帰省と刀

久々に車で帰省してきた。
朝8時に出発、7時半には起きないとマズイのだが、前日が朝帰り午後起きだったので眠れず。結局仕事のToDoなどまとめていて、寝オチしたのは4時だった。3時間睡眠(´・ω・`)
全体レンタカーを借りたのは2006年だったので4年振りの運転。テラペーパードライバー。
高速でリハビリするつもりしてたら、用賀に辿りつくのに1時間半掛かったorz APECの絡みでパトカーが多かったので、パトカーに先導されるような感じで裏道を抜け、車両感覚とアクセルワークを思い出したあたりで用賀に到着。
途中海老名SAに寄ったものの、裾野ICまでは40〜50分足らずで行けた。空いてました。用賀までの一般道のほうがいつも混んでるんだよなあ……平日朝方の環七舐めてましたorz


今回の帰省の目的はずばり遺産相続。
と言ってもお金とかそういう景気のいい話ではない。
日本刀を2本。
前からそういうのがあるのは知っていたのだが、名義変更やらなんやらの関係でほったらかしになっていたのだった。
今回、「元の所有者が同伴であれば保管場所を移動できる」「移動後に次の所有者に名義変更すれば大丈夫』ということになって、僕がそれを相続というか譲渡されることになった。
このため、車借りて日本刀2本と所有者=親同伴で往復ドライブをすることになったのだった。


この刀の出所については、ずっと祖母のものだと思っていたのだがそうではなく、亡くなった父方の祖父のものであったことが判明した。
「刀道楽でなあ。一抱えも買い集めてたんだ」
という。祖父の遺品の刀のうち、太刀を何本かは伯父が相続し、老父は脇差しを2本相続した。
そういや、祖父が亡くなった後の形見分けの話は他にもいろいろあって、相当な「モノ道楽」の人であったらしい。思うに、僕の物欲道楽はこの祖父の遺伝じゃないかと思う。*1


祖父は戦前戦後と高校の教頭だか校長だかをやっていた人で、加藤の父方は美濃尾張加賀の藩主に連なる家老*2の家系らしい。僕の従兄*3はその本名に「泰」という文字を受け継いでいるのだが*4、加藤で男児が泰を受け継ぐ*5のが習わしである家というのを調べると、いろいろ出てくる。
昔、尾張のほうの本家の墓*6に墓参りに行ったら、墓が山のてっぺんにあって凄く大変だったなあ、という話を思い出す。が、そのへんはまた別の機会に。


刀については、ぼちぼち「持っててもアレだし誰も欲しがらないから、お前興味あるならやるぞ」となり、興味あるので貰うことにした。


どちらも銘のしっかりした刀で一振りは白鞘に収まった脇差し。長さ一尺五寸四分、銘文は伯耆守藤原信高。と、鞘に墨書されている。
抜いてみると刀身はかなりサビが回っていて切っ先が5mmほど欠けている。戦時中だか戦後直後の動乱期だかに「スコップで殴りかかられたのを受け止めて欠けた」らしいが、子細は定かではないw
鞘は手垢で黒く汚れ、また経年劣化と思われるが撓みから割れている。こちらはあまり状態はよくない。
なんというか、「実用品の長ドスを長いこと放置しておくとどうなるか」の見本のようでもあり、もしかしたら誰かの血を吸ったかもしれない本物の凄みがある。


もう一振りの脇差しは伯耆守より若干長い一尺八寸。銘文は表は丹後守藤原兼道とある。裏は菊紋。革鞘に収められ、脱落防止用のスナップボタン、固定紐、組紐から成っている。つまり、軍刀仕立てになっている。菊紋が入っているのも天皇陛下拝領のそれ、を意識したものだろうと思う。
これは元々脇差しだったものを、祖父が軍刀仕立てに作り直したものらしい。*7
こちらは「持ち歩かれず、ずっと屋内保管されていた」ということもあってか非常に状態がよく、刀身にサビはなし。刃も立ててあって、凶器としての凄みの他に日本刀特有の吸い込まれるような美しさもある。


伯耆守も丹後守も、昭和28年頃に正規の銃砲刀剣類登録が行われたもので、静岡県文化財保護委員会(現在は教育委員会)によって文化財扱いとなっている。
確かにこりゃ文化財だなー、と思う。


近々、東京都の教育委員会に所有者移管登録をし直した上で、正式に僕の所有するものになるわけなのだが、もちろん電車やバスに持ち込むことはできないwし、移動には所有者の同伴が必要、当然ながら僕は剣道居合道などの有段者ではないので、実際に使うwことはできない。
が、絵描き/モノ書きにとって、博物館や映像以外で「本物の日本刀」に間近に触れる、見る、重さを確かめる、という機会はそうそうなく、資産的価値*8よりも資料的価値のほうが相当に大きいと思う。


まずは移管登録を済ませてからの話になるけど、先々、「軍刀の実物を見て見たいのだが」という絵描きさん、漫画家さん向けにお見せできる機会を作るべき、とか思った。持てる者の義務的な意味で。ノブレス・オブリージュ


刀運搬を無事終えた後、両親の携帯を新型に機種変。
どちらもCDMAだったので、格安にて買い換えできた。SA002の色違いのおそろいにしてやった。
その勢いで、IS03を取り置き予約してきた。もう20台くらい予約が入ってる、という話だった。


古いものと新しいものの物欲を一気に満足させた一日でした。

*1:日本刀については買い集められたモノ道楽もそれなりにあったようだが、戦功武将の末裔に伝わる「先祖伝来」のものもあった様子で、従兄弟の所にも太刀脇差が伝わっているという話だった。

*2:家老の家系ではなくて、戦国武将加藤光泰の家系、というのが正鵠らしい。五代目泰興の辺りで本家から分かれ、本家は代々大洲藩主の家系。うちはその五代目で分かれた辺りから流転している家系の様子。幕末は外様大名の一藩士として終わりを迎えた佐幕派だったらしい。

*3:この従兄は、僕の父の腹違いの次兄の長男。

*4:父の腹違いの長兄は娘のみを儲けたため、泰の字は受け継がれなかった。このため、今はこの従兄が本流。

*5:この「泰」という字を男児に付けるという習慣は一時途絶えていたのを、僕の父方の祖父が復活させたものらしい。

*6:この墓が大洲の本家の墓なのか、黒門町本家の墓なのかは聞き忘れた。

*7:これについては、昭和天皇が皇太子時代に沼津の我入堂にある御用邸行幸された折、地元の名士として御用邸に招聘された。そのときに先祖伝来品を軍装用に仕立て直したものらしい。我入堂の御用邸には確か皇室の「馬車」が保存されていて、今でも外国大使着任挨拶のときなどに使われてるらしい。

*8:試しにそれぞれの銘を手がかりに調べてみたところ、状態の良い完品であれば、という条件付きながら結構なお値段であることが判明w。ただ、状態を良くするのに相当掛かりそうな気がしないでもないorz 綺麗になった伯耆守は見てみたい気もするので、刀身が今より酷くなる前に何か考えたい。