荼毘
麟太郎が逝って24時間が過ぎました。
今も麟太郎の気配が家のあちこちにあるように感じています。
暗い部屋の明かりを点けるとき、僕の仕事椅子の上で物憂げに丸くなっているような、そんな気配の残滓ばかりを感じます。
麟太郎に多くの言葉を頂戴し、ありがとうございました。
今はひとつひとつにお礼を申し上げることが叶わないことをお許し下さい。
病気の発覚後、麟太郎に多くのご声援をいただき、個人としてできる介護の経験やアドバイスをいただき、お守りを頂戴しました。そしてまた、今は慰めのお言葉も頂戴しました。
「残り一カ月くらい」という余命宣告がなされ、年を越すのは難しいと言われた後、一緒に最後の正月を迎えることができるとは思ってもみませんでしたし、年に一度の「超」怖い話を校了し、無事勤め上げるところまで、保ってくれるとも思っていませんでした。麟太郎の余命の延長は、そうしたご声援のおかげと信じてやみません。
麟太郎の暮らしぶり、麟太郎の病気の発覚、そして今日までの闘病生活について折に触れてさぼり記で触れて参りましたことから、いずれ改めて麟太郎の最期の様子などについてもご報告していきたいと思います。
僕は書くことが商売で、また書く以外に生きる術を知りません。自分の心中の整理もまた、書くことでしか落ち着かせていくことができないだろう、とも思います。
さぼり記は、日記であり覚え書きです。いつか未来の自分が、当時の自分の内心の記録を見返すための覚え書き、と思っています。同時に、今の自分が今の自分を理解するための手段であるとも思っています。
書くことでしか、自分を省みることも麟太郎を偲ぶこともできない、そういう人間なのです。
いずれ、しばらくは麟太郎のこと、僕の中にある猫との暮らしについてなどについて、書き連ねていくことになるやもしれませんが、ご容赦いただければと思います。
今、麟太郎の姿は室内には見えませんが、気配は濃厚です。
謂わば、エア麟太郎です。
今しばらくは、この家にはエア麟太郎がうろうろすることになるのだろうか、とも思います。
そこに、麟太郎が居るような気がする――という気持ちが続く間は、麟太郎がいる暮らしというのは、まだしばらく続くのだろうか、と思ってみたりもします。
日は変わって、今日。
まだ遺体が安置されているので、逝ってしまったことが実感できないような気もしているのですが、今日、麟太郎は荼毘に付されることになりました。
夕方頃には麟太郎の肉体は今生を去り、この家にはその気配だけが残されることになります。
僕の手足に麟太郎が付けた生傷が癒えるまで、まだしばらくは掛かりそうです。