1日3冊、1月100冊〜また、タイムトライアルをしてみた

先だって、「電子書籍をどれだけ短時間で作れるか試してみる」というようなことをした。

【恐怖箱】InDesignを使って電子書籍をどのくらい短時間で作れるか試してみた【InDesign
http://togetter.com/li/41510

2200view以上閲覧があったらしい。
んでこれは、「表紙イラストとコンテンツテキストがあれば、DTP用のテンプレがない状態からでも、4時間あれば作れる」という成果を得た。


その後、同じ手順の電子書籍を造り重ねてみてテンプレ、ライブラリを増やし、「その気になれば2時間あれば1冊作れる」というところまできた。


で。
鬼灯が校了したので、土曜を「組版祭」として、「一日これにかかり切りになったら、電子書籍が何冊作れるか?」に挑戦してみた。
結論から言うと、できたのは3冊。

恐腐箱 黒百合
¥0(PDF/47P)
http://bit.ly/9fixaa
百合怪談本(創作)

笑怖箱 再怪
¥0(PDF/42P)
http://bit.ly/b3KxYx
古典怪談リライト(創作)
電子古書(ワゴン売り版)

恐怖箱 死語
¥0(PDF/39P)
http://bit.ly/afLqTj
タイトルが全部死語の実話怪談(実話)

のべ128頁分。25字×10行のフォーマットでの128頁なので、普通の文庫本に直したら50〜70頁分くらい。
朝7時くらいからスタートして、午前に黒百合、飯を食いに小一時間中座して、夕方に再怪、雑事些事、黒百合と再怪の改訂作業をこなしながらの並行作業で、深夜零時3分前あたりに死語をそれぞれリリース。
15時間(うち実働時間は12巻くらい)で3冊可能でした。一冊辺りに均すとやっぱ4時間くらいだが、実際の実働時間はもう少し少ないんじゃないかな。
というわけで、例えば休日をコレに当てると、一日で3冊作れる。できました。
もしこれ専業だったら、一カ月あれば100冊作れるよwwww


ごく最初の試みで作られた「恐怖箱 怪萌/¥0(PDF/36P)http://bit.ly/bs8hoa 」は、何カ所が目次だけあって本編がないという抜けもある本だった。フォーマットも安定していなかった。
今回の3冊はRetinaに対応し960×640。
回数をこなしてきたことで、テンプレとなるフォーマットもでき、見栄えに手を掛ける余地もできた。コンテンツのほうも、書き手の量産で筆が熟れてきたところがある。
やっぱり、「無駄撃ちはスキルアップの早道」だと思うw


電子書籍は一にも二にも「量産」「スピード」勝負だと思う。品質/精度/正確性は、後からリカバリできる。
今後は「1冊辺りの量(ページ数)」というところに力点が置かれるだろうと思うけど、今度はそのへんは「書き手のキャパ」の問題になってくる。
一日で一人で、は無理だ。集中して短期間でやるなら一斉射撃ができるだけの人数が必要で、単著を次々に出すならマガジンの中に装填され次々に打ち出されるだけの人数が必要になる。
やはりここでも、量と速さが問われる。


とりあえず、それに対応する早組み(早編集)のスキルは身についてきたと思う。これまでの蓄積(「超」怖い話や恐怖箱、超-1などでの)の蓄積もある。
問題はそれを「僕個人の職人芸」に留めては意味ないということなわけで、今度は「ノウハウの一般化」という行程が求められる。


どの世界でもそうだけど、一芸に秀でた職人というのは長年の苦労で得たノウハウ・スキルの流出を嫌う。そのスキル、ノウハウが、後ろにいるライバルとのアドバンテージになるからだ。
しかし、そのスキルを墓場まで持って行ってしまうと、それが失われてしまう。この手の話のたびに大阪城大手門継手を思い出す。この継手は昭和になってX線撮影して内部構造が解明されるまで、どうやって二本の柱を繋ぎ合わせていたのかまったくわからなかった。技術が失われてしまったためだ。
個人の価値を高めて自分のプライオリティを上げることが主目的なら、自分だけのノウハウは誰にも教えないほうがいいけど、評価を得られたノウハウが結局残らないということになると、今度はそれは受益者にとっての損失になる。
が、中国進出した日本企業が、中国企業に技術だけ取られる、の話じゃないけど、青は藍より出でて藍より青し、もはや藍など必要なし……となってしまっても困る。
結局は、「自分のノウハウ・スキルを、自分と一緒に働く人間に教えて、自分を二人にする……それが無理でも自分を1.5人か1.8人くらいにするということをやんないと、いつまでたっても自分のこなせる仕事量は増えないし、自分のスキルでやれたであろう機会の喪失、受益者の損失が圧縮できない。


今がその段階かどうかはわからんけど、次に仕事が忙しくなる前に、僕は電子書籍作成(ソフトウェアの使い方、という部分以外の)に関する教科書を作るべきではないのか? という気がしてきた。


昔々、角川書店でコンプRPGという雑誌の副編集長をやってた。この話をTRPG方面から切り込むとまたきな臭くなるのでそっちは割愛w
このとき、テキストの雑誌の進行についてまったくノウハウのない新人に仕事を教えなければ、自分が死んでしまう*1という事態を目前にして、僕はそれまでの自分の培った仕事のノウハウを全て文書と図に整理し直し、コピーを作って仕事の仕方をゼロから教えることになった。
雑誌編集者としての、全体の作業フロー、打ち合わせの前段階としてのアポの取り方、作家、デザイナー、カメラマンなどとの打ち合わせの仕方、やりかけの仕事を管理する方法、などなど、などなど。
この仕事のマニュアル作りというのは「僕個人が人を使うために必要に駆られて自主的に作った」というもので、業務命令ではないし作成のためのギャラも支払われていないし、マニュアルを与えた人間から料金を受け取ったりもしていない。
周囲のベテラン編集者が毎週数人ずつ倒れて救急車で運ばれるような戦場にあって、僕は自分自身の崩壊を避けるために、そうすることが必要だったのだ。
今、それに近い状態に僕は再びなりつつあるのではないか、という気がする。


編集者の仕事というのは割と徒弟制に似たところがあって、実際僕も先輩を師匠として仕事を習い、または倣い、または真似て盗んだ。
作家になる本や漫画の書き方があっても、校正ガイドブックがあっても、「現実的な現場での編集者の仕事のやり方ガイド」というガイドブックはほとんどないような気がする。昔、ガッコで見たテキストは、その時点から見てすら、数十年は古いやり方を、講師がメモってコピーしたものだった。
そのくらい、編集者は仕事のやり方を教えない。
読者は「雑誌の縮図」みたいな仕事でもあるので、これをやることで仕事を把握することには薬だったが、やはり仕事を手取り足取り教えてくれた人は、数えるほどしかいない。
そういう世界なのだ。*2


というわけで。
そこらへんのノウハウを、またボチボチ、テキストに作るべきかなあ、と思う。
自分のワークフローの点検にもなるので有意義ではあるし、自分の分身を作る補助材料にもなる。口頭で言うだけでは伝わらないことのほうが多いし。
どうせ、仕事に使うソフトウェアの更新が早すぎてすぐに陳腐化するだろうことはわかっているのだが、ソフトウェアの使い方以外の部分、
「何と何を組み合わせて、どういう管理の仕方をするか」
というのは案外古びない。
そこらへん、やっぱちゃんとしないとダメだな、と思う。


ぼちぼちやるか。うん。

*1:仕事量が多くなりすぎて

*2:編集者同士は社員編集同士でもライバルだったり、別動隊だったり、というのも珍しくない