浜岡原発と脱原発

忙しいから手短に。


以下、必ず起こること。


静岡県も含めた、中部電力管轄区の電気代が高くなります
電気代が高くなるので、浜松、愛知の工業地帯で作っている工業製品が値上がりします
電気代が高くなるので、浜松、愛知の工業地帯の中小・零細企業の倒産が加速します
仕事がなくなる人が増えるので、ものが売れなくなって貧乏になります。
一言で言うと、震災の直接の被害を受けなかった中部日本以西の景気が悪くなります


そして、これは必ず起こります。


●基本的な話

世の中にはできることできないことがあるのだが、概ね以下の順番で下に行くほど難易度が高くなり、また下に行くほど現実に(実現に)近くなる。


  1. 理論的に可能
  2. 技術的に可能
  3. 量産が可能
  4. 事業的に可能
  5. 政治的に可能


例えば軌道エレベーターや惑星間航行、コールドスリープや人工ブラックホールによるワープなどは理論的には可能。
つまり、原理や公式や数式で提示されたりしているレベルの話。


それを、研究所で試作品として完成させれば、技術的に可能。
理論の通りに動く、ワンオフ=一品モノ、コンセプトモデルとかの類の話。


それを、熟練の職人が頑張ってようやく一個できる、というレベルから、ベルトコンベアに乗っけて大量生産する、大量生産する技術にまで持っていければ、量産が可能。
こういうのを「生産技術」とも言います。


ただ、「できるのにやらない」ということが世の中に多いのはなぜかというと、やっても儲からないから。つまり、コストが掛かりすぎて作れば作るほど赤字になり、それを回収する手段がないならやる必然性がない。
つまり、「それを作ることで黒字になり、営業収益が上げられる」ようになるというのが、事業的に可能。商売になるってこと。


できても、儲けが出せても、「政治的に反対される」ということもある。住民運動による反対だったり、法規制だったり。
そうした政治的な課題を解消できれば、政治的に可能。
この政治的に可能云々というのは、一番最後にやってくるのだが、一番最初に解決しておかないとそれまでの努力が無駄になってしまう、もっとも難しいとこ。


まずはこの原則を理解しましょう。


●経済的な話

中部電力原発依存度が20%くらい。
浜岡原発を全部止めると、喪失分は火発(LNG)で賄うことになるが、LNG原発より発電コストが高いので、目前の問題としてこれまでと同じ電気代だと中部電力は赤字になる。
赤字になると原発の改修・維持・廃炉などあらゆる原発対策のための費用が捻出できなくなるので、費用捻出のために電気料金を上げなければならなくなる。
電気代は一般家庭の消費のみでなく、愛知県周辺の重工業地帯での事業用電力も押し上げるため、あらゆる工業製品の製造コストが上昇する。
製造コストが上昇したのに販売価格が同じでは、企業は収益が減ってしまう。
収益を減らさないためにはその他のコストを下げねばならず、安い(粗雑な)部品に切り替えると安全性や信頼性が下がり、人件費(リストラや給与引き下げ)を行うと、給与生活者がお金をあまり使わなくなるので消費が冷え込む。
販売価格に製造コスト増を転化すると値段が高くなり、消費は押さえ込まれてしまう。
また、同程度の製品を安く作れる外国製品と競争で負けてしまうので、結果的に売れなくなる。

脱原発な話

脱原発論については、その方向で進んでいくだろうし、それについては異論はないのだが。
先鋭的脱原発論の人の主張は概ね以下の通り。

  1. 何はともあれ今すぐ止めろ
  2. 運転中よりは休止中のほうが被害は小さいはず
  3. 燃料は炉から出してプールに静置したほうが安全
  4. これ以上、廃棄核燃料を増やさないことが重要

なるほど、それぞれ言いたいことはわかる。
わかるけど、

  1. 電力喪失分の代替手段(LNG火発など)のリスクヘッジ。バッファ(予備)を持たずに全力運転させると、メンテや修理などの際に余裕がなくなってしまう
  2. 原子炉が運転中でも休止中でも、そこに原子炉がある限り、地震が起きた場合に発生する事故リスクは同じ。
  3. 福島は原子炉そのものは停止したが、停止後の冷却装置のトラブルから事故に至った。また、四号炉は停止していてプールに燃料が出されていたにも拘わらず事故が起きた。六ヶ所村は原子炉がない(廃棄燃料の一時保存が行われている)が、冷却が必要でその冷却装置が停止するトラブルが起きた。プールは密閉されてるわけではないので、揺れりゃ水は零れます。
  4. これ以上廃棄核燃料を増やさないことももちろん重要だろうけど、原子炉を停止して中の燃料を【炉の外に取り出す】ということは、結果的に持って行き場のない(そしてまだ使い切っていない)燃料を、原子炉の外に置くということなわけで、少なくとも最終処分場を確定させてから出すべきなのでは?

