若い時分に一生分の大トロを食べた話

うちの老父は昔、魚屋勤めだった。
家で店を営んでたわけではなく、また、今は隠居しているのだけど、早朝から魚河岸に出掛けていって水揚げされた冷凍マグロを解体し、水揚げされたイルカを解体し、店では刺身を作りまくっていた。家でも作りまくっていた気がする。
冷凍マグロの解体は電気のこぎりで行うのだが、これが結構危険な作業なのだそうで、よく手を切ってた。そのたびに仕事を数週間〜一カ月も休む大けがをし、またこれが魚河岸勤め、鮮魚店勤めというのは漁師さんと同じく「休むと日銭も入らない」という仕事だったので、家が無給になってしまう、とゆう。かき入れ時は一般のご家庭より稼いでいたかもしれないが、そうでないとき(怪我で休んでいるとき)などはすってんてんになってしまうわけで、老父母ともに家計にはずいぶん苦労したのではないか、と思う。
という家ではあったのだが、老父がずっと魚河岸勤めであったので、魚にだけは困らなかった。
漁師さんから直接いろいろもらったりしていたものが結構あったようで、毎日漁師さんから直接もらったトロ箱*1を担いで帰ってきては、食べきれない量の魚類を老母が文句を言いながら干物にしていたのを覚えている。*2
また、魚河岸周辺ではいろいろな食品を箱売りしているので、子供の頃のおやつ(夕食前の)はだいたい老父が河岸で買ってきたカップラーメンの類だった。あまりのまずさwに凄い勢いで消えていった新作のカップ麺とかも老父が箱買いしてしまうので、食べ終わるまで次を買ってもらえないという。
いつだったか鰻の蒲焼き(串打ち済み冷凍)を箱買いしてきて、嬉しかったのは最初の数日だけで以後なくなるまで延々鰻が続くもんだから、一時期鰻が嫌い……とまではいかないものの、「もう食い飽きたリスト」に入っていた気がする。今は大人になったので大好物です。


で、標題の「一生分の大トロ」の話。
冷凍鮪の解体というのは、まず頭と尻尾をざく、ざく、と落とし、次に残った胴体を4つ割り、という感じで進めていくものなのだそうで、これを毎日何十何百と水揚げされた分だけやる。競り落とされた鮪はかたまりのまま小売店まで行くわけではなく、仲卸が競り落としたものをさらに細かくしたものが小売店に流れていくわけなのだが、うちの老父は鮮魚店勤めの他にそれを小割りする仕事もやっていた。
で、この尻尾と頭というのはどうするのかというと、当時、引き取り手がいない場合は廃棄されていたらしい。
今ではカブト焼きとかカマ焼きとかいろいろとアラの食べ方が知られるようになったが、その頃は居酒屋でアラを出す店は少なく*3、一般家庭ではアラを食べたりはしなかった*4ので、廃棄ロスは多かったらしい。*5
老父はそうした鮪のアラを貰ってきて、そこからさらに食べるところをほじくり出していた。
頭からはまず、カマ下が取れる。ヒレの付いてる周辺、エラ蓋のあたり。それから、頬肉が取れる。これは唇の付け根辺り。ヒレ下辺りと、頭の上のほうからも紡錘形の身肉が取れる。この辺りの身肉は、最近では細かいミンチにされて「ネギトロ用」として売られたりするようになったのだが、以前は「手間ばかりかかる」として廃棄されていた。
で、この廃棄されていた手間ばかり掛かる身肉というのは実体としてどこに当たるのかというと、実は大トロ、中トロであったらしい。
正確に言えば、「大トロの付け根」。
鮪というのは紡錘形をした生物である。*6でも、サク取りされると綺麗な四角。もちろん、サク取りされる過程で成形ロスは出るわけなんだけど、その最初に出る「紡錘形の端っこ」というのが、頭と尾であるわけで、老父はそういう部分から「まだ食える大トロ」などを取り出していた。たぶん、僕のアラ好きはこのへんに端緒があるのではないかと思う。


で。
田舎にいた頃よりも、上京してからのほうがこの大トロと出会う機会が多かった。若い頃はしばしば親からの仕送りというか「魚送った」という支援物資wが多かったのだが、確か最初のうちは「干物+氷」とかだった。クール宅急便が整備される前なんかは自前で氷入れまくってたような……。
そのうちに、「氷を入れてもいずれとけてしまい、水を送るのは馬鹿馬鹿しい」と思うようになったらしく、冷却剤の代わりにカチカチに凍った鮪のカマとか大トロが詰め込まれてくるようになった。
鰺とかその他の、「冷凍してない生で食べて美味しいから刺身で食べなさい」的なもの、干物、そして「保冷剤代わり」に冷凍されたカマと大トロが詰め込まれてくるわけだ。


