iPadとキンドルと電子書籍戦争
一応出版業界の末席に身を置いて四半世紀になるのだが、電子書籍の話というのは昔から湧いては消え湧いては消えしているものなので、正直「またか」という気持ちと「今度はほんとに大丈夫?」という気持ちとかがない交ぜに……。
このへん、長く定点観測してきたテーマでもあるので、どこから手を付けていいかわからないくらい言いたいことが一杯。
とりあえず、とっちらかったままながら、例によって覚え書きとする。
電子書籍の夜明け話
記憶にある出版業界の「電子化」というのは、僕がこの商売に身を投じた1980年代にはすでに「DTP」とか「電算写植」とかいう言葉が出てき始めていた。まあ、電算写植と当時のDTPはほぼ同義語だったような気がするのだが、当時のDTPと今のDTPはまったく別モノといっていいほど違う。
DTPの話は前にも書いたので本項では割愛。
編集工程のほうではなく、製品、または購読者の手元に届く媒体が電子化される、というアイデアは急に出てきたものではない。
キンドルが採用している「電子インク」というアイデアは、少なくとも1995〜8年頃にはDNP(大日本印刷)では研究が始まってたような話を聞いたことがあるし、90年代末頃にそういう研修みたいなものの説明を受けたこともあるような気がする。気がするけど、結局それは先進的すぎてまだ全然形になってなかったというか、現場まではやってこなかったというか。
デザイン・編集・製版工程の電子化はすでにずいぶん進んでいたと思うのだが、結局それを「紙に刷る」というところからはなかなか進まなかった。
日本では1995年以降、インターネットが急速に普及することになるのだが*1、ネットワークというインフラの整備が進んでいっても、「電子書籍」という概念はなかなか実現できなかった。
ハードウェア
ザウルスなどシャープはしばしば「電子書籍対応」を謳ったマシンを出していたし、シグマブックなど電子書籍専用ビュアーが市販されたこともあったし、PSPやDSをビュアー替わりにテキストを読ませようという、電子書籍的な試みも多く行われてきてはいるのだが、それらの試みは概ね失敗している。
それらはハードウェアの技術に問題があったのかというと、まったくないとは言わないけれども問題は一概にそこではないような気はする。確かにバッテリーの継続利用時間は10年前より今のほうが進化しているに決まっているし、その昔のTFT液晶よりは今の有機ELのほうが綺麗で鮮明だ。スイッチオフでも画面が消えない電子インクの精度も10年前より今のほうが細かい。10年前のものと今のものなら、昔のほうが高くて今のほうが安い*2
が、それらのハードウェアは、やはりあまり問題ではない。
現在の携帯に比べてポケベルは不便極まりなかったが、暗号文的な絵文字を組み合わせた文章を送るなど需要が「発明」されたことで普及が進んだ。
初期のショートメールは20字くらいしか送れなかったが、それでも画期的なものとして大いに耳目を集めた。
技術的に劣っていようと、未発達であろうと、そこに魅力がありそれをどうしても使いたいという意欲を掘り起こすことができたなら、ハードの未発達はそれが「普及しない」ことのいいわけにはならない。
課金方法と著作権保護
課金方法は確かに10年前はいろいろ苦労したところ。適正価格も未だになんともいえなかったりするし。
これは、著作権保護(違法コピーの排除)などの観点からの問題解決がなかなか進まなかったことともセットになっている。著者が明確な出版物の場合、電子化は「簡単にコピーできる」ということと切り離せない。これが書籍の電子化に対して二の足を踏ませた。これは版元、著者ともに慎重意見が多かったような気がする。
商売として如何に収益を上げるか?
死蔵している(旬の終わった)コンテンツを如何に再販売するか?
如何に、著作権を侵害されないようにしつつ、その利用者からお金を集めるか?