●技術的な話

原子炉から出た核廃棄物を、最終的に処理する方法というのは実はまだ確立されていない。
されていないからいろいろ方法が提案されてきたわけなのだが、現状では「とりあえず再処理して再利用する」というアイデアが採用されて、燃料の再処理が進められた。
が、そもそも原発廃炉にするのであれば、燃料の再処理ではなく最終処分をしなければならないわけで、再処理してまた使う、という現行案はNGになる。
青森県六ヶ所村は「再処理するために燃料を一時的に保管する場所+再処理工場を作る場所」であって、永久保管をする場所ではない。
そして、日本国内には核廃棄物を【永久保管する施設は存在しない】。この先はむしろ政治的な問題によるので後述。


技術論としては、僕は「海洋投棄説」を推奨したいのだけど、「海に捨てる」というと聞こえが悪いのでw【大深度海底静置保存】という言い方にしておく。
今回の福島でも水をじゃぶじゃぶ放水する様子が広く知られているが、これは単純に「温度を下げるため」だけでなく、燃料棒を水に沈めることで発生する中性子を減衰・吸収させて安全化する、という効果を期待しているのだそう。
原子炉の種類としては「黒鉛炉」「軽水炉」などの形式名が出てくるが、黒鉛炉(チェルノブイリ北朝鮮のはこれ)は、中性子の吸着を黒鉛にさせるもの。軽水炉(日本国内のはほぼこれ)は、中性子の吸着を水にさせるもの。空気中より安定させられるので水に漬ける。
それなら、燃料棒の温度を下げてガラス固化した後、潜水艦などにも用いられるチタンで耐圧格納容器を作ってこれに封入し、大深度地下――日本海溝など1万m以上の深い海の底に沈めて海底で保管したらどうだろう、というのが大深度海底静置保存。
仮に容器が破損しても、中性子は海水によって減衰される。また、大気中で容器が壊れると放射性物質は空気中に「吹き出す」が、海流の大きな影響を受けにくい海の底のほうでは安定しているので拡散は大気中ほどに大きくは起きない。また、放射性物質=重金属なので、それらは沈殿しやすく海流にのって拡散しにくい。(福島沖の海洋汚染は、放射性は器物を含んだ水が海に流れ込み、その放射性廃棄物が【海底に沈殿する】ことで起きている。「放射能汚染水」という液体状の放射瀬能汚染物体があるわけではない。*1


他に「大深度地下」への保存という案もあるが、地震大深度地下の空間が潰れるなどした場合に、そこから浸みだしてくる放射性物質が水源を汚染する可能性などを否定できない。
マントルまで穴を掘って落とす、という案もあったが、地下70km以上まで穴を掘るボーリング技術は人類は獲得していない。また、高温岩盤発電(一種の地熱発電)の弊害がそうであるように、マントルまで届く穴を開けたら、【噴火の誘発】【地震の誘発】の可能性があり、少なくともそれを地表で行うのは極めて危険である。*2

●政治的な話

恐らくコレが一番難しいのだけど、前述したように日本には【永久的に核廃棄物を地表保存する設備、受け入れを表明している自治体はない】。
六ヶ所村はあくまで「一時保存」。
また、今後浜岡や福島だけでなく、日本中にある50数機の原子炉全てを停止させ、そこで試用中の核燃料を廃棄する場合、六ヶ所村だけでは物理的に賄いきれない。
また、最終廃棄先が決まっていないため、現在はそれぞれの原発が敷地内の「プール」で使用済み燃料を冷温保存している状態なわけで、仮に原子炉を止めても、原子炉が破壊される規模の地震に襲われたら、原子炉を止める止めないに関わらずプールの破損>福島四号炉と同じ被害が発生するので、脱原発を進めるならこのプールの核燃料も最終処分=地表での永久保存か、大深度海底静置保存のどちらかを選ばなければならない。

