火葬のこと、など

翌、1/17。
午前に編集さんから生花を頂戴した。メッセージカードも付いていた。
大変ありがたく頂戴した。
この日はどこにも行かず、ごろごろしていた。
麟太郎の遺骸を眺めてばかりいた。
午後、風呂に入った。
こざっぱりして、そして火葬車が来るのを待った。
麟太郎を眺めながら、ぐだぐだしていた。煙草を吹かしてみたりした。


五時半くらい、という約束だったのだが、少し早めの五時くらいに「もうじき到着します」という連絡が入った。五時十五分頃、火葬車到着。
葬儀屋さんは一通りの説明の後、
「これでお別れとなります。こちらの準備は整っていますが、最期のお別れですからゆっくりなさってください。こちらのお時間は気にされなくても大丈夫です」
と言って、一時退出。
たっぷり二日も掛けて気持ちを落ち着けてきた。
僕より家人のほうが多く泣いた。
僕がどのくらい泣いたかは書かない。
だからもう、涙はそんなには出てこなくて、そしてこれ以上麟太郎を引き留めるのもいけないことのように思えて、割とすぐに「じゃあ、行こうか」と踏ん切りが付いた。


火葬車はトラックの荷台に窯が付いた設備なのだそうで、奥行き1.5mほどの窯が金属幌の付いたカーゴの中に収まっていた。
人間用の高火力の窯を使えば10分ほどで火葬ができるのだが、それだと火力が強すぎて猫などの小動物は粉々の灰になってしまう。そのため、窯全体をゆっくり加熱して低温で焼く、という方法を採るのだそう。遺体を焼いた後に出る煙、臭いなどを、もう一度焼くため、市街地などで火葬を行っても周囲に臭いや騒音はほとんどこぼれない、とのことだった。
麟太郎の身体から、あのカラーはすでに外してあって、首輪からは深川不動尊の金属プレートのお守り、迷子カプセル2個は外してあった。カテーテルと首輪はそのまま一緒に入れた。
前日に買った花束と、頂戴した生花の一部も一緒に入れた。
昨秋以来食べられなくなってしまったお気に入りのドライフードも入れた。マタタビも入れておいた。大阪から編集部経由でお送りいただいた安倍晴明神社のお守りも一緒に持たせた。
箱は燃やせないので、タオルと遺骸だけを竈用のプレートに載せ替えるのだが、箱の中に安置したときにはぐんにゃりしていた麟太郎の遺骸は、一日半過ぎて死後硬直で剥製みたいに固くなっていて、両手で持たずに片手で持っても形が変わらなさそうだった。
線香を供え、拝み、そして麟太郎は円筒形の窯の中に入っていった。
重い鉄の蓋が、ゆっくり、ゆっくりと閉じられた。



「焼き終えるのに一時間ほど掛かります。その間、お寒いですのでご自宅でお待ち下さい。こちらでお見守りさせていただきます」
葬儀屋さんはそう言って頭を下げ、僕らも「お願いします」と頭を下げた。
一時間ほど、やはりぐだぐだと過ごす。
普段通り、いつも通りであることが、麟太郎を落ち着かせる。そう自分達に言い聞かせて、努めていつも通りを振る舞った。煙草を吸ってみたりした。

「今、窯をさましています。10分ほどしましたら、おいで下さい」
そう、連絡が入った。六時二十五分くらい。
麟太郎の身体はもうないのだ。
それを受け入れなければならない。
六時三十五分、再び火葬車の前へ。
すでに頭骨・頸骨だけは葬儀屋さんがより分けてあって、残りの骨を家人と二人で骨上げした。
尻尾の骨は断面が星形をしていて、2cmくらい。
背骨は博物館の恐竜のそれのようで、丸まってアーチを描いている。
肩胛骨の近くに、鋭いとげのような出っ張りのある背骨があった。
添えて入れたドライフードは、ほとんどそのままの形を保って炭になっていた。
死の直前、最期に食べた流動食が案外形を保っていたのと、便も骨とは別にそれと分かる形を保っていた。
三カ月近くお世話になった流動食用のカテーテルは、蛇口の部分は燃えて完全になくなってしまっていたが、カテーテルチューブは白くなってもまだ形を保っていて、「こんな骨あったっけ?」とつまむとチューブだったりした。
分骨用に小さなカプセルを貰ったので、それに後ろ足の爪を二本、前足の爪を二本、尻尾の骨を1本、それと牙を一本入れた。
それ以外のお骨は全て骨壺に拾い、最期に分けてあった頭骨を全ての骨の上に載せ、そして蓋をした。
「これで全て終わりになります」
葬儀屋さんにお礼と料金を支払い、お骨を抱えて家に戻った。


