赤松農水相調査捕鯨頭数削減を示唆

南極海の調査捕鯨「800頭もいらない」…農相 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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赤松農相は9日、閣議後の記者会見で、日本が実施している南極海での調査捕鯨について「800頭もいらない。調査はそれ以下でもととのう」と述べた。「生態系の解明のために必要」として毎年800頭以上の捕獲計画を策定してきた政府の方針を見直す考えを示した。


 発言は、南極海での捕鯨頭数を削減する代わりに日本沿岸などでの商業捕鯨再開を認めるという趣旨の国際捕鯨委員会(IWC)の議長提案に沿って、今後の交渉を進めるのが狙いとみられる。赤松農相は6月に開かれるIWC総会で、日本の沿岸商業捕鯨再開の合意をめざす方針だ。

(2010年3月9日13時24分 読売新聞)


この発言は、「南氷洋(ミンクなど)の捕鯨を削減することとバーターで、沿岸商業捕鯨(ツチなど)を復活させる」という趣旨のものだが、赤松農水相南氷洋におけるミンク捕獲の意義を理解していないのではないか。
というか、民主党の議員、閣僚って、どうも要点を理解していないのか、しているけど自民と同じ路線を辿りたくないってだけで闇雲に反対しているのか、頓珍漢な対応が多すぎやしないか。


日本が南氷洋で行っている調査捕鯨は、IWC南氷洋モラトリアムに合意することと引き替えに条件として設定されたものだ。
日本他の捕鯨国は、モラトリアムに反対していたが、

  • 資源量を回復させるための一時的な休漁。
  • 資源量が回復していることが確認されればモラトリアムは解除される。
  • 資源量の回復は科学的な調査に基づいて検分、IWC科学委員会に報告され、IWC総会はIWC科学委員会の低減に基づいてこれを判断する
  • IWC環境保護団体ではなく、「資源の有効活用のための団体」なので、調査によって獲得された鯨類資源は、廃棄などせずに有効活用して調査費用に充てる

このへんの条件とバーターに、一連の南氷洋調査捕鯨が行われることとなった。
捕鯨国の多くは調査捕鯨に否定的で、「回復状態は目視調査でもわかる」と反論してきたが、目視調査では「食餌行動」「出産生態」などがわからない。実際、「ミンククジラとクロミンククジラは別の種類」とか、「ミンククジラは回遊先によって餌を変えている」とか、「ミンクは毎年妊娠・出産するが、ナガスなどの大型鯨類は二〜三年に1度ずつしか出産しない」などといったことは、目視ではわからなかった。

また、南氷洋モラトリアムによって南氷洋での商業捕鯨が激減した結果、この海域における資源回復が進んだ、とされている。確かにミンクは回復しているが、ナガスなど大型鯨類は回復に至っていない。
大型鯨類も獲得調査の対象にはなっているが、その割当数はミンクに比べて桁一つ以上少なく、調査が全体の総量に影響を与えるなら、むしろミンクのほうが少なくなっている=毎年1000〜800頭も獲得出来ないはずなのだが、ミンクは妨害さえなければ例年その規模の獲得調査ができている。

調査捕鯨には、クジラの生態を調査するという意義はもちろんあるが、それ以上に、「年間何頭までなら捕獲しても群れの総量に影響がないか?」を調査する、という意義がある。
赤松農水相の発言は、この「捕鯨に対する群れの抗力/自然快復力」の調査というステージを、根本的に想定していないというか、この人はそのへんのことを分かっていないのではないか。
「800頭もいらない」というのは、生態調査についてのみ言っているようにしか思えない。


また、これ以上に問題なのは、今回の譲歩は恐らく評価されないということだ。
捕鯨国は、調査捕鯨頭数の削減を望んでいるのではなくて、ゼロにすることを望んでいるわけで、「南氷洋でやめるから沿岸では増やさせて」ということを許容しているわけではない。*1
南氷洋はみんなのモノだから、欲しかったら日本の沿岸で取れ」
と言われているのではなく、
南氷洋でも日本の沿岸でもとにかく鯨を捕るな」
と言われているのだ。
南氷洋での獲得数が減ってもゼロにならない限りシーシェパードの妨害は続くし、仮に南氷洋での獲得がゼロになっても代わりに沿岸捕鯨を増やすのであれば、シーシェパードが日本沿岸にやってくるだけのことだ。*2


さらに、今回の「配慮・譲歩」には、こういうシグナルが含まれることになる。
日本に強く出れば、日本は後退する。暴力的手段、恫喝的手段は日本の政治的意志を変えさせることに対して有効である
日本はかつてこの「配慮」で大きな失敗を繰り返してきている。
ハイジャック犯の要求に対して「人命は地球より重い」とうっかり宣言した結果、「国家政府に対する抵抗手段・政治的要求手段として、ハイジャックは非常に有効性がある」という理解をテロリストに与えてしまったのは日本である。その結果、1970年代以降の世界では航空機ハイジャック事件が頻発し、その都度「日本が譲歩しなければ」と恨まれた。*3


結局、日本は怒鳴って脅しつければいうことを聞く国だ、と思われることになる。
シーシェパードは勝利を宣言するだろうし、日本に言うことを聞かせたいなら怒鳴りつければいい、ということをテロリストと他国は覚えることになる。
今後、日本は怒鳴られるたびに言うことを聞かなければならない、そうするはずの国だ、という足下を見られるようになったわけだ。


赤松農水相の不見識が呼び込んだ不利益は、これから相乗的に大きくなる。他の全てに連動して。


こういったものは、ひとつ譲れば必ずそれが前例にされるわけで、「あのときああ言ったじゃないか」「あちらでは譲歩したのに、なぜこちらは譲らないのか」と言われ続ける。


民主政権は全般に、どうにも「日本人はお金持ちなのだから、金持ち争わない」というような傲慢の上に全ての政策を立てているような気がしてならない。
お金の使い途ばかりを増大させ、元手について考慮しない、そのくせ「自分は金持ちなのだから、人に遠慮をするのが美徳。ノブレス・オブリージュ、お金を使うことに義務がある」などといって浪費を肯定し、揉め事があれば金で解決。
何かに似てるなと思ったら、祖先が代々築いてきた資産、またはたたき上げの親が一代で築いた身代を、一代で食い潰して零落させてしまう二代目、ボンボンの行動の典型だ。
親がすることには全て楯突き、親の労苦を顧みず、親の作った果実だけをただ無駄に貪り、また、金づるとしていいように貪り尽くされてポイ捨て。
無一文になってしまってから「昔あんなによくしてあげたじゃないか」と縋っても、誰もよくしてはくれないというのも、こうした話の典型としてよく知られているところで、日本は今、「国を潰す二代目」に全権を与えてしまっているのだなあ、ということが痛感される。


本当にこれでも「自民でなければどこがやってもマシ」だったんだろうかね(´・ω・`)

*1:IWC委員長の提言すら賛否両論ある

*2:日本沿岸なら海上保安庁が臨検できるかと言えば、恐らくやれないでしょうし、先の乗り込み事件のように「日本に捕まっても手荒なことはされない、命は保障されており安全」なわけだから、喜んで捕まってアピールするでしょう。

*3:現在ではハイジャック事件の解決では突入も含めた力の解決が一般的で、交渉による譲歩は行われないのが世界的潮流。ここまで来るのに多くの突入部隊や乗客が犠牲になってきた。テロリストに「夢」を与えた日本の罪は大きい。