党首討論ノーカット版

麻生内閣総理大臣と鳩山民主党代表の党首討論
http://allatanys.jp/S001/ex31000.html
ソースは「新s あらたにす(日経・朝日・読売)」。


麻生内閣総理大臣と鳩山民主党代表の党首討論
http://www.secj.jp/asx/secj090812-300k.asx
ソースは21世紀臨調党首討論主催者)

長さは90分近くあるが、完全ノーカット版ということで一見の価値有り。
現在のところ、これらについての報道は「試合後の観客の印象論」の域を出ないものが多く、ここでそれと同様の「どっちが押してた」「どっちが防戦一方」といった印象論・情緒論を繰り返しても意味がないので、完全に未編集の一次情報ということで、上記動画を一見するのがよいと思う。


映画1本分くらいの長さはあるが、不思議と全然飽きが来ない。
政治家の討論=回りくどくて何が言いたいんだかよくわからない、というイメージが強いのは、故大平首相以来の「断言すると揚げ足を取られる」ことへの警戒心からくるものだが、小泉元総理のワンフレーズとはまた違った、「具体的な数字を挙げる」「因果関係を明快にする」という形での説明がなされたもので、かなり見応えがあった。


くれぐれも念押ししておきたいのは、総選挙・政治というのはスポーツではないということ。正々堂々とか、清々しくとか、敵を尊重してとか、寛容な精神とか、どっちもどっちとか、そういう、「スポーツのようなフェアネス」を念頭に置いてはいけない。*1


後で「そんなこと知らなかった」と言っても遅いので、誰をどう支持するにしても、両者のトップの言い分をノーカットで見ておくといいんじゃないかと思う。


人間は、「良いこと」は「されて当然、得られて当然」だと思って感謝しないし評価もしない。
逆に「悪いこと」は「されるがずがないこと、まさかの裏切り」だと思うので、少しでも物足りないと思えば全力で否定する。
自民・民主他の選挙公約について言えば、良いところはどちらにもあるわけで、それについては「どちらがなっても良い利益」が受けられるわけだから、ある意味では気にしなくてよい。
問題は「良いとされている政策がもたらす悪い効果」「自分としては受け入れられない政策」について。


常々、「最善を選ぶ」のではなく「最悪を選ばない*2」という投票をすべきだと思っている。
これから起こる良いことについては無関心でいてよいので、これから起こる悪いことについて、細心の注意を払うべきだ。


人間は、「自分に有利なこと、自分に利益があることは必ず起こる」と期待する。宝くじを買えば、買った瞬間に三億当たった気分になって、金も入らないうちから焼き肉を食いに行っちゃったりする。
一方、「自分に不利なこと、自分に不利益なことは自分にだけは起きない」と期待する。交通事故や飛行機事故に自分だけは合わず、自分だけは泥棒や強盗に狙われず、自分だけはイジメにも遭わず、同期がどれだけ減っても自分だけは会社を首にならないと信じたりする。それよりなにより、何人にも等しく「死」は訪れるが、自分だけはいつまでも死なないような錯覚に縋って生きている。


良いことが起こることを期待して幸せな気分になるのはいいとして、悪いことが起きないことを自明の理のように考えてしまうのは危険だ。
選挙というのは、「良いことをしてくれる人達」を選ぶのではなく、「悪いことをしないだろう人達」を選ぶべきである。
そのためには、彼等がどのような良いことをしようとしているかではなく、彼等が良いことだと言っていることが行われたときに、どのような不利益があるか? を理解しておくことが必要なのではないかと思う。


民主主義は、情報戦である。
又聞きの印象論、情緒的な物云いに煽られるのがもっとも危ない。
常に一次情報に触れて、自分自身で判断すべきである。






ナチスドイツは、民主主義から民主的な手続きによって産まれた。
ただしそれは、熱狂のうちに産み落とされた。
そのとき、彼等を推した有権者は、彼等が何を為そうとしているのかを、よく知らなかった。知らずに推した。そのことを戦後のドイツ人は「あれはナチスが勝手にやった」と言った。
70年前のことを知る老人は既に鬼籍に入っている。
歴史は、その教訓を思い知った世代がいなくなった頃、反省を知らない世代の台頭で繰り返される。
何はともあれ、まずは一次ソースを当たるべき。
一年後の自分に「自分は無知ではなかった」と胸を張る為にそうすべき。

*1:オリンピックなんかでもそうだけど、「参加することに意義がある」という言葉が一人歩きしすぎで、オリンピックやサッカーが「武器を使わない戦争」であることを、日本人は受け入れられないところがあるような。同様に政党政治についても、どこか他人事で当事者意識が薄いところから、「正々堂々」「懐が深い」「自分は観客」という感覚で、情緒的な解説報道に流されてしまうところがあるような気もする。後で酷い目に遭うのは我々自身なのだから、できるだけ痛い目に遭わずに済みそうなところを選ぶ必要がある。

*2:しかし、選択を放棄するのではない。選択放棄・白票を誇らしげに言う人がいるが、それは単なる勝者への白紙委任である。