怪ダレ5、七刷

怪異伝説ダレカラキイタ?(5)【悪霊の教科書】に七刷の報。
あかね書房からの発行通知を開いて小躍りの儀。


これまでにも触れてきたけど、児童書は一般書と比べて、いろいろ難しい。
まず、著者として難しい。
実話怪談の多くは、対象読者の年齢をあまり考慮していない。せいぜい「大人」。多少の世代差が読者との間にあったとしても、「昔話」といった程度でギャップを吸収できる。
また、読者は大人なので、多少小難しい表現をしても許される。「このくらいわかれ」と言える。
つまり、書き手自身の等身大の感覚で書けるので、あまり気を遣わないで済む。中には社会的に微妙な話題を避けられないケースなどもあるので、そういう気遣いはないではないけど、それでも「読者への気遣い」は言うほど大きな負担ではない。


ただ――。
一般的に特定の年齢層を意識した文章を書く場合、書き手と対象読者層との年齢が5歳くらいまでなら、年齢差は意識しなくても書けるものらしい。これは、年下向けでも年上向けでも同様。
が、これが10歳離れると、途端に合わなくなる。
「子供時代」の生活背景、前提として共有しているはずの文化・文明も違ってくる。ぶっちゃけ、「子供の頃に流行ってたアイドル」「子供の頃に見たアニメ、戦隊」「子供の頃に流行ってたお笑いのギャグ」「子供の頃にブームだったオモチャ」こんなところをザッと羅列しただけでも、5歳はまだしも10歳違うとほとんど話が通じない。
つまり、それはそれで勉強しないとそういう時事ものは書けないうえに、そういう時事物から受けた影響が前提として共通の骨子になってる特定世代に向けたものは書けないわけで……。


その意味で、中年になっちゃった人間が小学生向けの文章を小学生視点で書くってのは、なかなか一筋縄ではいかない。どうしても大人の目線になっちゃうものなあ(´Д`)
「そういうわけで、おまえら何が怖いんだ!」
とか、
「おまえらをトイレに行けなくさせてやる!」
とか、いろいろ手を尽くしてきたものについて、大人がちゃんと買い与えてくれて、子供からの受容が引きを切らないということの証しが「七刷」だと思うことにした。
単に売れてますっていう生臭い話はさておきw、数字から手応えを類推できるのは、やはり喜びである。


現在、怪ダレ(7)【亡霊の時間割】を作業中*1だが、新刊も待っててほしい。(・∀・)ニヤニヤ
シリーズ始まってもう4年も経つので、ぼちぼち中学生になって怪ダレからは卒業し始めてる子もいるかもしれない。
であれば、君たちには「超」怖い話と「極」怖い話と恐怖箱を奨めておく。怪ダレ著者の名前でAmazonを漁ってほしい。(・∀・)ニヤニヤ

*1:もう原稿は終わりました(^^;)