現在、原発を始めとする原子力事業は、結構莫大な助成金或いは「核のリスクを引き受けることと引き替えの金」を支払うことによって、それぞれの自治体に受け入れられてきた。
それらの自治体は、住民の選挙によって受け入れ推進、受け入れ反対の立場を決め、実際に住民の賛成が多い場所に誘致が決まり、反対が多い自治体では受け入れが断念されてきた。

今回、福島の事故を見て、さらに「お金を貰えるなら引き受けよう」或いは「自分達の自治体を生け贄にして受け入れよう」という自己犠牲的意志表示をする自治体は、正直期待できない。
それどころか、例えば【今からでも原子力事業を拒絶する】という方向に、それぞれの自治体の有権者が旗色を変えてもおかしくない。
それは脱原発という風潮にとっては喜ばしいことかもしれないのだが、では、【既にコレまでに進めてしまったことでできている、核廃棄物の処理はどうするのか?】という問題を、未解決のまま放置させることになる。
「うちはもう引き受けない」「うちも引き受けない」
全国で一斉に脱原発の風潮が高まれば、当然そうなる。
そして、引き受け手がない核廃棄物は、そのまま原発敷地内に置かれ、「地震災害が起きたらどうするのか?」という本来の問題は解決されずに放置されることになる。


そこで、住民の意思、自治体の意向をは【無関係】に、政府の命令によって強制的に核廃棄物の引き受けを可能にさせる、強制命令を政府が発令するしかなくなる。
しかし、日本はここ1300年くらい*3、個人資産の自己所有とそれを犯されない財産権が一応認められてきた*4
が、政府の命令で該当する地域住民の生活と生活基盤を奪取することになるわけだから、これは憲法が定めた財産権の保護を政府が「公共の福祉(これも憲法の定めによる)」の優先を理由に強制的に奪う、ということになる。
代替費用は用意されるだろうが、強制植民命令ということに変わりはない。
全体主義国・独裁国ではよく見られる光景が、日本にも適用されるということになる。
特定地域だけでは足りないとなれば、全国の都道府県にそれらの責任負担を分担せよ、という主張の脱原発派もいた。つまり、日本全国の土地を政府が接収して、そこに核ゴミ捨て場を強制的に作る、それに対して反対はできない、ということになる。
実際にはそれをやろうとした政府は次の選挙で与党から転落するので、野党が同じ政策を支持していない限り(反対することで与党に返り咲けるだろうけど)政府による強制は実現しない。
そうなると、対応策は「本土から離れた無人の離島などに作る」など、本土から遠い場所に負担を転地することになるか、大深度海底静置保存を選ぶかの二択になる。
専用設備が嵐や地震津波に耐えること、という条件を考えると、離島は「ある程度の標高があり、十分頑丈な岩盤が必要」ということになるのだが、日本の離島のうち無人島の多くは十分な標高がない。
また、日本の南方の離島の多くは「火山の天辺がちょっと顔を出している」「砂州である」などが多く、火山性=地震リスクが大きく、砂州津波リスクが大きくなる。また、十分な標高がある離島(例えば大島、八丈島、など)は有人島であって、そこにある自治体・住民の財産に帯する保証が必要になるなど、いずれも地上保存にはあまり不向き。


大深度海底静置保存の政治的メリットは、7000m以上の深度に沈めることになるため、技術上の安定性もさることながら、「自治体の反対」が事実上存在しない点にある。
日本海溝は日本の領海・EEZ内にあるが、特定の地方自治体には属していない。
また、沿岸部の場合(洋上風力発電や洋上太陽光発電潮汐発電、波浪発電など)では漁業補償が必要になるが、7000m以上の大深度海底ではそうした漁業に影響を与えないため、漁業補償も掛からない。
政治的に障害が少ないのは、自治体の協力合意が必要な地表保存より、そうした配慮が不要な大深度海底静置保存だ、ということになる。

