スーパーを冷やかし、流通災害について考えた

みずほがお金を出してくれないので、ゆうちょのATMに行くついでに、近所のスーパーを冷やかした。

カップ麺、袋麺の在庫は、棚を埋め尽くすほどというほどではないが、ピークタイムでも棚に在庫がぽつぽつ残る程度には戻ってきた。
普段カップ麺食べ慣れない人が慌てて買って自宅備蓄したのが行き渡ったのか、もしくはこの一週間びくびくしながらカップ麺食べ続けて、食べ飽きたのだと思う。

相変わらず米は完売してるものの、肉はかなり戻ってきた感じ。
肉類の値段は地域相場としては震災前とあまり変わらず。豚肉生姜焼き用薄切りロース肉がグラム89円くらい。

納豆は相変わらず「ない」感じ。
これは買い占めというよりも、製造工場(水戸とか)からモノが入ってこない、流通側の問題のような感じ。
同じく、ビール・缶酎ハイが壊滅状態で、発泡酒第三のビール、ビール、缶酎ハイが空っぽで補充なし。あ、シルクエビスはちょっとあったな。あと、缶マッコリは何故か大量に。
日本酒、ワイン、焼酎の類は普通にあるようだった。
このへんについても、買い占めというよりも日常的に消費されているものが出切って、配送(流通)側が追いついていない感じ。

住宅街のど真ん中のスーパーともなると、買い占めが仮になくたって、補充が追いつかなければ早晩品薄になるのは致し方ないところ。
現状は、スーパーの備蓄(在庫)が、各家庭の家庭内備蓄に回った感じだろうか。
世の中には家庭内在庫を増やしても消費しきれないものとかもあるわけなのだが……。
生鮮野菜の供給は途切れないが、スーパーの野菜の価格は平時の1.2〜1.6倍前後で推移していて、全般に割高。
個人経営の八百屋では値段はいつも通りなので、市場価格の問題じゃなくてこれも配送料の上乗せで価格変動してるのかもしれない。

ガソリン不足という燃料騒動については収束に向かいつつある。
これについては、普段乗らないような人までも「いざというときのために!」と給油に走ったのが原因じゃないかと思う。カップ麺と同じ原理。
給油したからといってすぐに走る、消費するわけでなし、単に「いざというとき」に備えて備蓄先が個人所有の車のタンクに移っただけ、と言える。それら、「普段乗らない人が買いに走った分」は、消費されていかないので、今後は「個人の備え」分は減らず、日常的に自動車を使う人々の通常消費のほうにシフトしていくんじゃないかな、と。


これらについては、買い占め、買い急ぎ、買い貯めとして揶揄されがちなのだが、「いつでも買える」という安心感が保証されれば、自分の手元に備蓄を貯め込む行動は抑えられる。
が、「流通の寸断、補給への不安」を煽る報道が、こうした個人備蓄に走らせたわけで、これは【情報災害】と言えると思う。


一方。
都市というのは様々なものを高度に集積することで成り立っている。
例えば高層マンションは狭い土地に人間の生活空間を縦方向に集積したものと言える。
そうした高密度の「消費者」が、個別に消費予定の資源を保有しはじめると、それらの保存に必要なスペースが必要以上に掛かることになる。
そのため、不要不急のものは個人では貯め込まず、必要なときにだけ補充する、というライフスタイルになる。


分かりやすいのがコンビニ。
コンビニのバックヤードには、常温保存できるドリンクと菓子類が僅かにあるくらいで、それ以外のほとんどの商品は店内の「棚に備蓄されている」といえる。
弁当、パン、その他の回転の速い商品は店頭在庫以外は置かず、配送車が冷蔵庫・倉庫を兼ねている。
配送車、さらには後方の工場を冷蔵庫替わりにすることで、店内の不要の在庫を最小にする。
この効率化と商品の回転がコンビニを成り立たせている。商品の品揃えを除けばスーパーも基本的には同じ。
これらは絶えず補充が行える、という前提に立った効率的な資源管理方法と言える。
企業側の都合(経営効率)はもちろんあるが、それでは個々のコンビニ店舗が、店ごとに地下や同じビルの上層階に膨大な商品備蓄を持つことが賢いかと言われれば、それこそスペースの無駄でしかない。
結局、都市の運営、都市にあるあらゆる消費を支える物流システムは、効率を上げていくしかないわけで、今回の物流不全による買い占め、買い溜めは、徹底された効率化という絶妙のバランスが崩れた場合には避けようのない副作用だったと言える。


こうした事態は、いずれ喉元を過ぎて事態が収拾した後に、また繰り返される。
それに備えようと思ったら、結局のところは「集積型ではない、都市ではない場所に住み処を構え、自前の備蓄を日常的に増やしておく」という独りサバイバルを目指すしかない。


