ネットオワタ?

目覚めの覚え書き。

三木谷浩史
http://twitter.com/hmikitani

今日、内閣府によばれて成長戦略について話しましたが、なんか聞く気ないというか何なんですかねあれは(笑)about 16 hours ago from Keitai Web



日本人はインターネットに悪いイメージを持っている?だって。やっぱ行かなきゃ良かったよ。時間の無駄でした。about 16 hours ago from Keitai Web

しかもメインの人が居眠りする始末。とほほ。あんなのはじめてでした。about 16 hours ago from Keitai Web

名前はやめときます。しかし、よっぽどわからなかったのでしょう。しかし、民間の人間を呼び出しといて、なんなんですかね。ひさびさにムカつきました。about 15 hours ago from Keitai Web

少なくとも国家戦略担当の副総理*1が日本人はネットに対して否定的だというのは無茶苦茶不味い。ネットがわかる人を国のトップにしましょう。とても迷いましたが、敢えて書かさせてもらいました。about 12 hour ago from TweetDeck

そうですね。それとそれにより世界がどう変わろうとしているか予見できる人です。 約12時間前 TweetDeckで

ごめんなさい。今気づきました。 約12時間前 TweetDeckで

楽天は薬の通販関係でずいぶん前*2から厚生労働省だったかに抗議活動とかしてたけど、今回の話は文脈からすると「ネット経済」の視点からの成長戦略に絡んだ話と思われる。

  • 日本人はインターネットに悪いイメージを持っている


菅直人がインターネットにいいイメージを持っていないのだろうことは容易に想像できるが、「私はそう思う」を「みんなそう思っている」にすり替えないでほしくはある。
熱狂によって担ぎ上げられた民主政権だが、熱狂が去ったときに彼らを引きずり下ろすのもまた「次の熱狂」であるわけで、インターネットは全国を一瞬にして「ひとつの広場」にしてしまう力を持つ。


以前読んだギュスウターヴ・ル・ボンの「群集心理」では、広場での群衆の振るまい、という感じで「熱狂が伝わりやすく、理性的な思考より負の感情だけが瞬く間に伝播する」というような群衆の危険性が指摘されてた。
これが下ると新聞の発達などにより、情報共有は広場より広い範囲に広まったが、広場のような即時性・同時性は失われ、それによって群衆の熱狂が抑止されたと同時に、情報を集約再配分するハブに存在する新聞社、または新聞発行元を掌握する勢力が、情報発信権力を持つに至り、情報受信者はその情報発信者に統べられる、という図式になった。
ところが、インターネットの登場と普及によって*3、こと群集心理に関しては、ギュスターヴ・ル・ボンの指摘した時代に立ち返っているのではないかという気がする。
インターネット(の掲示板やblog、Twitterなど)は、そこに肉体が居合わせることはないが、肉体を同じ広場に置かなくとも情報の即時性・共振性は維持され、数分で熱狂が起きる。
広場の熱狂は、それに参加する群衆が餓えを満たしたり寝たりといった「その他の日常的行動」をせざるを得ないが故に、収束する。また、100万人が集まっても100万人が入れる広場などそうそうないから、物理的に情報共有が進まなくなって熱狂は冷める。
ところが肉体を押し込める物理的な広場を必要としないインターネットは、「いつでも出入りができる」うえに、一時間前、一日前、三日前の情報であっても「今知った」ものとして受け取れる。同時性に持続性が付く。故に、熱狂が持続しやすい。*4
その意味では、一度は忘れられた「群集心理」に立ち返ってみると、むしろ現代の「熱狂」の図式が見えてくるのかもしれない。


議論が高まるのは、こうした主張、それが時に的外れのものであっても、一度は検討・斟酌してみることができるが故で、

  • ネットは実名制、匿名での発言は許さない
  • 自由な発言は熱狂を生み出しやすいので、社会正義のために禁止する*5

というような方向に進んでいったら、「今我々がしている、直面していることは、本当にそれでいいのか?」ということについて立ち止まって疑問を呈することもできなくなるかもしれない。

何も特高警察が身柄を拘束にこなくてもよい。
批判に対して「名誉毀損」を訴えてもいいだろうし、訴訟沙汰にするまでもなく、何らかの理由を作ってISPから排除してしまえば、ネットは更新できなくなる。当人の発言機会を奪っておいて、後はどうとでもできる。
「押収したパソコンの中に、違法データが入っていた」
例えば改正児ポ法の厳密適用とかね。
一昔前の刑事ドラマで、無実の人間を捕まえてポケットに警官自らが覚醒剤の小袋をねじ込み、「なんだこりゃあ!」と騒いで冤罪逮捕する……という定番演出があったが、あれは実際にそういうことが横行していたから描かれたものと言えるし、同様のことがこの先も起きない保証など、どこにもない。

現在だって厳密な意味での匿名性が確保されているわけではないが、ペルソナの着脱ができるという安心感があってこそ、自由な発言がされている部分はあるわけで、「ネットに不信感を持っている」という政府高官の発言の次に、どういう「ならば」という対応策が続くのか、容易に想像しうる。


僕は一応はモノカキという商売の末席に座らせてもらっているけれども、モノカキの身分は著しく弱い。法的規制があれば当然従わなければならず、法的規制の前段階の「自主規制」にだって抗えない。
正義感でそれを突っぱねられるのは、十分に経済的かつ影響力の貯金がある人だけで、そうではない大多数のモノカキは、ある日突然「いなくなる」。「おまえの替わりはいくらでもいるんだ」と言われてしまう。

杞憂であろうと思うけれども、「まさかね、いくらなんでも」が通用しないのが2009年9月1日からの日本の常識なので、何が起こるか、何も起こらない、なんて保証はどこにもない。
そういう窮屈な世の中になることは、あまり愉快ではないように思う。


まあ、今が自由すぎるのだ、もっと窮屈なくらいでいいのだ、という世論が多数派になり、自ら嬉々として沈黙を美徳とするという人ばかりになれば、そこでなお主張をやめない人間は、「自分は素直に黙ってるのに、あいつは勝手なことを好き勝手に言いやがって」という妬みの対象になる。
密告と沈黙を共有するのが理想的な未来図……というのは、ちょっといやだな。

*1:菅直人

*2:自民政権時代

*3:1995年を日本におけるインターネット元年とするなら、来年2010年は15周年。それより前のパソ通時代にはすでにCRMの片鱗は見え始めていて、インターネットをビジネスに使うという思想は当時からあった。今改めて「インターネットに否定的」とか、政府首脳が言い出すのは、現実を見ていないとしか言いようがない……というのが、三木谷氏の主旨と思う

*4:ただ、現実には数日以上の熱狂がなかなか続かないのは、これもまたインターネットの特質であろうと思うけど、供給される話題が【多すぎる】が故だと思う。今日新しいニュースを聞いたら、昨日のニュースの大部分は忘れてしまう。一週間前ならなおさら

*5:これは今まさに中国共産党が自国内に対してやっていることで、小沢はこれを日本でも行うことを想定しているであろうことは、想像に難くない。今の民主党は、小沢の歓心を買うことでしか権力構造の上位に行けない仕組みになっているわけで、小沢自身が「こうしろ」と命令しなくても、「こうすれば小沢が喜ぶ」という判断を個々の人間が工夫することで、小沢への手柄献上競争が起きている。菅直人のこの発言も、マスコミ嫌い、ネット嫌いの小沢の歓心を買うための発言とすれば辻褄は合う。菅直人2ちゃんねるへの削除依頼その他を繰り返してきた議員でもあり、ネットそのものへの不信感は、国民ではなく菅直人固有のものとみても納得のいくところ