民主党政権が作る未来の一風景

ある移民受け入れ後の日常風景
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4923350

民主党の政策集の中に「外国人地方参政権」と「重国籍の推進」というのがあった。
自民党の政策案にも恐らく「少子高齢化による人口減への対策としての、移民促進案」「日本国籍取得条件の緩和」は入ってくると思う。このへんは経団連からの提案で、高齢者の年金(現在の年金制度)を維持していくためには、若年層の人口幅を増やさなければならない、という考え方に於いては、自民も民主も基本的に同じだからだ。
そのアプローチの仕方が自民・民主それぞれ異なっており、民主は「外国人地方参政件」「重国籍」「連邦制*1」などなどを組み合わせてきている。


僕は、自民、民主に拘わらず、「日本国籍がない、日本語がしゃべれない、日本の習慣に馴染まない」という状態にある外国人の参政権は、地方であっても推進すべきではない、という立場である。
そして、安全保障(国内的には治安維持)を考えた場合、意思疎通ができない、ある程度共通の習慣や前提知識を持たない集団に対して、国への帰属意識を醸成させないまま受け入れてしまうのは、明確に危険ではないかとも思う。
これは日本人に対しても言えることで、個人主義が行きすぎてしまうことで公共=パブリックの共有という概念が消失してしまったり、「誰か*2がどうにかくれる、自分の知ったことではない」と責任を放棄しすぎの人は、公民権ドブに捨ててるなあ、と思う。


国の概念としてはいろいろあるだろうけど、

  1. 言葉/文字が通じる
  2. 言葉/文字が通じることで、風土に発生した歴史・伝統・習慣*3を、ある程度共有し、違いを容認できる
  3. 同一の通貨が使用できる
  4. 同一の法秩序を遵守し、同一の行政サービスが施される
  5. 同一の法秩序に基づいた防衛機構の維持と容認*4

少なくともこのへんは最低でも必要かなと思う。
国が国である理由というのを意識するのは国の中にいるとなかなか難しいのだけれど、
「国の外から来た人」
「いつか元の国に帰っていくこともできる人」
と、
「他に帰る国はなく、ここがずっといる国である我々」
との違いは明確に考えておかないといけないのかもしれない。


隣に外国人が住んでいるから国際化、という簡単なものではないと思う。
日本人のコミュニティの中に、日本語をしゃべれる外国人が日本の習慣を尊重して存在している、というのは問題にはならない。
日本人のコミュニティを上回る人数の、日本語をしゃべらない、しゃべれない、しゃべれなくても問題のない規模の人数の外国人が、日本人を必要としないコミュニティを独自に築いた場合、そこに日本人は入ることも通過することも近付くこともできなくなる。
そこは既に、日本の常識や日本の法も日本の公権力も及ばない、ゲットーになってしまうからだ。


冒頭の動画は「公園で騒いでいる外国人を、近所の住人の通報を受けて注意しに行った警官」を巡る騒動であるわけなのだが、言葉が通じてない。公権力としての警官が、抑止力として働いてない。日本人コミュニティの中の一握りの外国人、ではなく、それが逆転した状態。
民主党の推進する外国人地方参政権と重国籍と地方分権の推進*5が、現実のものになった場合、つまりほんの少し先の未来は、恐らくこんな状態が、首都圏より寧ろ、九州北部、関西、愛知や、人口密度の低い山陰、四国などで見られるようになるのではないかと思われる。
例えば韓国人移民の対馬移住、鳥取県島根県への移入が進んだところで、「地方分権」「中央政府からの独立」を対馬鳥取、島根が宣言する、ということも法的には可能になるわけで。


「いくらなんでも、そこまで行く途中で日本人だって気付くはずだ」
という反論もあろうかと思う。
何分にも安全保障論というのは「考えすぎ、取り越し苦労」が本道なので、ここまでの論は「怖がりな心配性の考えすぎ」で終わるに越したことはないのだが、民主党政権公約・政策集を精査すると、これは実現可能だ、ということだ。
「まさか誰もやらないと思っていたのに、気が付いたら誰も止めなかった」
「そんなことになるとは、みのもんたは一言も言わなかった」


……では済まないお話。

*1:道州制

*2:多くの場合は、「税金を払っているんだから、行政」

*3:ここには土着の信仰や社会常識も含まれる。

*4:海外の外敵に際しては安全保障、国内の騒乱に際しては治安維持を行う組織がある

*5:外国人に国政の参政権を与えない代わりに、地方参政権を与え、なおかつ地方の権限を強化して中央政権に対して影響力を持つほどにしてしまう、独立国なみにしてしまう、というのは、結局の所「外国人のほうが多い地方を日本連邦から独立させてしまう」という可能性を模索しているとしか思えない。近隣で人口が有り余っている「外国」を想定しないのは、お人好しすぎる。