匿名と実名
さぼり記でも、これまでにも何度も出てきたテーマなのだけど、産経と毎日が取り上げてるので、改めて意見を整理してみる。
【Web】「実名・匿名論争」盛り上がる - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/091015/its0910150821004-n1.htmネット上でも実名で表現を:勝間和代のクロストーク - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/10/post-27.html
最初に旗色を明確にしておくと、僕はインターネットにおける発言というか、特に議論については、匿名を許容するものであっていいと思う。
実名での発言をしたい人がいるなら、したってかまわない。それはその人の覚悟の元に行われるものであって、自由だ。
が、「自分は実名で発言しているのだから、みんな自分に倣え。匿名発言は物陰から狙撃するようで卑怯だ」というような主張は、的外れであると思う。
例えばさぼり記はなんだかんだで仕事の話にも触れることが多いので、半匿名/半実名のような風情だがw、さぼり記以外の場所での発言*1をする場合に、実名で発言することはほとんどない。
また、さぼり記にコメントなどでご意見いただく方々に、「実名を名乗れ!」と強要するつもりもない。
そもそも、ネットにおいて何が難しいって、「自分が自分であること、自分とされているものが自分ではないこと」を、自分で証明する、ということほど難しいことはないのだ。
その意味で、実名を主張したところで、実名であることが虚偽でないかどうかを証明する努力が無為すぎる。
例えば、さぼり記には関わってきた著書の名前が並んでいるから、僕がその著者当人だ、ということの証明になるかといえば、これがすぐにはならない。
はてなダイアリーは誰にでも無料で借りられるものだし、デジタルデータとして存在している書影画像や、Amazonへのリンクなどは、僕以外の誰かが僕を騙って「本人です」と言って造ったら、それこそそれが本当かどうかを調べる手段はほとんどない。
幸い、このさぼり記のURLは自著の著者紹介などに掲載して頂いてるので、さぼり記の内容はそれぞれの出版社が保障してくれている、ということにはなる。
だが、例えば実名なりペンネームなりで僕の名前で2ちゃんねるに書き込みがあったとする。
が、それが本当に僕だ、ということはそう簡単には証明できない。*2
文体が似ているとか、犯人wしか知らないことを知っているとか、そういう証明方法もあるかもしれないけど、文体は似せて書くことが可能だし、犯人wしか知らないことをそれが犯人だけが知り得たことなのかどうかを、第三者が証明することは非常に難しい。*3
となると、「それは本当に自分である」及び「それは自分ではない」ということを証明するために、労力を割くのは本当に意味がないというか無駄。*4
なので、「自分が自分と証明できそうな気がする*5場所」では、立場を弁えた発言をするし、立場上できない発言、してはまずい発言*6はしない、ということになる。
逆に、匿名発言が許されている場所に分け入っていって、「俺は本人だ!」という発言をするというのは、上述のように「本当に本人かどうか」の証明が大変なのと(^^;)、「本人を騙る偽者」の排除という労力を強いられることにもなるので、そもそも最初からしないほうがよい、と思う。
そういう場所では、郷に従うのが正しいのではないか。
というか、「俺は本物だから俺が言うことは証明するまでもなく正しい」というのが、実名発言者が実名で発言するときに得られる最大のメリットだと言える。そのメリットが、個人特定されるリスクを上回る人というのはどういう人かと言われると、これは「名前を売ることが仕事の人」で、同時に「名前(それに付随する肩書き)が、圧力として意味を持つ人」に限られる。
例えば、政治家。例えば、警察のエライ人。例えば、極道のエライ人。例えば、業界のエライ人。例えば、評論家のエライ人。政府の決定に影響を与えるような立場のエライ人。*7
そういう人々は、「この俺が言った」「造詣が深くこの道40年の俺が言った」という発言の影響力にこそ意味を持つ。そういう人が言ったのだから、言った内容を検証するまでもない、という空気を醸成し、反論者による検証を封じてしまう。名前と肩書きに対する「従属」を強要する。
実名主義を主張する人の多くは、肩書きや立場によるゴリ押しが可能なポジションにいて、そのポジションを利用して相手の反論を容易に封じ込めたい、という意識を持っている。先だって、故江畑氏の訃報に触れてブログが炎上した民主党議員がいたが、これなどもその典型と言えよう。
確かに、専門家が専門的に知っていることを相手に信用して貰おうと思ったら、「自分は○○○の専門家である×××である」という名前を出してしまうのが、手っ取り早いのだろう。それが、実名主義を主張する有名人にとってもメリットであるからだ。
が、そういうやり方は、議論の内容を検証しなければならない場合には、「ゴリ押し」「押しつけ」同時に、相対する論者やそれを見守るオーディエンスに対して、「自分の頭で考えて同じ結論に至る」という思考の経緯を奪うことになる。
三角形の面積は底辺×高さ÷2である。
そこで、回答だけ押しつけられて公式が理解できるか?
公式の暗記だけを強要されて、その理屈が自分のものになるか?