この、カマと大トロというのが結構くせ者でw
何しろ一般家庭の冷蔵庫、冷凍庫である。大トロというのは非常にかさばるものなのだが、しかも結構な大きさの鮪のカマともなると、差し渡しで1本あたり20〜25cmくらいある。形も揃ってるわけではないから、冷凍庫に入らんのである。
鮪カマの可食部分はべらぼうに多く、バーベキューにしたり、塩振って網焼きしたりした。これひとつで飯が入らなくなるほど腹一杯になる。単純に鶏腿肉なら2枚分くらいあったのではないか。


そして大トロ。これは大きさは大してでかくはない。1片の大きさは1辺が5〜8cmの正三角形、厚みが最厚部で2〜2.5cmくらいの菱形をしていて、三角形の角に行くほど平たく鋭角的にとがる。
一般的に鮪刺身といえば、全てが綺麗な四角い短冊を思い浮かべるのではないかと思うのだが、それは大きな柵を小さく切り分けていくからなのであって、最初に出る切れっ端はやはり形がよろしくない。よろしくないので商品にならないが、味・品質は商品と変わらない。
で、この三角形の大トロ(の端っこ)ばかりが、袋にキロ単位で詰め込まれてくる。


この大トロというのがくせ者で……。
当時、「うちには鮪の大トロがごろごろしてますが」というと、「すげー! 食いたい! 食べに行く!」とずいぶんと評判よかったのだが、はっきり言って大トロってそんなにたらふく食えるものじゃないんですよw
先の三角形の1片を、だいたい4〜5枚程度にスライスしたものが「一口分の大トロの刺身」になるのだが、一人前で1片、4〜5枚も食べると、後は油がくどくてしんどいというか……w
大トロの名誉のために言うならば端であろうがなんであろうが、大トロには違いなく、味は抜群にうまい。だけど、大トロは油の塊なわけで、一人でそんなにたくさん食えるものではない、と断言。というか、うちにきた当時の客は皆それを身を以て知ることになってたと思う。


毎日食えるほどあっても毎日食いたくなるものではないのでw、客が来るたびに出したりしても追いつかず、次第に大トロの食べ方に困ってきて、煮たり焼いたり、一時期大トロのつみれなんかにもしてた。
今思えば贅沢極まりない話で*7はあるのだが、大トロのつみれはめっぽう旨かった。ただ、普通の赤身以上に繊維が頑丈なので、ミキサーのモーターを焼き切ったりもしてた気がするwww


ちなみに、鮪のもうひとつのアラとしては尻尾の身というのがあって。
どんな魚、動物でもそうだけど、「よく動く部分」というのは身が締まって発達してて美味しい、という。時速100km/h近い速度で回遊するという鮪の尾の身の発達具合といったら……はっきり言ってめちゃくちゃ硬かったwwww
老父はこれを貰ってきたものを開いてみりん干しにしていたのだが、焼くとこれが鶏肉みたいに締まった身肉になる。硬いことに変わりはないのだがw、これは滅法うまかった。カマと並んでもう一度食べたいなあと思う鮪の知られざる可食部のひとつだと思う。


そんなわけで、あの頃に一生分の大トロを食べている気がするので、この先大トロ地獄の幸せな思い出だけを胸に余生を(ry
でも、今でも「鮪カブト焼きあります」というような釣書を見ると無性に食べたくなるときはある。
半割にされた小さなカブトが出てきてがっかりすることがほとんどではあるんだけど、やっぱ魚はアラがいちばんうめーよな、という気持ちは変わらない。

*1:魚が入ってるスチロールの箱

*2:トロ箱単位の魚が、毎日来るということになると干物作りも日課になる。だが、うちでは「生で食べられる魚が嬉しい魚=魚の多くは刺身で出る」のがスタンダードだったので、食べきれずに干物にされる分は全然消費されていかず、冷蔵庫を圧迫していたw 干物を保存するため(それ専用ではないにせよ、かなり専用に近い)、自宅には業務用か!というでかさの冷蔵庫が3台くらいあり、干物はもっぱら近所の人に配っていた。

*3:手間が掛かるばかりでコストに見合わなかったから、と思われる。

*4:アラの調理法やうまさが知られていなかったのと、やはりどでかいアラをこそげるのは面倒だったからではないかと思う。

*5:僕が上京して間もない頃にアメ横に行ったりしたことがあったのだが、アメ横で鮪を売ってる魚屋さんでもその頃は頭は捨て売りに近い値段だった。クロマグロの頭ひとつで200円とか400円とか。今はアラの食べ方が知られたので、結構な値段を付けてると思う。

*6:鮪に限らないけど大型回遊魚の多くがそういう体型をしている。カツオ、ブリ、ヒラマサ、カンパチなどアジ系の大型魚はみんなそんな感じ

*7:当時も言われてました