本日より開始

そういうわけで、最強ホラー小説コンテスト・怪集/2009。
http://www.kaisyu.info/


本日より正式に募集開始です。
頑張って*1下さいw


実話怪談やってても、怪集 蟲をやってても思ったんだけど、「自分が怖いと思うものを、他の人にも怖いと思ってほしい」というのを具現化するのって、実際のところ難しい。
僕は恐怖というのはごくパーソナルな感情だと思っていて、例えば饅頭が怖かったり熱いお茶が怖かったりwというのを、落語のネタとしてではなく本気で怖いと思っている人も世の中には実在する。エンピツの先端が怖いとかそういう。定規向けられて相手の指折った人がいた気がするくらいに。
でも、先端も高いところも虫も熱いお茶も、「なぜそれが怖いのか?」について共感できなければ、他人の恐怖を自分も共有する、ということができない。


一方で、恐怖というのは理屈を説明されると納得できてしまったりする。理解できなければ想像できず、想像できないものはその恐怖の源泉(なぜそれが恐ろしく、なぜそれが危険か)を認識できないので、怖くなれない。
ところが、ある種の「恐怖の原因」または「恐怖のロジック」というのは、理解できすぎると途端にそれは恐怖ではなくなってしまう。
「それじゃ仕方がないね」「そういうことならそういうことが起きても当たり前だ」「なるべくしてなったんだね」という。
実話怪談の持つ恐怖、というか「超」怖い話やその影響を受けて培われた「超」怖い話の眷属たる実話怪談群は、「恐怖の原因について納得がいかないもの」というのが多分に含まれている。昔ここで自殺や殺人事件があって母親が子供を殺していて、というような原因が提示されない怪談、という意味で。僕などはどっちかといえばそちらのほうを怖く感じる。何が正解であるかわからないから、納得できない。いつまでも腑に落ちない。納得できないというのは怖く、また恐怖を嗜む人にとっては「その時点で自分が気に入った最も恐ろしい原因」を自由に当てはめることで再読性が高まるし、読者の想像力*2によっては、無限の段階を提示することにもなる。未完成で最後のパーツ、または幾つかのパーツが足りない不完全さが、逆に拡張性を高めるというか。


またその一方で、恐怖を理解し、説明し、説得するというものもある。
ホラー小説などは、そういう作り方をされているのではないかとも思う。著者自身が作る【恐怖が発生するルール】を、どのように定義づけるか? その独自ルールをどのように読者に共有してもらうか? みたいな感じ。
そのルールはできるだけ独創的なほうが驚きがある反面、独創的すぎるとルールの理解を導きだすために読者に負担を掛けることになってしまう。*3


説明しないとわかってもらえない、恐怖というもの。
しかし説明しすぎると、一緒に怖がってはもらえなくなるという厄介さ。
今回「虫」を課題に置いた。
生理的嫌悪感と、感情を一切持っていそうに見えない、つまり意思の疎通が成り立たない相手という恐怖感がある。また、人間ましてやその他の動物に比べて、その形状は限りなく奇異で、そして絶望的に数が多い。
恐怖の対象として比較的共感しやすいものとは思う。
また、それこそ特定の虫を挙げるだけで接点を共有することも容易かもしれない。
共有・共感しやすいがために、逆にそれをどう料理するのかといった点に注力できるのではないかとも思うし、またそれが腕の見せ所にもなるだろう。


今、恐らく悩んでいると思う。
時間はある。あるけどない。
一本に全てを賭けて散っていく人もいるかもしれないし、様々なスタイルを試そうという人もいるかもしれない。
長い話で一攫千金という人もいるだろうし、量産占有という作戦の人もいるだろう。どれもかまわない。
名前を伏せた、そして別ペンネームで最後まで名前を明かす気がないプロの参加も拒絶しない。アマチュアの登竜門をプロが小遣い稼ぎのために荒らす、という形になっても感知しない。同時に、名もないアマチュアに名を伏せたプロの作品が全滅させられるようなことになっても、誰も損はしない。たぶん。


怪集はバトルロイヤル。
そういう大会です。
実話怪談のように、尊重すべき体験談提供者はいない。
不穏な因果因縁に気を使うこともない。

リミッターを解除し、すべてをかなぐり捨てた人がたぶん勝つ。
楽しみですね。

*1:傑作選を狙って

*2:もっと言えば、恐怖の原因を思い浮かべる能力、或いは恐怖の原因のボキャブラリ/辞書の拡充具合

*3:怪集の幾つかのルールはその意味では読者に負荷を掛けている。講評さえなければむしろ負担軽減策のほうが多いけどw