否であろう。
それについて、「俺が言うのだから正しい。俺は○○○だ」とやってしまうのは、例え解が正しくとも、議論の相手に理解を促したことに繋がるだろうか?
匿名での議論は楽しい。
ポジションに基づく一方的な押しつけがない。
というか、「信頼できる上司wによる内部情報」といったw怪しさマウンテンなものが匿名で出てくることもあるし、発言者が本物かどうか証明する手段も持たないのに「自分は本物で、自分は正しい」と言いはる押しつけをする人もいないではないw
だが、そうしたそれを言ったのが誰か?というのは、匿名同士の議論ではほとんど意味を失う。
誰が言っているか?ではなくてで、なんと言っているか?の部分が、より重要な意味を持つ。*8
「何と言っているか?」は、誰にでも検証できるものでなければ信用されない。特定の誰かしか証明できない情報は信頼性が低い。
故に、その発言が誰のものであるかということより、その発言が含む情報は検証可能で、検証した結果そこに重要な意味があるかどうか、がより重要ということになる。特定のポジションというメリットは特に必要でも重要でもない。
「その立場の人間が言うから重要なのだ」という我田引水が必要な人にとってのみ、立場を証明する「実名・肩書き」が意味を持つ、というのはつまりそういうことだ。
と、こういう長い話を書けるのも自分とこのblogだから、とも言えるw
匿名で書くべき場所には、要点箇条書きしたものを放り込んできた。
このテーマに関する僕の考えは既に触れた通りなわけだが、それぞれについても思うところがあるだろうと思うので、それぞれがそれぞれの立場や起こり得る組み合わせを考えてみたらいいんじゃないかなとか思うのだった。
A★有名人で実名推進 → 売名で得をする。名前が知れ渡っても損をしない。
B☆有名人で匿名容認 → 実名発言にリスクがあり、名前と発言がセットで知れ渡ると損をする。
C★無名人で実名推進 → 売名で得をする。著名になるというメリットがリスクを上回る。
D☆無名人で匿名容認 → 実名発言にリスクがあり、名前と発言がセットで知れ渡ると損をする。選択的実名制になった場合、上の4種の組み合わせのバトル(議論)が起こり得る。
1)実名主義の有名人同士
2)実名主義の有名人と匿名主義の有名人
3)実名主義の有名人と実名主義の無名人
4)実名主義の有名人と匿名主義の無名人
5)実名主義の無名人同士
6)実名主義の無名人と匿名主義の無名人
7)匿名主義の有名人と匿名主義の無名人
8)匿名主義の無名人同士
9)匿名主義の有名人同士※(1)と(3)と(5)*9はいずれも実名主義だが、それぞれ「立場」が異なる。が、実名を晒すリスクはいずれにもある。
※(7)と(8)と(9)*10はいずれも匿名主義なので、それぞれの「立場」は利点として活用はされず、実名を晒すリスクを両者が共有しないので、事実上同じものとして考えてよい。実名主義を主張する有名人・無名人双方の特徴は、「売名によって利益を得る立場」にあるか、「リスクがメリットを下回る、という確信(または慢心)」がある。覚悟ではない。
また、実名主義有名人は、発言内容について論拠を示さずともネームバリューを「圧力」として利用できるメリットが大きい。だから「自分の名前を晒す覚悟」というリスクを取るように見せかけて、「圧力メリット」を多く享受する。
実名無名人には、そうしたネームバリューによる圧力メリットはなく、むしろリスクしかない。匿名主義を主張する有名人・無名人双方の特徴は、発言内容についてネームバリューによる圧力メリットを持たない代わりに、実名であることのリスク(実生活に対するリスク)も持たない。
発言に責任を負わないことで、無責任な発言が増えるという批判(実名主義者による)がある一方で、
実社会・実生活でのリスクを最少にしつつ、弁えなければならない立場などの束縛を受けない発言ができる。匿名主義の有名人・無名人は、発言によって本来得られるはずの利益も放棄するが、同時にリスクも放棄する。
上記は僕がオリジナルとして書いたものだけど、それを言うのが僕であることに大した意味はないし、逆に本当に僕がオリジナルなのかどうかということについても大した意味はないので、特に証明はしないし強制もしない。
覚え書きとして、及び議論のための下敷きのひとつとして、どういった要素要点があるのかについて、使い倒したらよいのではないかとか思う。
ともあれ、現時点で既に「真の匿名」なんてものはない。*11個人特定は技術と権限があれば可能だからだ。それをするのには労力と費用が掛かり、恒常的に実名であることを証明し続ける仕組みを作るのは、費用が嵩む。
また「真の実名」を徹底しようとすることは、結果的に「それが本当に真の実名かどうか?」を証明する方法を伴わなければ、偽の実名が横行することにしかならないので意味がない。
つまり、労力の割に得るところが少ないのである。実名制の徹底というのは。
