2011年、アナログ放送は終了しますが……

昨日、「電子書籍ウハウハ伝説と竹の子書房」http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20100829/1283105501 というエントリを書いた。
印税ウハウハ伝説もそうだけど、僕が「ウハウハ」という言葉を使うときは、だいたい「実際にはウハウハになんかならねーよw」という自戒、慎重論だったりするわけで、昨日のエントリも皮算用通りには儲からないんじゃないかなあ、という警鐘であったわけなのだが、それはさておき。


老母から電話あった。
「あんたのブログを見たけど、大丈夫なのかい」
なにが?
「電子図書とかそういうのが始まると、今まで覚えたことが全部いちから覚え直しになるんだろ。いい歳をして、またイチからというのは大変じゃないのかい」
む?
「電子図書とかいうのが始まったら、あんた仕事がなくなっちゃうんじゃないのかい?」
……むう?


なんとなくですが、地デジか何かと誤解してませんか
確かに地デジは2011年7月にアナログ放送が一斉停波して、古いアナログ放送は一切受信できなくなる。
が。
2011年7月になったら一斉に電子書籍に切り替わって、アナログ書籍の発行が一斉に停止されるとか、そういうのないから!


電子書籍とアナログ書籍wの関係というのは、テレビとラジオ、テレビと映画の関係に近いのではあるまいか、と思わないでもない。
かつてテレビ放送が始まった頃、「これからラジオは消滅する」と思われた。もちろん、斜陽であることに違いはないが、今以てラジオは消滅していないし、自宅でテレビどころかビデオやDVDが見られるようになった今でも映画館がなくなることもない。


日本は世界的に見ても昔から識字率の高い国で、江戸時代には黄表紙のような娯楽のための書物の他、ごく普通の市井の人々が日々の暮らしぶりを書き残した守貞謾稿のような記録文、東海道中膝栗毛のような紀行文、果ては農耕や漁業、商業に関する手本書(教科書)のようなものまで残されている。それらは全て、それぞれの仕事に従事する人が読むためのガイドブックであったり、商人・農民が楽しむものであったりするわけで、国民を上げて本を読むということが当たり前であった。
今も識字率は高く、恐らく99.9%以上は読み書きができるであろうと思う。
「若者の活字離れ」というのは何度か言われているが、実は出版業を支える巨大コンテンツはむしろ漫画などの若者向けのものが大勢を占めており、言われるほど若者が「本」から遠ざかっている、ということはない。もっとも、新聞やハードカバーの文芸書から遠ざかっているのは確かで、ここ何十年かじわじわ微減が続いている。
書店を覗いてみると、収益を上げるための「雑誌、文庫、漫画」にスペースを割いている書店は珍しくない。「今話題の文芸書」は、言われているほど即時的には動かないので、どうしても長期間棚を占拠するスペーサー、棚ふさぎになってしまうため、売り場面積の小さい書店ほど回転の速い雑誌、漫画、文庫のほうが重要な収入源になるらしい。


んで、1995年辺りから日本も本格的にPC/インターネットが普及し始めた。その萌芽は90年代の初頭にはあった*1のだが、PC、さらには携帯電話などもインターネットに接続されるようになり、所謂「ユビキタス」な環境を誰もが意識せずに活用するようになった90年代末〜21世紀に入ってから、本のライバルはネットになった。
机の前で姿勢を正して読むものだった本は、文庫本やコミック、読み捨ての雑誌のように、家の外に持ち出して読むものに形を変えたことで、流通規模を拡大させてきた。
1800円の新刊が300〜600円で買えるなら、「ハードカバーと同じ値段で3冊も6冊も買える文庫を選ぶ」人が増えるのも道理だ。
当初、ハードカバーを廉価で手に入れるための手段だった文庫は、そのうちに「文庫書き下ろし」が主眼になっていった。ハードカバーの半分か1/3以下の値段で3倍刷って3倍売れる*2、という方向に動いてきたのが、ハードカバー→文庫の歴史だった。
可処分資産が「1000円単位」から「500円」「100円単位」になったことから、1冊買うのに千円札が2枚必要なハードカバーの売り上げが下がり、1000円札で2冊買える文庫本の需要が増えたのはごく自然なことだ。
そして、ネットとそれにぶら下がる端末の普及は、個人の可処分資産の単位を「100円単位」から「10円単位」に切り下げようとしている――というのが、現状。
もちろん、500円で買えたものを50円で、と単純に価値を1/10に下げるわけにはいかないので、500円の価値がある本を10分割して、50円分ずつ売る、というような売り方になっていくのでは、と思う。10分割はさすがにアレだがw、文庫本を電子書籍にする際に2分冊化するとか、コミックを1話単位(=1話10円とか)で売るという試みは珍しくはなく、少し前から始まっている。
1冊読むのに30分、1時間掛かる文庫本より、5分だけ読める、ちょっとした隙間時間で読める小ロットのものというのが求められる傾向にあるわけだ。