という部分は、まったく放棄していいものではないのだけど(立場的にもw)、この「課金と著作権保護」に徹底的にこだわった結果、独占的な市場から陥落したのが、かつてのSONY・ウォークマン。*3MDウォークマン辺りまでは携帯音楽プレーヤー市場の占有者だったSONYは、シリコンプレーヤーに参入するときに、「著作権侵害の可能性を排除できないMP3」に対応せず、著作権保護を強化した独自規格にこだわった結果、大惨敗。iPodに市場を奪われてしまった。
これは予想に過ぎないが、「ユーザーが作った無償のiアプリ」のストックは、iPod/iPhoneユーザーにとって、iPod/iPhoneを「持つ理由」にもなっている。無償iアプリの意義は、かつてのMP3というフォーマットの持っていた意味に近い。
iPadが、iPad/iPod/iPhone共通でiTMSで展開し、そこに「ユーザーが供給する無償書籍」をリカバーする……という展開に出た場合、「タダの本を読むために、有料のiPadを買う、iPadと同じように読める現有のiPhoneを使う……というユーザーが、iPad市場を牽引していく可能性は非常に高い。
有償コンテンツの充実より、無償コンテンツの供給で、マーケットそのものを拡大してしまうことを優先する、という考え方。
ライバルを駆逐してしまえばその後ではどうだってできるし、そもそもハードウェアを販売するメーカーとしては、「タダのデータを読むために自社のハードが売れる」というウハウハ状態は歓迎すべきところだし。
販売体制
シリコンプレーヤーはApple一社だけでなく、様々なメーカーから出ていたが、最終的にiPodが勝者になった理由は、iTMS*4の拡充にあった。
現品在庫を持たず、中間流通や小売店を持たず、販売品目である音楽は全てデータとしてHDDに格納し、DL=コピーによってネットワーク配信されるため、在庫管理リスクがほとんど発生しない。売れた分だけ儲けが出て、売れなくても在庫が収益を圧迫しない。
「手持ちのCDからMP3を抜いてシリコンプレーヤーにコピーして」という使い方をメインに想定していたライバルはほとんど消え、iPodだけが残った。
ちなみにその頃日本では、その地位に高機能携帯電話がいたりしたのだが、そこまで高機能な携帯電話端末が普及していたのは日本だけだったので、世界的なスタンダードにはなっていない。
電子書籍も、携帯電話の性能が上がりすぎていたwことに関連し、「携帯コンテンツ配信」「電話料金に上乗せして課金」という方法が採られたことで、ようやく携帯向け電子書籍というカテゴリが成立した。
逆に、課金方法が定まらない、専用電子書籍プレーヤーは、やはり漂流していた。
印税の取り分
具体的な数字は立場上言わないけれども、書籍の印税と現在携帯コンテンツとして配信されている「電子書籍」の著者印税率はあまり大きくは違わない。現状では結局そこに落ち着いている。
キンドルは「Amazonで他の本と同様の手続きで買える」ことを売りのひとつとしているが、先だって「著者印税は70%」というのを大々的に発表した。
この70%という数字は、「紙の原本より2割以上安くなければいけない」とか、いろいろ条件もあったりするので、1000円の本を800円で配信して、著者の取り分が560円、というような単純な話では必ずしもない。紙の本に1000円出す人でも同じ内容の電子書籍に800円出すかと言われたら、たぶん出さないんじゃないかという気がする。iアプリなどではフリーが大多数を占め、有償アプリでも105円前後から。500円超えたら高額アプリである。800円とか1000円だったら、相当な高性能ハイクオリティでなければ騙された気分にすらなる。
著者にしてみれば、配信形態がなんであろうと執筆に掛かる苦労は変わらないわけで、500時間掛けてかいた小説を、本だと1000円で売り出して印税が10%だとして100円、1万部刷ったとして*5、初版が出た時点で100万円くらいの売り上げ。
残りの90%は、取次、本屋、印刷所、出版社など、流通・小売り・営業/販売各社が分配する。案外薄利。
電子書籍は既存の取次、本屋、印刷所を必要としないが、取次・小売りに相当する部分をAmazonやiTMSなどが担う。在庫備蓄する倉庫も必要ないし、発売日に間に合わせるために本を運ぶトラックも必要ないので、浮いた経費分を「著者に還元する」と銘打つことで、著者印税が上げられる、というカラクリ。
「著者の多くは既存の出版社を見捨て、より印税率の高い電子書籍に流出していくのでは?」というのが、よく指摘されるところなのだけど、たぶん少なくとも当面は、そういった「著者の流出」はそこまで致命的には起きないんじゃないかな、という気がする。