麟太郎は今、白い袋に入った骨壺の住人になっている。
袋の表面に名前と没年を書くスペースがあったので、ちょいちょいと記入。いきなり没年を200……と書き損ね、慌てて2010と書き直した。
水とモンプチの缶詰と生花は供えてある。外しておいた深川不動尊の金属プレートお守りは、いずれ返納しにいこうと思う。
迷子カプセルは、一緒に供えてある。これは形見。
分骨用のカプセルは、そのままにしておくとなんとなくなくしそうだったので、とある場所に入っていただいた。*1


麟太郎のお骨は、しばらくは家に置いておくことにした。
四十九日、と決めているわけではないけれども、幸いにしてうちの近所には動物霊園もあって、墓参りするのだってその気になれば歩いて行ける。
家の中を少しずつ片していって、麟太郎の気配が残るものがそのお骨だけになったら、そのときにようやくゆっくりしてもらえるんじゃないかな、という気もする。
部屋、片付けなきゃね。


麟太郎について、これ以上は何もすることがない……ということもない。
ホームドクターには麟太郎の死について説明の電話を入れ、長くお世話になったことについてお礼をした。
東大の先生にはほんのわずかな期間だけお世話になっただけだったが、あの内視鏡MRIをやっていなかったら、内視鏡のときに発見された癌の摘出手術をされていなかったら、たぶん麟太郎の寿命はもっと早く切り上げられていたと思うし、余命宣告と自宅ホスピスを薦めてもらったおかげで、最期の数カ月について濃密な時間を過ごすこともできた。東大病院は大学院生の実習の場でもあるそうで、担当に付いた先生のうち一方は指導医、若い方の先生はおそらく実習の院生であろうと思う。こちらにも礼状を書こう。
病院の精算は済んでいるけれども、ペット共済会への請求書類は作らなければならないし、麟太郎の残した幾つかのものについては、もう処分しなければならない。例えばトイレなど。洗って使おうと思えば使えるのだろうけど、麟太郎は猫白血病ウィルスのキャリアだった。麟太郎の愛用品で他の猫に引き継げるものは少ない。
ヒルズのa/d缶は、八缶残った。缶詰だし、これは傷むものでもないので、必要とする猫がいれば譲りたいと思う。一缶あたり300円もするものなので、八缶は無駄にはならないだろう。
他の猫缶や未開封のドライフードは、これも近所の猫飼いの人に譲ろうか、それとも取っておこうか、とか。
麟太郎の身体はもうお骨になってしまったけれども、体毛というか抜け毛であるとか爪研ぎの周辺に飛び散った爪であるとか、最晩年にあちこちに飛ばしまくっていたよだれの跡であるとか、そういった痕跡はたくさんあって、これも掃除したり片付けたりしなければなるまい。
少しずつ麟太郎の痕跡を拭い去っていくという、そういう日々が始まるのだ。麟太郎の気配を少しずつ消していって、麟太郎がいない日常というものを受け入れて行かなければならないのだ。
一人の夜、一人で怪談を書いていても、飽きて原稿を放り出して遊んでいても、「仕事やんなくていいんですか」と覗き込まれることはもうないのだ。


この先、たぶんまた猫を飼うんじゃないかと思う。
今すぐに、ということはないかもしれないけど、たぶん飼うだろう。
猫のいた暮らし、麟太郎と一緒にいた6年と11カ月は、非常に楽しかった。
猫飼いは、だから何度も猫を飼うんだろう。
その猫を亡くすとき、きっと何度も泣くんだろう。悲しいと思うんだろう。悲しくなりたくなければ最初から飼わなければいいのだ、というのは道理だ。でも、それでも飼うのだろう。いつか別れの時が来る、そして彼らの寿命は僕らよりずっと短い。それも分かっている。そんな未来が来るのはずっと先のこと、と思っていても、突然別れが来ても、何夜も泣き暮らしても、やっぱり猫を飼うだろう。
そしてやっぱり泣くだろう。


麟太郎は本当はずっと苦しかっただろうし、楽になりたいと思っていたのかもしれない。
でも安楽死を強いることは僕にはできなかった。それはエゴだ。
麟太郎がいたい場所に、麟太郎が「もう十分」と思うまで一緒にいた。
もう苦しまなくてよくなったのだから、それはたぶん喜ぶべきことなのだ。別れを惜しんで泣くのも僕のエゴだ。
でもやはりしばらくは泣くだろう。
この先何度も猫を飼って、そのたびに泣こうと思う。


それでいいや、と今の僕はそう思えるようになった。

*1:On太郎