しかし、文庫本は今の規模より小さい・薄い頁数で分冊売りするというのは、紙の形態を保つ限りは難しい。
*3角川書店で「ミニ文庫」というそのものずばりなシリーズを出したことがある。僕も4冊ほど作っているのだが、頁数は128頁*4、判型は普通の文庫の1/2程度。当然収納できる情報量も少なく、原稿も少なく、その分値段も安い。確か1冊200〜300円程度だったかと思う*5
確かに原稿料も何もかもディスカウントはできるのだろうが、大きい判型の本を作るのとさほど変わらない、というか判型頁数が小さくなってもディスカウントできない工程がある。
例えば表紙デザインはサイズが1/2から価格が1/2になる、という性格のものではない。
当時はまだメールでゲラを送るスタイルは確立されていなかったので*6、出校したゲラをライターの下に届けなければならない。郵便、バイク便を使った場合、100頁のゲラでも300頁のゲラでも送料は変わらない。厚みが1/3だからといって送料が1/3にはならない。
自分でバイクで届けていたが、バイクの燃料費や所要時間が1/3になるということもなかった。
分量を1/2にしても、価格1/2を維持できるとは限らない、という好例だと思う。
つまり、文庫本は今の規模より小さい単位のものを作ることが技術的に可能だとしても、それではペイラインに乗らないのである。
となると、最終的にはデータ単位で細切れで売ることができ、細切れで買いたいという需要に応えられる電子書籍が、「文庫の次の受け皿」になるだろうことからは避けられない。


できれば小銭稼ぎよりは、まとまった金額が稼げたほうがいいのは出版社だけでなく著者にも言える話で、電子書籍は「売れた分だけ、DLされた分だけ」が著者の*7取り分になるが、単価が余りにも安いと、それが支払い可能なまとまった金額になるのにも時間が掛かる。
会社にもよるが、出版社の多くは「最低支払い額」という支払金額の下限を設けている。
これは3000〜5000円くらいに設定されているんじゃないかと思う*8
最低支払い額が設けられる理由は振り込み手数料にある。
今どき、手渡し現金払いで印税をくれる会社というのはそうそうない。*9
そうなると経理が銀行から振り込み作業をして、ということになるわけだが、このとき振り込み手数料はだいたい出版社側が負担するケースが多いのでは、と思う。1円でも100円でも振り込み手数料は変わらないわけで、あまりにも少額支払いだと振り込み手数料負担がバカにならないので、一定の金額が貯まるまで支払いを開始しない、ということになる。*10
電子書籍、例えば300円の電子書籍の印税が20%だとする。1冊売れて60円。これが3000円に届くには、50冊売れる必要がある。50DLされるまで、支払いが始まらない。この50冊分に一カ月で届く場合もあれば、50冊分DLされるまで数カ月かかる、といったことも起こり得る。


電子書籍は書店売りと違って「全国一斉に書店やコンビニに並ぶ」といったことがない。確かに全国のどこからでも同じサイトを目指せば、品切れを心配することなく手に入れることはできるが、そのメリットはそのサイトで本が売られていることを予め知っている場合に限られる。
本屋にぷらっと入って新刊が出ていることに気付く人も少なくない。
電子書籍サイトにふらっとアクセスして、新刊が出ていることに気付く……には、その電子書籍サイトのトップページ/ポータルページに作品タイトルが並んでいて、プッシュされていないと多分気付かない。