脱原発を標榜する人がしなければならないこと

以上を踏まえた上で、脱原発は推進されるべきだと思うが、今すぐにそれを拙速に行うには、技術・経済・政治(政治は外交ではなく、自治体と住民の慰撫)などの山積する問題を解決しなければならない。
今すぐ行わない場合(今後、順次ゆっくり考える)は、それぞれについて解決策を考える、または当事者と交渉・説得するなどの余地が得られるが、今すぐに今日でも明日でもそれを行うなら、特に政治上の問題とされる「どこに核廃棄物を保存処理するか?」を解決しなければならない。

「誰かがやるべきだ」とは誰もが思うだろうが、「俺がやる」と手を挙げる人は少ないし、例えば自分の住む県や市の知事、市長が手を挙げたとしても、その地域の住民の過半数がそれに賛成しなければ、「俺がやる」は実現できず、福島の現状を見た状態で「俺がやる」という自己犠牲的な名乗りでを地域の過半数でとりまとめるということは、不可能に近い。
これについては、既に一時保存場になっている六ヶ所村だって今後考えを変える可能性があったり、考えを変えなかったとしても六ヶ所村の施設だけでは日本全ての核廃棄物を保存することは不可能だ。

つまり、脱原発を訴える人達が考えなければならないのは、

× 何はともあれとりあえず止めるだけ止める
ではなくて、
○ 可及的速やかに核廃棄物の処分引き受け先を決める方法を考える
そして、
◎ 可及的速やかに責任の分担・負担について国民の過半数が合意できるように説得する

ということなのだと思う。

「何はともあれ今すぐ止めればそれで安心」は嘘。
止めても止めなくても、核燃料の処分方法が決まらなければ、問題は1ミリも解決しない。
そして、そのための方法を探しているのは原発推進派、容認派とされる人々も同じで、彼らは1970年代からずっと探し続けている。それで見つからないから「未来に先送りして時間稼ぎをする」という方法を採ってきた。
それがもう限界だというのなら、今ここでそれを解決する方法を何か出してくれ、出さなければまずいという点で、脱原発派も推進、容認派も協力できるはずだし、しなければまずい。


A案【皆で見捨てる生け贄を決めましょう】>六ヶ所村に強制的に全部押しつけ
B案【皆で放射能心中しましょう】>日本全国に強制的に配分
C案【海に捨てましょう】>大深度海底静置保存
D案【札びらで頬を叩いて途上国に押しつけましょう】※国際法上は禁止されているそうです
E案【他のいい方法を考える】
F案【とりあえず保留】

結局A〜Dのいずれかを選ぶか、E他の画期的な方法を【今すぐ】提案するかしない限り、F案とりあえず保留にしかならない。
繰り返すが、原子炉の外のプールに燃料を並べて置くのは、根本的な解決にはなっていないし、脱原発の直近の主目的であるはずの、【地震災害による被災】での原子炉の危険性を低減させることにもなっていない。

また、脱原発を主張するなら、「原発のスイッチをオフにすれば全てが安全になる」かのような誤解を与えず、「核廃棄物の最終的処理手段」まで含めて提案をした上で、シンパを増やすことを考えないと、その主張が建設的にメインストリームに踊り出ることは少ない。
反対者を罵倒して主張を純化するというスタイルは、学生運動の末期における浅間山荘事件(連合赤軍による総括)や、先だっての東京都知事選における、「石原慎太郎落選運動の失敗」と同じ。

反対で意気投合した集団は、反対の先にある各論・技術論・具体論の対立で瓦解する。
そうならないようにするためには、各論・技術論・具体論を検討して、共有できる建設的な着地点を提示して共有する必要が不可欠だ。



そんなわけで、「核廃棄物をどこで処分するか?」というこの問題の解決方法を共有し、それについての支持を集めて多数派を形成する、というのが脱原発の早道であり王道でもある。
逆に言えば、「解決策はないがとにかく反対」という図式の運動に陥るようであれば、そんな願いは叶わない


まあ、そのへんは明らかなんじゃないだろか。



以上、忙しいから手短に。でした。

*1:花粉症は花粉を含んだ空気を吸い込んで起きるが、空気が症状を起こしているのではなくそこに含まれる花粉が症状を起こしている、というのと同じ。

*2:北米のイエローストーン危機のようなことを人為的に行うことになりかねない

*3:墾田永年私財法

*4:戦中の資産接収、戦後の農地解放、財閥解体の際に特例的に否定されたケースはある