専用の器具がなくても読める「紙の本」と、それを読むのに専用の器具が必要な電子書籍を比べた場合、現状では電子書籍のほうが圧倒的に市場が小さい。日本人で言えば3人に一人、せめて5人に一人くらいは持っていて当然の器具、というところにまで普及しないうちは、電子書籍は「新しいもの好きの先進的なマニア」の比率が高く、一般向けの幅広いコンテンツはさほど売れない。
その意味では、コンテンツのジャンルを絞ればある程度は売れるだろうけど、それでは新しいハードウェアユーザーが獲得出来ない。
現状では市場規模の開きはまだまだ大きく、紙の本で保障される「初版部数に応じた前払い金としての、まとまった額面の印税・原稿料」は大きく、安売りによって少額化したうえ、「実ダウンロード数に応じた支払い」となってしまうと、新刊によって得られる収入が「バクチ」になってしまう。
また、現状では「電子書籍のマーケティング」に関する蓄積がほとんどなく、新刊を出しても宣伝が行き渡らないまま埋もれてしまう可能性も少なくない。
そうしたリスクを考えると、「新刊書き下ろしを最初から電子書籍に」……という選択をする商業的専業作家は当面多数派にはなり得ないのでは、という気もする。
「当面タダ働き」「ブレイクしたら儲かる、かもしれない」というバクチを受け入れるのは、バリューがあるはずの専業作家ほど抵抗感を感じたり、なにより出版社が嫌がるのでは。
出版社を間に挟まず、作者が「当面タダ働き」というリスクに耐えられるなら話は違ってくるけど、それに耐えられる「経済的に余裕がある作家」ばかりではないので、なかなか難しいのではないかとも思う。
無償コンテンツの重要性
「タダ働き」のついでに無償コンテンツの話。
という選択肢があるとして、利益確定しやすくリスクが小さいのは後者である、という考え方がまだまだ支配的な現状では、前者はなかなか難しいかもしれない。
もっとも、Webで無償連載をやって、それを後で本にまとめるという試みはすでに珍しいものでもない。手前味噌だが、もうじき始まる超-1などは、Webで募集しWebで公開し、そこから選ばれた傑作選を紙の本にまとめ、そこで収益を出す、というシステムになっている。Web版は無償募集・無償公開で収益は出ないが、紙の本にまとめることでようやく黒字化できる*6わけで、このように「まず無償書籍として時限的に配信」した後、製品版として紙の本を有償販売という展開はあるかもしれない。
これは、無償でニコ動に公開された楽曲をCD化してAmazonで売るとか、iTMSでダウンロード販売するボカロ系楽曲の展開例も同様だし、テレビで無償放映したアニメをBD/DVDで売る、というアニメビジネスも同様。
言い方として正しいかどうかわからんけど、「タダでしか見ない人はタダのものにしか飛びつかず、タダで見て高く評価した人は金を出してトロフィー(記念品・保存品)を買う」という感じで、電子書籍・電子的コンテンツは「無償でばらまく」、そこで人気=付加価値を得た人気コンテンツは書籍という「実体を持ったトロフィー」にし、電子書籍ビュワーを持たない「外部の読者」に頒布することで収益を上げる――。
兼業作家のチャンス
キンドルの「著者印税70%」は、「出版社を通さずに自分で出せば、印税丸儲け」という下心wをくすぐるものなのだが、これは作家が本を出すのに、出版社との間にエージェントが介在するアメリカの出版事情を考慮しないと出てきにくい発想のような気がする。
欧米における出版エージェントはマネージャーであり、編集者であり、プロデューサーであり営業であったりもする存在なのだが*7、野心のある作家や、「エージェントが自分の才能を握りつぶしている」と考えるような作家wwにとっては、出版社やエージェントをすっ飛ばして、自分が自分でキンドルに売り込めば、印税は自分が丸儲け、ということになる。
つまり、自信家で野心家で現在不遇な立場にある、兼業作家(作家が専業には成っていない準作家)という自覚があって、自分をセルフプロデュースする絶大な自信がある人は、自分の才能を直接読者にアピールでき、その評価をより多く金銭として得られるキンドルに飛びつく。
もちろん、不遇な自信家の全てに「隠されていた才能」が共存しているとは限らないし、執筆者としての才能と自分を売り込む才能がバランスよく共存しているとも限らない。
それでも、「あわよくば作家」は、ステップアップのチャンスを獲得できるので、電子書籍は魅力的であると言える。失敗しても、本業に専念すれば済むわけで、失うものは時間と自信くらいのものだからだ。一山当たれば儲けものと言える。
その意味で、キンドルやiPadのような電子書籍は、こうしたアマチュア作家、兼業作家が発掘される場になるのではないか、と思う。超-1の規模とカテゴリがでかくなったような感じ。
