初七日の人

初七日の晩、パズル作家の仕掛屋定吉http://homepage2.nifty.com/shikake-ya/index.html)さんと、リブロ汐留店店長が来訪。
大いに飲み、食べ、騒ぎ、歌い(カラオケで)、「麟太郎もいたいつもの雰囲気」を共有。
麟太郎をモデルにしたという定吉さんの今年の年賀状(パズル)を、遺影として頂戴した。
おいしいお酒も頂戴した。
キリスト教の儀式に使われる(おそらく)ワインを注ぐためのものであろう、ごく小さなグラスも頂戴した。
何より、楽しい時間、いつもの時間を頂戴した。

パッとした気持ちになりたくてカラオケに行ったのだけど、なんとなく猫を連想させる曲ばかりが入る。
Day Dream believerを入れて自分にダメージを受ける家人とか。
サイハテを歌っても大丈夫だったのに、Eight hundredを歌ったら、最後の最後でこみ上げてきてしまった。もう一週間。まだ一週間。

明日からはぬこ以外の話を書いて、「いつもの生活」に戻る
もしまた猫を飼うときには、こんな名前にしようか、っていう話もようやくできるようになった。
麟太郎が居た場所を目で追ってしまう習慣からは、まだ完全に解放されたわけではないのだけど、いずれそういう時は来るのかもしれない。
猫多頭飼いをしている作家さんから、「新しい猫を飼ったら」と言うアドバイスを頂戴した。
猫を飼うというのは、猫の上位者になるということではなくて、奉仕する存在を得るということなのであって、猫のお世話をすることで、自身の安定が保てる、ということではないのか、というお話。
理に適っている。
猫は自分勝手な生き物であるようでいて、「俺がいないとやっていけない」というのを分かってる生き物でもあったような気がする。

執事的な意味で、いつかまた僕が奉仕してやんなきゃだめな猫というのに出会う事はあるのかもしれない。
案外早く。


また雌だといいな。
日本猫(雑種)だといいな。
名前は――実はもうきめてある。
男の子が来ても女の子がきてもその名前。
麟太郎が「もうよい」「次の子を迎えてほしい」と
そう言っている声が聞こえた気がしたらそのときは「僕らのエゴ」ということを踏まえて、また家族を迎えたい。
そんな風に思った。