それでも都市での生活の利便性を取るなら、自力で備えるしかないわけなのだが、個人で行う食料備蓄は、「三日、一週間、一カ月」の単位で考えるべきかなあ、と。
今回の地震でも(まだ十分に回復しているとは言えないが)、一週間を経過した辺りで、食料の輸送や配布などはある程度維持されてきた。
「餓死しそうです!」というTweetが飛び交ったのは最初の三日間くらい。つまり、もしも完全に孤立した状態で助けを待つ必要に迫られたとしたら、乗り切るべき日数は最低三日、最長で一週間と見てよいと思う。なので、救助を待つまで乗り切る、という考えに基づく食料備蓄なら一週間分が適当。
それでも助けが来ないとしたら、日本全体が荒廃してバイクに乗ったモヒカンがヒャッハー! とやってると思う。


これとは別に、今回「家屋が壊れなかったから避難民に【なれなかった】人」というケースが出ている。
これらは、家屋こそ壊れなかったものの、道路と流通その他が寸断された結果、完全な孤立状態になっている。
この場合、自宅喪失した人々の避難所の救済が優先されてしまうようだ。
もし、そこにも備えようと思うのなら、ライフラインの回復に二週間掛かると想定し、なおかつ近隣の「備えがなかった生存者」との協力も想定して、一カ月分を備蓄。自宅に。


ただ、「助けが一カ月も来ないような災害」に東京で見舞われたら、大多数の人は地方・田舎に逃散するのではないか、ちう気もする。移動手段があればだけど。
また、それほどの災害に見舞われた場合、むしろ生存者のほうが圧倒的に少ないのではないのかなあ、とか。


人的被害は少なく、しかしライフライン(のうちの、燃料と流通と電力)だけが半壊している状態が、現在の東京が見舞われている地震災害である。
燃料と流通は今後回復していくだろうけど、電力については回復の見込みが立っていない。
福島第一が安全に閉鎖・廃炉されることと、電力の回復は別の問題だからだ。
電力供給の低減というのは、これから「非常時の長期化」という災害状態を招く。
阪神大震災中越地震では、街が壊滅焼尽した後に外部からユンボと人手とカネを流し込んで再生した。
今回の地震でも、もし原発に支障がなければ、三陸はそれでも5〜10年もあれば復興できただろうと思う。今の神戸を見てかつてそこが地震で壊滅した街だと思い出せる人間は、当事者以外にはほとんどいないだろうし、三陸原発の問題さえなければ、同程度の復興は見込めたと思う。


が、今回は原発の、というか電力の問題が大きな重しとなってのしかかる。
これはこれで長くなるので、ちょっと稿を変えよう。

[地震]スーパーを冷やかし、流通災害について考えた
みずほがお金を出してくれないので、ゆうちょのATMに行くついでに、近所のスーパーを冷やかした。

カップ麺、袋麺の在庫は、棚を埋め尽くすほどというほどではないが、ピークタイムでも棚に在庫がぽつぽつ残る程度には戻ってきた。
普段カップ麺食べ慣れない人が慌てて買って自宅備蓄したのが行き渡ったのか、もしくはこの一週間びくびくしながらカップ麺食べ続けて、食べ飽きたのだと思う。

相変わらず米は完売してるものの、肉はかなり戻ってきた感じ。
肉類の値段は地域相場としては震災前とあまり変わらず。豚肉生姜焼き用薄切りロース肉がグラム89円くらい。

納豆は相変わらず「ない」感じ。
これは買い占めというよりも、製造工場(水戸とか)からモノが入ってこない、流通側の問題のような感じ。
同じく、ビール・缶酎ハイが壊滅状態で、発泡酒第三のビール、ビール、缶酎ハイが空っぽで補充なし。あ、シルクエビスはちょっとあったな。あと、缶マッコリは何故か大量に。
日本酒、ワイン、焼酎の類は普通にあるようだった。
このへんについても、買い占めというよりも日常的に消費されているものが出切って、配送(流通)側が追いついていない感じ。

住宅街のど真ん中のスーパーともなると、買い占めが仮になくたって、補充が追いつかなければ早晩品薄になるのは致し方ないところ。
現状は、スーパーの備蓄(在庫)が、各家庭の家庭内備蓄に回った感じだろうか。
世の中には家庭内在庫を増やしても消費しきれないものとかもあるわけなのだが……。
生鮮野菜の供給は途切れないが、スーパーの野菜の価格は平時の1.2〜1.6倍前後で推移していて、全般に割高。
個人経営の八百屋では値段はいつも通りなので、市場価格の問題じゃなくてこれも配送料の上乗せで価格変動してるのかもしれない。

ガソリン不足という燃料騒動については収束に向かいつつある。
これについては、普段乗らないような人までも「いざというときのために!」と給油に走ったのが原因じゃないかと思う。カップ麺と同じ原理。
給油したからといってすぐに走る、消費するわけでなし、単に「いざというとき」に備えて備蓄先が個人所有の車のタンクに移っただけ、と言える。それら、「普段乗らない人が買いに走った分」は、消費されていかないので、今後は「個人の備え」分は減らず、日常的に自動車を使う人々の通常消費のほうにシフトしていくんじゃないかな、と。