でも、作品コンテストの類では必ず「審査員はわかってない」「主宰者は見る目がない」「企画にそもそも瑕疵がある」ということを言い出す人がいるものなわけで(^^;)、キンドルやiPadが開くそうした「新人を山のように受け入れる」という機会に対して、望んだ成果が上がらなかった人などは当然、「あんなのダメだ!」と言い出すんでないかなあ、という気もする(^^;)
購読動機の誘惑と倫理の壁
日本では、新しい分野・機器が普及するときには、もうほとんど必ずエロ商品がその市場を切り開く開拓者になる。
これはもう、避けられない事実wなので、ぶっちゃけてみたい。
- 8mmフィルムカメラと映写機→ブルーフィルム
- VHSビデオデッキ、LD、DVD、BD→アダルトビデオ
- PC-9801以前のパソコン→エロゲ、美少女ゲー
- インターネット→無修正エロ画像・エロ動画サイト
- 同人誌→男性向け創作/BL
なんでこうもエロ商品が新分野を切り開いてきたのかというと、日本人がエロいから……というばかりではないw
新技術、新分野というのは、だいたいその草創期は値段が高かったり、保守的な人々に眉をひそめられたりする。
で、そういう新しいものに飛びつき、なおかつ高額商品に手を出す金銭的余裕があるのは、
- 収入があり、自由にできるお金が多い
- 収入が少ない場合でも、趣味など自分の判断でお金をつぎ込める
- 保守的ではなく、革新的であることに抵抗感がない
ということになり、この条件を満たすのが若い男性だったりした。どの時代でも常に、必ず。
若い男性で自由になるお金があるということは、「特定の女の子につぎ込んでいない=彼女いない=独身」ということでもあるわけでw、当然、エロは訴求力があり、消費物として継続的に入手しようとし、そのためならあらゆる困難(経済的、技術的)を乗り越えることも厭わない。
そうやって下心、エロ心は金銭に換金されやすいわけで、今もってエロ産業・エロビジネス・エロ分野が、時代の王道には出てこなくともなくならない理由であるとも言える。リビドーの発散は人間が人間でいる限り逃れられない生理現象であるわけで、そこを補完するビジネスは、絶対に失敗しない。
その意味で、「新技術を広めるときには、エロコンテンツを忍ばせておく」というのは、客誘導・集客そして草創期の利益確保には避けられない戦略でもあるわけなのだった。力説。
ところが、この最強の集客・利益確保モデルは、キンドルとiPadにとっては少々垣根が高いものになる可能性がある。
まずひとつには、技術の壁。
キンドルはサイズの大きな画像ファイルの扱いは、まだまだ弱い。画像サイズによっては回線が大幅に圧迫されることにもなりかねないため、大きなサイズの画像については別途課金が行われるらしい。
エロというのはその多くが画像――写真、イラスト、動画、アニメなわけで、テキストのみのエロももちろんないではないが(BLとか)、やはり絵をヌキでは語れない。
また、こちらのほうがもっと重大なのだが、倫理の壁。
日本はエロに対しては先進国の中ではかなり鷹揚とされている。カナダでは露出度の高いアニメ・漫画キャラにも人権があるんだそうで、日本製エロ漫画を所有していた人が逮捕有罪にされている。
オーストラリアでは先頃、「貧乳禁止」条例が決まったらしい。なんでも、貧乳=未成年を連想させるかららしい。*8
アメリカなどのポルノは日本で言うところの無修正ものなので、アメリカのほうがそういうのに寛容なイメージがあるが、アメリカなどでは「そういう産業」と「そうではない一般産業」は、きっぱりと切り分けて区別されている。例えばエロ本は普通の書店にはなく、専門の大人のショップに行かないとない、みたいな感じ。
キンドルはAmazon一社、iPadはApple一社による商売であるわけで、そこで扱われるものにエロが入ってくると、それは「会社の品位」の話にも繋がってくる。まあ、Amazonなんかはエロゲとかエロ本も相当扱ってますが、アメリカ本国やその他の地域からもエロエロいろいろ言われることになるわけで、その点、「倫理の壁」は海外企業にとっては決して小さくない。
国内向けに作られたエロゲが海外に流出されていた際、「日本のゲームはエロすぎる」と国際的な批判を受けたりもしたが、そういったものを果たしてキンドルやiPadは扱えるのだろか? とか。
「iPadはエロ同人誌読み放題」とか言われたら、飛びつく人いっぱいいそうだし、そういう人々がまたお金を落とすんですよー、ということになると、やはり悩むだろうなあ。Apple。
逆に国内大手出版社連合のほうは、その点についてはハードル低そうw*9
エロの話をすると眉をひそめられてしまうのだけど、実際のとこ、利益確保しやすい、そして「口には出さねど」という潜在購読層も多く、やはり手堅いものでもあるわけで、そこを意図的に無視して利益確保を考えるのは難しい。
でも、大声で堂々と論じるわけにもいかない、といういろいろ微妙なアレでもある(^^;)
