恐怖箱 甦怪〜そして、恩人と会う

僕はこの仕事に入ってもう四半世紀近くになるのだけど、その駆け出し・下積みの頃にバキバキに鍛えていただいたかつての先輩と久々にお会いしてきた。頭の上がらない人だらけのこの業界にあって、僕の最も原初に近いところにいた方で、僕の仕事のありよう、技術、そんで哲学の源流みたいなものも、この方から大いに影響を受けた。
なんというか、その頃にいた会社を飛びだしてあれこれ社会の奔流に身を任せてごろごろと濁流を転がされてみて、あの頃どんだけ「指示を出す側」の人が苦労していたのか、ということが身に染みてわかったわけで、いつか機会があったらちゃんとお詫びとお礼をしようと思っていた。
僕はどちらかというと「用がなかったら自分からは連絡しない*1」というような出不精筆無精系内向系実務系なタチなので、切り出す用事もないのに飯食いましょうとか、なんとなく気恥ずかしかったり恐れ多かったりで言い出せない。
実はシャイ*2な人間であるが故に、ついつい不義理を重ねてしまい、そういう機会はなかなか得られずに今日まで来てしまったのだが、こういう業界なのでまたどこかで出会うこともあるんじゃないかとか、なんとなく思ってはいた。
いたら、幸運にも「最近どうよ」とご連絡を頂戴したのでもう二つ返事で行ってきた。
雄型雌型ではないのだが、立ち位置が変わるとわかる話、立ち位置次第では絶対に見えてこない話、というのはあって、単純に指示通りの仕事をこなせる、使われる立場を極めようとしていた頃にはよくわかっていなかったことというのも、指示出しをしたり仕切ったり営業したりということを自分がする側になって、初めていろいろ見えてきたりした。
今はライターのような作家のようなモノカキ側の立場と、「何をどう書かせる、どういうコンセプトに沿ってそんなものを書いたらいいか」といったことを考えるディレクション、プロデュース側の立場というのも経験させていただいたことで、いろいろと視野が広がったなー、とも思う。
それでもまだ薄目が開いたという程度に過ぎないんだけど、「おめえ、バカ、それは違うだろ!」と叱ってくれる人は既になく、自分でなんとかしていかなくちゃならんわけで、そういう意味では散々叱ってもらえたあの時代は、僕にとってのBelle Époqueという奴だったのかなあ、と改めて思ったりした。


ご同席された方などとお話しするうち、自分の志向するスタイル、または僕が取り憑かれていることなどの源流を再確認することができた。
最近、僕には作家性やメッセージ性、明確な指向性がある気がしないのに、なんでモノカキ屋をやってんだろうかと自問することが多かったのだが、最近顧みることを忘れていた昔の仕事と、今している仕事を重ね合わせてみたら、ああ、全然進歩してな軸がぶれてないぞ、ということがわかってきたw
なので、これまでもこれからも「集合知奉仕者」でいたいと思うのだった。

「極」怖い話 甦怪
「極」怖い話 甦怪そかい
竹書房文庫

そんなわけで、最新刊「極」怖い話 甦怪は、集合知下僕奉仕者としての作となります。
恐らくそれが僕の本質です。

*1:きっとご迷惑であろうから

*2:本当