これらについては、買い占め、買い急ぎ、買い貯めとして揶揄されがちなのだが、「いつでも買える」という安心感が保証されれば、自分の手元に備蓄を貯め込む行動は抑えられる。
が、「流通の寸断、補給への不安」を煽る報道が、こうした個人備蓄に走らせたわけで、これは【情報災害】と言えると思う。


一方。
都市というのは様々なものを高度に集積することで成り立っている。
例えば高層マンションは狭い土地に人間の生活空間を縦方向に集積したものと言える。
そうした高密度の「消費者」が、個別に消費予定の資源を保有しはじめると、それらの保存に必要なスペースが必要以上に掛かることになる。
そのため、不要不急のものは個人では貯め込まず、必要なときにだけ補充する、というライフスタイルになる。


分かりやすいのがコンビニ。
コンビニのバックヤードには、常温保存できるドリンクと菓子類が僅かにあるくらいで、それ以外のほとんどの商品は店内の「棚に備蓄されている」といえる。
弁当、パン、その他の回転の速い商品は店頭在庫以外は置かず、配送車が冷蔵庫・倉庫を兼ねている。
配送車、さらには後方の工場を冷蔵庫替わりにすることで、店内の不要の在庫を最小にする。
この効率化と商品の回転がコンビニを成り立たせている。商品の品揃えを除けばスーパーも基本的には同じ。
これらは絶えず補充が行える、という前提に立った効率的な資源管理方法と言える。
企業側の都合(経営効率)はもちろんあるが、それでは個々のコンビニ店舗が、店ごとに地下や同じビルの上層階に膨大な商品備蓄を持つことが賢いかと言われれば、それこそスペースの無駄でしかない。
結局、都市の運営、都市にあるあらゆる消費を支える物流システムは、効率を上げていくしかないわけで、今回の物流不全による買い占め、買い溜めは、徹底された効率化という絶妙のバランスが崩れた場合には避けようのない副作用だったと言える。


こうした事態は、いずれ喉元を過ぎて事態が収拾した後に、また繰り返される。
それに備えようと思ったら、結局のところは「集積型ではない、都市ではない場所に住み処を構え、自前の備蓄を日常的に増やしておく」という独りサバイバルを目指すしかない。


それでも都市での生活の利便性を取るなら、自力で備えるしかないわけなのだが、個人で行う食料備蓄は、「三日、一週間、一カ月」の単位で考えるべきかなあ、と。
今回の地震でも(まだ十分に回復しているとは言えないが)、一週間を経過した辺りで、食料の輸送や配布などはある程度維持されてきた。
「餓死しそうです!」というTweetが飛び交ったのは最初の三日間くらい。つまり、もしも完全に孤立した状態で助けを待つ必要に迫られたとしたら、乗り切るべき日数は最低三日、最長で一週間と見てよいと思う。なので、救助を待つまで乗り切る、という考えに基づく食料備蓄なら一週間分が適当。
それでも助けが来ないとしたら、日本全体が荒廃してバイクに乗ったモヒカンがヒャッハー! とやってると思う。


これとは別に、今回「家屋が壊れなかったから避難民に【なれなかった】人」というケースが出ている。
これらは、家屋こそ壊れなかったものの、道路と流通その他が寸断された結果、完全な孤立状態になっている。
この場合、自宅喪失した人々の避難所の救済が優先されてしまうようだ。
もし、そこにも備えようと思うのなら、ライフラインの回復に二週間掛かると想定し、なおかつ近隣の「備えがなかった生存者」との協力も想定して、一カ月分を備蓄。自宅に。


ただ、「助けが一カ月も来ないような災害」に東京で見舞われたら、大多数の人は地方・田舎に逃散するのではないか、ちう気もする。移動手段があればだけど。
また、それほどの災害に見舞われた場合、むしろ生存者のほうが圧倒的に少ないのではないのかなあ、とか。


人的被害は少なく、しかしライフライン(のうちの、燃料と流通と電力)だけが半壊している状態が、現在の東京が見舞われている地震災害である。
燃料と流通は今後回復していくだろうけど、電力については回復の見込みが立っていない。
福島第一が安全に閉鎖・廃炉されることと、電力の回復は別の問題だからだ。
電力供給の低減というのは、これから「非常時の長期化」という災害状態を招く。
阪神大震災中越地震では、街が壊滅焼尽した後に外部からユンボと人手とカネを流し込んで再生した。
今回の地震でも、もし原発に支障がなければ、三陸はそれでも5〜10年もあれば復興できただろうと思う。今の神戸を見てかつてそこが地震で壊滅した街だと思い出せる人間は、当事者以外にはほとんどいないだろうし、三陸原発の問題さえなければ、同程度の復興は見込めたと思う。


が、今回は原発の、というか電力の問題が大きな重しとなってのしかかる。
これはこれで長くなるので、ちょっと稿を変えよう。