「エログロナンセンス」という言葉は戦後のカストリ雑誌興隆期に言われたキーワードだが、怪談などは「グロ」「ナンセンス」に含まれるものなので、当然地位は低い。怪談の地位を上げる努力を先人が積み重ねてきたのであろうと思ったりもするのだが、怪談を書く人でもエロを蔑んでみたりするケースは往々にしてあるし、蔑まなくてもPN変えている作家は珍しくない。
エロに限らず、少し前までは怪談だって同じような位置づけで、怪談を書くときはPN変えてたなんていう作家さんも珍しくないし、怪談は「いずれ卒業する分野」と捉えている人だって珍しくなかった。他の仕事と同じ名前で、卒業を考えずに怪談を書けるようになってきたのだって、そう昔のことじゃないですよ。
その怪談なんかもキンドルやiPadに入れてもらえるものかどうか。
たぶん、あまりヘビーなものでなければ大丈夫だろうと思う反面、社会のダークサイドの思い出話と無縁では居られない、禁忌談でもある現代怪談は、「すんません、それNGです!」というのが結構あったりもする。差別ネタ、外国人ネタ、思想的ネタ、宗教ネタといった作家生命に関わったり人命に関わったりすることもあるようなところに抵触する怪談は、収益=カネの臭いがするような日の当たるところに出た途端に、激しく批判されたりもしてしまう。
「自宅で寝ていたら金縛りに遭いました。怖かったです」
という話はOKでも、
「鼻から上がぽっかりなくなってて、舌がべろんべろん動いていて、仰向けになったら耳あたりから後ろに血がざーって流れて、それをまた舌が自分でうなじを舐めて、ケロイド状の火傷がべろんってめくれあがって」
みたいな話は、ゲームなんかではほぼNG。*10
例えば、「公序良俗を乱す」といった、線引きが不明確だけど判断者の心持ちひとつでどうとでもなるような基準で振り分けされることもあるかもしれない。そうなると、「流通を担う会社が責任を問われる(一般出版物は、対外的にはまず出版社が責任を問われる。最近は出版契約書をよく読むと、「損害を被ったら出版社が著者を訴えますよ」なんて書いてあったりするのもある。*11
そうすると結局のところ無難なものしか出せないか、ノーチェックで配布する、という第三の道を探すかになる。
セルフプロデュースは、同時に「自己最終責任」を引き受けるということも求められるんじゃないかないという。
印税・原稿料っていうのは、「作品のできばえに対する対価」じゃなくて、「商品として刊行した際に起こりうる、様々なアクシデントに対して誠実に対応する、またはそうしたアクシデントは起きないと保障する」ということに対する、保証金なんじゃないかなあ、と思ったりする。
つまりは、「売れない責任」や「出版社の外の圧力団体からのおしかり」などに対して責任を取る覚悟がある、ということを証するため、掛け金としてbetされるのが印税なのであるッ! というような覚悟をできるかどうかがプロかそうでないかの間に線を引くんだろかと思ったりもする。だからプロは逃げちゃだめで、逃げないからプロなんだと思うよ!
プロ並みの作品を書けるアマチュアはもう珍しいものではなくなった。それらのアマチュアがプロではないのは、作品製作能力だけでなく、作品の及ぼす影響に対する責任を負う覚悟の違いなのではないか、とか。
電子出版の普及は作品発表機会のハードルを下げるけど、同時に今までは目を付けられずに済んで来た「怖い人達」の視界にも入りやすくなる、ということであるのかもしれない。
出版社という防波堤なしで、70%印税と引き替えに取次だけをする、そういうところで自由に自分をプロデュースするのと引き替えに、読者側にいるリスクも作者当人が引き受ける、という。
そういうところも、先々作家であろうということを考えてる人は、考えていかねばならんテーマなのかもかも。
*1:その数年前1991〜2年頃には、まだ「インターネット」という言葉こそなかったものの、「LAN」「広域ネットワーク」という言葉とともに、コンピュータを並列接続するネットワークの概念は、まことしやかに広まりつつあった。また、80年代からあったパソコン通信などをテキストのやりとりに使っている作家、ライターもちらほらいた。当時ご存命だった矢野徹さんなどもその走り。
*2:そうとは言えない場合もなくもないw
*5:ソフトカバーで1000円の本はだいたい6000〜1万部くらいがペイラインではないかと思う。会社によっても違う。
*6:おかげさまで掲載著者にも印税払えてます
*7:日本にはほとんどない。なぜなら出版社がその役割も担っているため
*8:別に実在の貧乳の人が規制されるとかではなくて、胸が残念な女優が出ているAVは、未成年を使っているかそうでないか区別が付かないから、貧乳は全て未成年と見なして禁止する、ということらしい
*9:無修正はないにせよ
*10:ゲームの倫理チェックは鬼厳しいです
*11:ゲーム会社はこういう契約文面多いよなあw