怪集 蟲
本日、見本が届いた。
怪集 蟲
松村進吉/つくね乱蔵/深澤夜 共著
松村進吉、深澤夜の二名は、この怪集蟲が「カバーに著者名が載る、小説本」のデビュー作になる。*1
特に松村進吉。今月2冊目になる。
奇才・平山夢明の一番弟子として、ゆくゆくは小説で世に名を馳せていくことになるであろう彼の最初の一冊目が本書になるわけで、まだ知らない人は先物買いをお奨めしたい。師の薫陶が血の臭いと一緒に染みこんだような奇作を上梓いただいた。
つくね乱蔵は超-1出身の恐怖箱作家としてより先に、実は大手携帯サイトの携帯小説作家としてデビューを果たしている。紙の本はたぶん本書が一冊目。普段は幸福な話を書いておられるらしい。本書はその対極になる。
深澤夜は、昨年の遺伝記で見せた「堀田春」など、人を食った話*2やトリッキーなスタイルから、「長市の祭」などのような重厚なスタイルまで幅広く挑戦する、つまり何をしでかすか分からないタイプ。
三者三様に楽しめると思う。
いや、楽しいかな。うーん。蟲だしな。
……お好きな方には堪らない系の楽しさが味わえると思う。
ちなみに、前回の遺伝記で「この人の書いたのをもうちょっと読みたい」と思わされた著者は、実はこの3人以外にも何人かいた。紙数の関係上お願いできなかったものの、なんとかまた機会を作りたいなー、と思う所存。
*1:3人とも遺伝記掲載組だけど、あれは短編なので
*3:つい最近の第二期・絶望先生で「過保護者」ネタをやってたけど、今後ますます行きすぎた過保護が加熱する可能性は高い気がする。子供は成人になる前に、できるだけ多くの「社会の荒波の事前訓練」をしておくべきだと思うし、実際に緊急事態に出会う前に「起きるかもしれない危機」を想像する能力を鍛えて、サバイバリティを高めるべきだ。だが、「そんなことは社会に出てからやればいい」「子供のうちは厭なもの、悲しいもの、苦しいものは見せるべきではない」という過保護意識は、逆に子供達を次の一手が想像できない脆弱なものにする。その延長線が社会人、もはや大人になったはずの人々にも適用すべき、といった話が出てきつつあるわけで、過度の保護政策・優遇政策・抑止政策などはその象徴と言える。いずれ、怪談やホラーのような「公共に対して不愉快や恐怖を与え、いたずらに不安を煽るような娯楽物」は違法になってしまう日が来るかもしれない。というより、規制のないままでいられる、文化文物だから規制の対象になるはずなどない、と暢気に構えていられなくなる日が来るのではないかとも思う。怪談ではないけれども、既にある種のタブーについては商業出版社では実話創作問わず触れられなくなっているわけで、そうしたアンタッチャブルが今後、「社会不安を煽る危険な傾向を持つものの排除」という形であらゆるものに拡がっていくことになったら、ホント僕らは飯の食い上げになりそうだし、そうしたものを好む読者の楽しみは、次々に潰えていくんじゃないかなとか思うのだった。その意味で、今この時期に、今このタイミングで、不愉快極まりないものをテーマに据えたホラー小説アンソロを手がけることができたのは、滑り込みセーフ的な悦びを感じないこともない。もしかしたら、いずれ民主政権に目を付けられないようにするために、控えめにする、というような話が出てこないとも限らない。