電子書籍電子書籍サイトで売る、というのは、
レジ横と倉庫しかない本屋さんで新刊をアピールする
ようなものなのだ。
これは凄く難しい。
店の外にビラ貼って回って、チラシを配って回って、あちこちで叫んで歩かないと、身内wや熱心なファン以外は新刊に気付かない。
つまり、商売が難しい(´・ω・`)


電子書籍で新刊発売しました!」と、雑誌広告やテレビ広告を打つ、というのもいずれ登場するだろうけど、コストが掛かりすぎてなかなか難しい*11電子書籍が売れたら売れたで、紙の本の売り上げが圧迫されるという心配から、電子書籍を紙の書籍で宣伝することに及び腰な版元が少なくないのもわかる。
ただ、このへんは誤解があるんじゃないかと思う。電子書籍が違法コピーされるから、というなら気持ちは分かるが、支払いがきちんと回収できるのであれば、紙の本の読者が電子書籍にスライドしても、「買う」ということに変化がないなら版元の収益は大きく損なわれることはないんじゃないのかな、とかなんとか。ただそれも、電子書籍の存在がきちんと認知される場合の話で、宣伝媒体としての紙の本そのものはその効果の点からも、なかなかなくならないんではないだろか。


紙の書籍は恐らく緩やかに退潮していくだろうなと思う。今既にそうだし。情報の取り扱い方法が、より高度化、より高速化、より低価格化、より短時間化、という方向にシフトしていることは、コンテンツを売り出す側の都合で止めることはできない。*12
だからといって、その退潮ペースが急下降するということもなかろう、とも思う。
そして、「読む」「見る」という行為がなくなるということも、人間が目玉を持ち、文明が文字を持つ限りはなくなることもない。
問題は、媒体の形、提供方法の変化なのだろうと思う。
モノカキ産業、編集産業は媒体の提供方法や、そこから得る収益の形などの変化について、憶測からの過度な期待も過度な落胆もすべきではなく、できるだけ多くの情報を得る、最良の選択肢であるかどうかを判断できる知見を持つべきなんじゃないかなあ、とか思うのだった。


ま、ともあれ。
電子書籍はすぐにウハウハにはなりません。
そんで、2011年に全国で一斉にアナログ書籍の販売が停止され、電子書籍に切り替わるので、お早めに電子書籍端末をお買い求め下さい、というような総務省からのお願いもありませんw

*1:パソコン通信のようなツリー構造のネットワークではなくて、並列にワークステーションを繋ぐ学内LANの構築実験の話は遅くも91年頃には耳に入っていたので、実際にはもう少し早かったと思う。

*2:著者の取り分はあまり変わらない。

*3:90年代後半

*4:通常の文庫が224頁なので、半数弱

*5:後期にはペイラインを探してもう少し高くなった

*6:DTPを自前でやるのはこの頃に始めたのだが、それは組版費用を抑えるためだった

*7:出版社も

*8:もちろん、この設定額も会社によって違い、100円からというところもあれば1万円貯まるまでは、というところもある

*9:倒産直前の某社で、担当頁分だけ作業費を万札で手払いされた経験があるが、滅多にあることじゃないと思う。サカモトさん元気かなあ

*10:たまに支払い手数料が印税から引かれる会社というのがあるのだが、その場合も印税があまりに少額だと手数料で足が出て赤字になってしまう

*11:深夜アニメのスポンサーが出版社だったりすることもあって、深夜に「今月号の宣伝」「発売中の新刊の宣伝」が流れるようになって久しいが、これはアニメとのタイアップであって、そうしたタイアップがない書籍を単独でCM打つというのは、まあ、相当な部数が売れてる最中、とかでもない限り難しいと思う。よく知られた大ヒット作を除く大多数の出版物というのは、本当にびっくりするほどの「小商い」なのだw そして、大ヒット作ではない小商い本というのは、広告・宣伝予算というのをほとんど割けないものでもあるわけで。この構造は電子書籍にも引き継がれると思う。

*12:2chTwittermixiGREEのような様々なネットメディア、ネットコンテンツ、SNSなどの登場は、間違いなく「ほんの数分」の可処分時間の消費について、文庫本が担ってきた時間を奪っている