこれに与している。日本は通常兵器で海洋抑止力を構築。圧倒的な軍事力を持つことで、その圏内の小国は逆に必要以上の軍備を備えず、圧倒的な軍事力を持つ国と友好的な集団安全保障を結んでしまうという手もある。武装解除された日本が警察予備隊くらいしか持たなかった頃に結ばれた日米安保も元々そんな感じだったし、中米のリオ条約のようにアメリカの軍事力を傘とすることでそれより遙かに小規模な他の国々は軍備を増強する必要もなく、また、その集団安全保障圏内では戦争も起きない。日本では非武装反戦平和国の象徴のように言われているコスタリカは、リオ条約加盟国。

*7:ひっそり転向するか、真っ先に相手に排除されてしまう

*8:もっとも、この3案は2案の拡張版で、如何にして「相手より上を行くか」を競うことになりかねない点で、2案には近い。そこで、バランスを保つのではなく突き放して致命的な戦力差(アドバンテージ)を維持し続けられれば、常に自分側の主張に相手を傅かせることができるので、戦争を仕掛けられにくい、というもの。ただ、昨今では国と国が正面対決するハードな戦争よりも、テロリストと国、といったような低強度戦争が主体になっている。低強度戦争ではテロリストのターゲットは非武装の民間人や兵装のない都市部のビルやインフラだったりするので、ハードウェアの拡充だけでは対応できない、という説ももちろんある。

*9:ここに漫画、アニメ、ゲームが含まれる

*10:自民党提案ということでバッシングが起きていたのだが、民主党他もこの自民党案に合意している

*11:海外から「日本人はロリコンペドフィリアに寛容」という批判があるが、同時に欧米人から見ると日本人(アジア人)の顔立ちというのはそもそもが幼く見え、実年齢より若く見えるケースが多い。日本人が「幼く見える顔立ち、体格」に寛容なのもまた、日本人が「花開く直前の未成熟な瞬間」に美を見出す傾向があるためかとも思う。芸術・美・美的傾向について、欧米の基準を常に正しいとは言えない難しさがそこにある。

*12:今回の改正児ポ法ではこのアニメ、漫画、ゲームなどに関する規制は「3年後の改正」に持ち越されることになっているが、これが適用される場合、例えばネットの論調ではドラえもんの「しずかちゃんの入浴シーン」やエヴァンゲリオンの「登場人物演出(着エロもあるので)」が言われているが、「くれよんしんちゃんのしんのすけのチンコ露出(児童は幼女に限らないため)」など、ほとんど全ての既存の国産漫画、アニメ、ゲームが規制対象に含まれることになる。先の「国営漫喫」「アニメの殿堂」の批判を受けたメディア芸術センター設立への批判が民意である、と考えられた場合、この漫画、アニメ、ゲームの規制は早晩実現されると考えるべきだろう。

*13:現場の個々の判断に委ねる場合、個人の主観次第では「浜辺での水かけっこ」もエロに見えるし、「自宅の庭で撮った真っ裸の子供のプール写真」はエロではない、と判断する場合もあり、一律とは言えない。そして、全てのシチュエーションを予め規定して基準を示しておくことは不可能でもある。実現させると、担当官僚は「エロシーン想定地獄」に陥る

*14:昨今大発生中の痴漢冤罪は、被害者がそうだと言えばいくらでも冤罪犯人を作り出せる実例とも言える。

*15:ちなみに、衆院解散に関連した野党の内閣不信任案提出に伴い、今国会での法案審議がストップしてしまったため、改正児ポ法も継続審議ではなく廃案になった模様。この続きを民主党政権が手がけることになった場合に、今回の自民との合意を踏まえた「単純所持禁止」を盛り込むものになるのか、それとも単純所持は違法としないものになるのかは不明。そこで単純所持を違法化しない場合、有権者のウケはいいだろうが、外国wや児童・女性権利関係からのウケは悪くなる。また、その他にもこなしていかなければならない重要法案はいろいろあるわけで、今までは「与党自民の反対」を反射的に唱えて対決してきたものの、今後は「野党自民の逆打ち」では通用しなくなる局面も出てくる。かといって、同じことをやっていたら「新味がない」「交替の意味がなかった」と言われてしまうわけで。

*16:本来的な意味はかなり違うんじゃないかと思うのだけど、政府の主張を大政翼賛的に肯定する=右翼という認識で使っている人が多いらしく、最近では「与党意見に賛成するもの」を片っ端から右翼認定するのが流行している。一昔前はそのターゲットは左翼だった気がするのだが、変われば変わるものだw

*17:変化待望論者は、「変われば必ず良くなる」という改善絶対論者が多いのだが、変わったときに必ずしも良くなるとは限らない「改悪論」も念頭には置くべきだ。改善絶対論は、論者にとって都合が良すぎる、期待に対する甘えが強すぎるようにも思える。

*18:これは、日清戦争日中戦争の勝利、講和を経て過度の自信を得てしまい、進化を棚上げして自信ばかりが先走った結果、とも言われている。歴史は繰り返すと言うが、それは単に前と同じことをすれば、同じように自然によくなるというわけでもない。