終わってないけど終わった

あと、前書きと後書きが残ってますが。
とりあえず原稿本体は終わった。
まだ、原稿整理とか残ってますが。


文庫本の編集では原稿が出揃ったところで2〜4頁前後のオーバーは目を瞑りつつ頁数を調整。頁辺りの行数、または1行に入る字数を1〜2字くらい調整することで、数頁程度のコボレは吸収できるため。
昨今は出版事情のためなかなかツカが増やせない&だからって行数を無闇に増やすと読みにくい、などなどからいろいろ制限は多いものの、それでも「編集技術」で最大10頁くらいまではなんとかできる。


一方で、イラストが入る本の編集というのは、これまた文庫本とは違った方向性の「編集技術」が問われるというか。
7頁分くらいある原稿を3頁くらいに詰める、とか、3頁の話を3行に詰めるというようなアクロバティックな加工能力が問われたりとか。それをほぼ1日くらいで1冊分やるというところが、文庫本とは違った意味でタイトというか馬力が要るというか。
「イラストが入るので、ここは3行、ここは2行はみ出します」
というようなのが、全体の2/3近くに及び、文意が損なわれないよう、話が破綻しないように詰めたり言い換えたりしていく。
大人向けの本なら、「目撃した」「驚嘆した」など漢字熟語に置き換えることもできる。漢字という表意文字はそれだけで文意を濃厚に伝えるし。
が、児童書はその表意文字のアドバンテージが使いにくいというか、表意文字として理解される漢字そのものを知らない層に読ませるわけだから、当然「平易な文字と平易な表現」が要求されるというか。
もちろん、平易な表現というのはそれだけ文字数が増える。減る場合もあるが、増えることのほうが多いような……。

「驚いた」(3文字)
「驚嘆した」(4文字)
「愕然とした」(5文字)
「おどろいた」(5文字)
「びっくりした」(6文字)

オトナとしては、漢字熟語を使えば細かいニュアンスも伝えられるし文字数も減らせるしでいいことずくめなのだが、小学校低学年が習ってない字で「驚嘆」「愕然」とか書いても、一番分かってほしい読者に意味が通じないorz
だからここは「おどろいた」「びっくりした」になるのだが、そうするとまた文字数が増える。
1字、2字の差でしかないが、これが何度もあちこちに出てくると、微妙に1行増えたり増えた一行が隣の頁に零れたりで、結果的に全体が膨らんでしまうわけで……。


できるだけ平易な表現で。
しかしできるだけコンパクト&シンプルに。


当たり前のようでいて、これはどうしても忘れがちというか見落としがちなことだと思う。
モノカキはタダでさえ「人と違う話」を「人と違う表現で」それを「人と違う文体、個性」として希求しがち。
ただそれが、読ませたい相手に伝わらなきゃ意味ない、しかもオーバーして頁からはみ出してたら意味ないわけで……。


「弱肉強食」は「じゃくにくきょうしょく」と開いたって元の文字とその意味を知ってないと意味が通じない。
「不機嫌」を「ふきげん」にするのもおなじ。
「きょうがくして、がくぜんとした」は平仮名使ったって子供を想定した表現じゃない。


ってなことを、「これじゃわかりません」「これじゃ難しいです」と思い出させてくれるのが児童書の仕事とも言える。
オトナの本とコドモの本を往復することには、やはり多大なメリットがあると思うのだった。