その意味で、実名で発言したい人はそうすればいいし、しかし匿名での発言を完全禁止するようなことをせず、匿名と実名が選択的に並存すればよいのではないかと思う。
実名主義者が匿名を排除しようとするのは、「匿名は卑怯だから」で、つまりは実名にはリスクが伴っていることを、いみじくも実名主義者当人が認めている、ということでもある。そうでなければ、「自分は実名というリスクを取っているのだから、自分と敵対するものも同じリスクを取るべきだ」などとは言わない。
そして、有名人や売名行為以外で、実名を公開することについて、メリットがリスクを上回るという説明や証明ができていない点が、実名主義に説得力がないところでもあると思う。
友愛政治とかにも言えることだし、ここからは僕の趣味wや仕事上の題材にも繋がる話なのだけど、世の中は自分に都合良くはできていない。あり得ないしあって欲しくないことが都合良く起きない、ということはない。
リスク、危険というのは必ずある、という前提で、それに備えることが必要だと思う。あり得ない、在るはずがないと信じ切っていると、実際にそれが起きたときに対応できない。あって当然、必ずある、と身構えていて、それがなかなか起きないのは幸せなことで、いざ現実になったときにも、リスクを最少化できる。
人生は最悪で、起きて欲しくない最悪のことは必ず起きる。*12
人を見たら泥棒だと思え。
泥棒にならないうちは安心していいが、常に警戒を怠るな。
とまあ、世知辛い話ではあるんだけど、「何もしなくても平和で幸せ」なら役所も警察もいらないわけで、「誰も悪くはないのに悲しいことはきっとある*13」からこそ、最悪に対する備えが必要であるわけで。
自宅に鍵をかけず、パンツ一丁で道を行く実名主義は、リスキーである。
自宅には鍵をかけ、外出するときには上着を着、TPOに合わせて服を替え、相手に合わせて言葉遣いを変える。それがリスクヘッジであるわけで、名前の取り扱いも同じなんではないだろうか。
*1:例えば政治系の板や料理系の板やw なぜなら、そこで発言するのが「誰であるか?」は、ほとんど意味を成さないからだ。安全保障趣味者の寄り合いで、政府系でも専門家でもない人間が出自を明らかにしても意味はないし、料理趣味者の寄り合いで「怪談作家ですが」と書いても料理話と関連性がなさすぎるので説得力にはならないw
*2:厳密に言えばできる。2ちゃんねるはIPを保存しているし、書き込んだ人間のIPと僕のISPの記録を照合すればある程度の個人特定は可能だ。ある程度を越えたレベルの個人特定は、警察などで犯罪予告者を特定逮捕することにも使われているのでご存じの通り。
*3:犯罪ならまだしもw
*4:例えば僕は髪の毛が緑色である。自分でもそう宣言していて、見切れ写真があったり、自画野菜像があったりもする。緑であることを前提にした知己らしい人々のコメントがあったりすることもある。が、それが本当かどうかを確かめようと思ったら、現物に対面するしか証明方法はない。写真を載せたところで、「Photoshop」「赤の他人の写真」ではないことを証明できないからだ。そのくらい、存在証明ってのは不確かなものであるわけで、実名にしたくらいで存在証明が盲信wされるなんて楽なことがあるわきゃない。
*5:発言に連続性があり、何らかのネットを経由しない存在証明ができる
*6:大人として、とかw
*7:アタシのパパは政治家なのよ! とか、俺の親父は警視総監だぜ! とか、僕んちお父さんはヤクザの親分なんだぞ! とか、おうおう、俺を誰だと思ってやがる! とか、うちは両班の血を引く家系なのよ! とか、以下略。ちなみに僕んち実家は藤原利仁の係累で青木昆陽と子孫でありやんごとない皇室とも遠縁になるのだ! ……という話を吹いたとして、事実関係の証明が難しい上に与太かホラ扱いされてしまうのがオチw 恐らく真に受けられることは少ないでしょう。
*8:裏を返せば、実名・肩書き・ポジショントークというのは、言っている内容はあまり重要ではなくて、それを「誰が言っているか?」だけが重要であるとも言える。核廃絶は誰が言っても意味を持たないが、オバマ大統領が言ったなら意味を持つ。それは米軍の核戦略に足枷を嵌めることになるわけで、オバマにノーベル平和賞を与えて、アメリカに核廃絶の推進という足枷を嵌めたノルウェー政府は狡猾だとも言えるw
*9: (5)も実名主義同士、というのを書き込み忘れてたので補足(^^;)
*10:この組み合わせも、スレ書き込みでは入れわすれてたorz が、これは事実上(8)と区別が付かない。互いに匿名で、互いに相手が誰か特定できないから、有名か無名かが意味を持たない。その意味では、(7)(8)(9)は等価である。
*11:無理すれば擬似的な完全匿名はできないことはない
*12:怪談・恐怖譚における読者(体験者)にとっての最悪は「死」である。それは多くの場合避けられない。それを未然に感じるのが「恐怖」であるわけだ。